7話
時は少し遡る。
ZクラスがJクラスに敗れた翌日の朝。
空気は重く沈んでいた。
誰も何も話さない。
全員が才木が来るのをただ、静かに待つ。
ドアがゆっくりとスライドして開き、才木が姿を現す。
それと同時に誰かのお腹が鳴る。
それもそのはず。
試験で負けたクラスはダイヤだけでなく全員の所持金を合算し、その半分が勝利クラスに移動する。
そして残った半分をボスが活躍に応じて分配することになっている。
ちなみにJクラスが得るお金は様々なボーナスが加わり、最終的には初期のZクラスの生徒一人あたりの所持金を大幅に上回る結果となっている。
才木が教室のドアを閉め、全員の前に立つ。
「お前ら、僕様の顔にどれだけの泥を塗ったのか分かってるのか?」
爪がめり込むほど拳を握りしめ、心底イライラしているのが見て取れる。
「最底辺の、ゴミの、あのJクラスに負けたんだぞ」
そして大きなため息をつき、一度落ち着きを取り戻す。
「しばらくは全員行動を控えろ。特にJクラスには関わるな。以上」
そう言い自分の席に座る。
才木も分かっている。この程度でこのクラスの無能が大人しくなるとは思っていない。
既に喧嘩を売った無能もいるかもしれないと思っているぐらいだ。
才木からすればここで行動を起こすことを踏みとどまれる有能と無能を間引く事が目的でもあるぐらいである。
※※※※※
酔い潰れたみんなを男子は部屋に、女子はあの部屋に布団を引いて寝かせて終えた僕はもう一度仙河さんの部屋に戻り、犯人の手がかりになりそうな物を探していた。
「何も見つからないか……」
「……そうだね」
そんなに広い部屋ではないため、三十分探して何も見つからなければこの部屋に犯人につながる手がかりは無いのだろう。
仙河さんだって分かっているはずだ。
悪あがきだと分かってはいるが、一向に探すことを諦める素振りを見せない。
普段はクールな仙河さんがそれだけ必死になってしまう大切な物。
なんとかして見つけてあげたい。
「よし、明日にでもみんなで取り返す算段を立てよう」
「いや、無駄でしょ」
そう言いながら僕の方を見ることはなく、まだ視線を床に彷徨わせている。
「僕にちゃんと考えがある」
※※※※※
親睦会の翌日、午前の授業が始まる一時間前にみんなに無理を言って教室に集まってもらった。
「二日酔いの中、朝早くからごめん」
そう言って僕は机の上に乗っている鍋の蓋を取る。
「とりあえずシジミの味噌汁作ってきたから、飲みながら話を聞いて欲しい」
僕はみんなの分の味噌汁をお椀に注ぎ、配っていく。
「じゃあ本題に入るけど、昨日の夜に仙河さんの部屋に泥棒が入りました」
「え!?」
食満さんが一際大きな声を出して驚いた。
「その時に盗まれた仙河さんの大切な物を取り返すのを手伝ってほしい」
僕が頭を下げようとすると、仙河さんがそれを止めた。
「これは空閑には一切の関係がないトラブルだ。完全に私個人の問題であって、このクラスのみんなが手を貸す理由は無いってことは分かってるんだけど……えーと」
頭で言葉が纏まらないようで、仙河さんが頭をかく。
そして「あーもう、めんどくさい」と呟くと、勢いよく頭を下げた。
「お願いします。私に手を貸してください」
「オッケー、じゃあ作戦でも考えようか」
「そうだねー」
仙河さんは緩慢な動きで顔を上げる。
「え、そんなアッサリ承諾していいの?ただの面倒事に巻き込まれるだけだよ!?」
「仙河っち、難しく考えすぎだよ」
食満さんが仙河さんの両頬をつまむ。
「友達が困ってたら手を貸す。当然のことじゃん」
「そうだよ惰輝ちゃん。たった八人の組織なんだよ」
「気楽にいこうよ」と笑う鳥金君。
「ここで手を貸さないなんて合理的ではないな」
計良君はメガネをグロスで磨きながら頷く。
「面倒事なんて勘違いもいいところだ。ボスのテリトリーを荒らされてんだ、これは俺たち全員に売られた喧嘩だろ」
宝条君は心から腹が立っていることがわかる。
「だから大丈夫って言ったでしょ」
僕は仙河さんの目を見つめる。
仙河は驚いた。
目の奥には暖かさしかない。
昨日の闇は、見間違いかと思うほどに。
「君が『結構楽しかった』って思ったことはきっと嘘じゃないと僕は信じてる。そしてそう感じてたことぐらい、あの場にいたみんなに伝わってる」
「それだけで……」
「それだけで十分なんだよ」と言って、僕は怒木さんや宝条君の方に視線を戻す。
「同じ物を食べて、同じ物で笑った友達の危機に、本気で向き合える。そんな仲間しかこのJクラスには揃ってないみたいだ」
「本当にバカばっかりだな」
クールな表情に似合わぬ笑顔が彼女の顔に表れる。
「あー!!」
食満さんが本日二度目の大声をあげた。
それに驚いた宝条君が「なんだよ」と怪訝そうな顔で、会話をしていた鳥金君と計良君から顔を逸らして振り向く。
「仙河っち、今の顔をもっかい見して」
「どの顔?」
気がつくといつものやる気を感じないが、どこか美しく感じてしまう表情に戻っていた。
「ニコッて笑った顔」
「なんの事?それより手伝ってくれるんでしょ。作戦考えるよ」
「はーい」
食満さんが頬を膨らまし、不服そうに返事をする。
※※※※※
仙河さんによると、盗まれたのはペンダントらしい。
そして、本人にとっては大切な物であるが、売却価格になると値段がつくかどうかも分からない代物であるという。
また、昨日の泥棒が入った時間から今日の十時まで、学園内の質屋は営業していない。
つまり、査定をしてもらうにしても、最速でも今日の十時からというわけだ。
なので皆には悪いと思いながら、朝の七時から集まってもらった。
「犯人の顔さえ分かればいいのだけど」
怒木さんが顎に手を当てて困った顔をする。
「流石に二人とも犯人の顔は見てないよねー」
「み、見ていたとしても、泥棒さんも覆面をしていたでしょうし……」
「ちょっと待って」
僕は昨日の記憶を必死に思い出す。
「誰も顔を隠してなかった……と思う」
「なら学園の監視カメラをハッキングすれば!!」
宝条君が名案だというばかりに、立ち上がり発言する。
「成功すれば勝率は九十パーセントを超えるだろう」
活路を見出したムードになりかけていたが、食満さんの一言で状況は振り出しに戻る。
「ここの監視カメラ、セキュリティがチョー硬いの」
「やったことあるの?」
「うん。入学して最初にやったのー」
どうやら食満さんはコンピューターにかなり強いらしい。
ハッキングで小さいマフィアぐらいなら崩壊させてしまえるほど。
そんな食満さんが無理と言うのなら、かなり硬いセキュリティなのだろう。
振り出しに戻り、空気が重くなる。
「最後のパスワードさえ分かれば突破できるんだけどなー」
食満さんが悔しそうな顔で呟く。
「未来ちゃん、それさえ分かればいいの?」
「え、そうだけど」
「一つだけ手はある」
そう言う鳥金君の顔は明るくなかった。
「『八百屋』に頼むことだよ」
「それはあまりにも危険すぎるわ」
怒木さんが間髪をいれずに神妙な顔つきで言う。
「そうだな。情報を手に入れられたうえで五体満足である可能性は三パーセントだ」
計良君もあまり賛成の雰囲気ではないといった様子。
みんなが神妙な顔つきで唸るなか、僕だけ未だに野菜の話だと思っている。
「で、肝心の『八百屋』の電話番号って誰か知ってるの?」
「それなら心配ないよ惰輝ちゃん。僕が暗記してる」
どんどん「八百屋」って何?とは聞けない空気になっていく。
「僕の予想だと、監視カメラの動画を購入するよりパスワードを買うほうが断然『代金』が少ないと思うから提案したんだけど」
「そこまでするような代物じゃ……」
「自分の大切な物をそんな簡単に貶めないでよ」
僕は仙河さんの言葉の上に重ねて言う。
「本当に大切な物を守りたい時に勇気が出なくなるよ」
ここまでくれば、どんなに鈍い僕でも分かる。
「八百屋」は八百万を意味する方、いわば「何でも屋」のことだろう。
鳥金くんの方に近づく。
「番号教えて、僕が電話するよ」
「おい、空閑!」
仙河さんが僕の肩を掴む。
「流石に関係ないお前に八百屋の『代金』を払わせる訳には」
「僕は僕の大切な者のために体を張るだけだよ」
困ったことに、僕は昨日の今日でこのクラスが大好きになってしまったようだ。
本当にこのクラスのボスに選ばれて良かった。
みんなを堂々と守ることができるから。
「宝条君、仙河さんを抑えておいて」
素早い動きで仙河さんを羽交い締めにする。
「後は任せて」
僕は教室を出て、校舎の裏に向かう。
「宝条、お前は空閑を慕ってんだろ。行かせてよかったのかよ」
仙河は宝条の拘束から抜け出そうと、身をよじりながら話しかける。
「聞いていなかったのか?」
「何を」
「ボスは『任せて』とおっしゃった。なら大丈夫だ」
「そんな根拠もない……!」
「あるさ」
宝条の力が少し強まる。
「ボスは最初に言ったはずだ。俺達に嘘を絶対につかないってな。そのボスが任せてって言ったんだ」
「信じて待とうぜ」と最後に付け加え、仙河を解放する。
そして仙河を含めた全員が静かに空閑の帰りを待つことに。
※※※※※
電話のコール音が三度鳴る。
ガチャ、という音と共に相手が出る。
「もしもし」
「こちら『八百屋』でございます。新鮮な野菜を取り揃えておりますよ。何をお求めで?」
ボイスチェンジャーで変声された声が意気揚々に問う。
「うーんとね、次のお客さんの代金を無償にして欲しいんだけど」
「は?」
「八百屋」は心底意味が分からないといった様子。
獅子堂はそれを一切考慮せずに言葉を続ける。
「だーかーらー、次の……」
「いや二度目は結構です。それで、その申し出と次のお客様の代金を合わせますと貴方様の臓器を全て売却していただくことになりますが」
「よろしいですか?」と付け加える。
「はー、まだボクをお客だと思ってるの?」
「どういう意味で?」
「ボクがしてるのは依頼じゃない、命令だよ。『図書館の女王』くん」
電話の向こう側で空気が変わるのを感じ取る。
「どこで知った?」
怒りがボイスチェンジャー越しでも伝わる。
「それじゃあ話を戻そうか」
※※※※※
ポケットから学園支給のスマホを取り出す。
鳥金君が書いてくれた番号を慎重に打ち込んでいく。
コール音が鳴り響くスマホを耳に当てて待機する。
三度のコールの後、相手が出たことを確認する。
「もしもし」
緊張で声が少し裏返る。
そんな緊張も無駄に、相手はぶっきらぼうな応答だった。
「はいはい、こちら『八百屋』。パスワードが欲しいんだろ?」
「え、あ、はい」
ボイスチェンジャー越しの声であるが、酷くやる気が感じられなかった。
「パスワードはN、I、……」
一方的にパスワードを読み上げ始めたので、僕は慌てて番号が書かれた紙の裏にメモを取る。
そして「代金は要らないんで、それじゃあ」と言って一方的に通話が切られた。
よく分からないが、パスワードを手に入れた事は事実なので良しとする。
教室に戻る前に正しくメモとれているか確認のために紙を見る。
『NIZIHIME』
に、じ、ひ、め。にじひめ、虹姫。
「どうして……、いや偶然なのか」
考えたところで埒が明かないと思い、僕は偶然と思い込むことにした。