5話
宝条君が地面を蹴り、僕との間合いを詰める。
そして彼の性格に似た、驚くほど大振りな右ストレート……を囮にした最小の動作で放たれる左フック。
確実に一撃を入れることだけを考えた動きだった。
初見の人間なら引っかかるだろうが、昨日の試験の時点で宝条君は左利きでかつ以外にフェイントを織り交ぜた戦いをすることを僕は知っていた。
宝条君の右手に視線を集中させ、左手で受け流すような動作を見せることで、囮であることに気がついていない素振りを見せる。
そして瞬時に右手の掌底で本命の左手を弾き、体勢を崩してところで右手の甲を彼の顎に当てた。
宝条君は軽い脳震盪を起こしたようで、その場に尻餅をつく。
「続ける?」
「いや、俺の負けだ」
潔く負けを認めた宝条君に僕は手を差し伸べる。
「他に自分より弱い奴の話は聞こえないって人は……」
戦いを見ていた他のクラスメイトを見渡したが、誰も申し出る雰囲気はなかったので、全員が教室へと戻ることに。
「ということで、改めて昨日の総括を行う。昨日の試験でJクラスが勝ったのでダイヤが0から45になりました」
基本的に試験で勝利すると相手クラスの所持ダイヤの半分とその試験での報酬ダイヤを勝利クラスが獲得できることになっている。
今回は試験前にZクラスがナイフの購入に70ダイヤを消費していたので、残った30ダイヤの半分と勝利報酬である30個の合わせて45ダイヤがJクラスの物となったわけだ。
「話を続けたいところだけど、全員に一つ確認することがある」
僕はここで一度黙った。無意識のうちに尋ねるのを躊躇してしまったからだろう。
しかし、ここでためらってはこのクラスの未来は無い。
「全員、人を殺したことが無いな」
誰一人として微動だにしなかった。
その現実が答えを物語っていた。
僕が昨日の試験から抱いていた疑念、それは誰一人として相手に殺意を向けていないということだった。
「それが僕達がこのクラスにいる理由だろう」
「え……」
誰かが思わず声を漏らした。
教卓に両手をつき、昨日から考えていたことを口にする。
「今からこのクラスに関する三つのルールを定めようと思う」
僕は誰かが何かを言う前に人差し指を立て、話し始める。
「一つ目、クラスメイトだけは絶対に裏切るな。だけど仮に、このクラスを捨てると決めたやつは僕から裏切れ」
誰も何も言わない。ただ、黙って僕の言葉に耳を傾けている。
「二つ目、誰も殺すな。そして三つ……」
「ちょっと待ってください」
宝条君が立ち上がる。
なぜ敬語なのかを今は聞くべきではないと思い、言葉を飲み込む。
「少なくとも俺はボスの命が危険に晒されたら誰であろうと容赦なく殺しますよ」
「駄目だ。僕なんかの為に君の手を汚させはしない」
「ですが……」
「そもそも、宝条君がいながら僕が命の危機に瀕する事があるのかい?」
宝条君は少しの沈黙の後、片膝を床につけて頭を垂れた。
「ボスからそのようなお言葉をいただけるなんて……」
「お、おう」
「出過ぎた真似をお許しください」
そう言って彼は静かに着席する。
教室に戻って来てから宝条君の性格がかなり豹変したが、気にせず話を再開することに。
軽い咳払いをする。
「三つ目は、僕はみんなに嘘をつかないと約束する。だから僕を絶対に信用しては欲しい」
全員の顔をしっかりと見つめる。
「は~い、一つ質問」
話が一度区切れたところで、一人の女子生徒が手を挙げた。
彼女は食満未来、金髪のロングに派手な付け爪、いかにも多くの人がイメージするギャルを体現したような生徒だ。
「キミが強いことはさっきの喧嘩で分かったけど、信用できるかは別問題だよねー。試験の前と後で別人みたいに人が変わってるし」
「おい、ボスに向かってその口の利き方は……」
片手で宝条君を制す。
「確かにそれは当然の意見だ。ということで……」
僕はポケットから札束を取り出し、教卓に叩きつけた。金額は50万円。
この学校では試験などで獲得したお金は自身の銀行口座に振り込まれるようになっているのだが、この学園ではカードや電子マネーといった物が使えないため、基本的には常に現金を持ち歩かなければならないのだ。
そして今、僕が手に持っている50万は試験の報酬とMVPボーナスの合わせて100万の内の半分だ。
「このお金で今週の日曜日の午後六時から、寮の物置き部屋で親睦会を開こうと思う!!」
全員が黙った。
少し距離を詰めるプロセスとして親睦会は時期尚早だっただろうかと胸中で悶絶して転がり回る。
ああ、この空気どうしよう……。
しかし、打開策が浮かぶよりも先に怒木さんが言葉を発する。
「いいわね。すごく楽しそう」
「俺もその準備、お手伝いさせていただきます」
続けて宝条君も参加したい意欲を示してくれる。
「他のみんなも参加してくれると嬉しい。別に食費を浮かせるために料理だけを食べて帰ってくれても構わないからさ」
「えー、ちょっと楽しそうなんだけどー。ウチも参加したーい」
食満さんの態度が柔らかくなる。こういったイベントが好きなのかもしれない。
「是非参加してくれ。せっかくの学園生活だし、どうせなら楽しもうよ」
それは自分に言い聞かせる言葉でもあった。
※※※※※
試験のない日は普通にこの学園でも座学の授業がある。数学に国語、理科、社会に加えてマフィア学だ。
マフィア学は武器の扱いや、現在のマフィアの世情について学ぶ授業だった。
そんな平和な一日の放課後に、僕は毎日ホコリまみれの部屋と格闘していた。
怒木さんと宝条君が手伝いを申し出てくれたのだが、あまりの物の多さに三人で片付けるよりも一人のほうが効率が良いと思ったので断った。
数日かけて部屋で深呼吸が出来るぐらいにはキレイになったので、部屋の飾り付けの手伝いを頼もうと怒木さんと宝条君を呼び出した。
「空閑君、お待たせ」
「遅れてすみません」
「いや、頼んだ時間の五分前だよ」
「本当は三十分前には到着する予定だったんですけど、この女が……」
「何よ、あなたがセンスのないパーティーグッズを買おうとしてるから止めてあげただけよ」
「おい、何がセンスないだよ!!お前が買ったそのブサ猫のコップよりマシだろ!!」
「ちょっと!!ブサ猫って言わないでよ、サムライ猫のネコマゲちゃんよ!!」
「知らねえよ!!」
「まあまあ」
二人ともパーティーグッズを買いに行っていたところ、偶然にも店で出会ったらしく、喧嘩をしながらここまで一緒に来たようだ。
二人をなだめながらキレイにした部屋に招き入れる。
ドサッ、という音と共に二人の手からグッズが入った袋が落ちる。
「いやいや、これはもはや別の部屋でしょ!!」
「流石です。流石すぎですよ、ボス」
驚きで口をパクパクさせる怒木さんと、なぜか涙を流す宝条君。
「というか、あの山積みのダンボールとかはどうしたの?」
「僕の独断と偏見でゴミとそれ以外に分けて、ゴミ以外は整理してそこの押し入れに入ってるよ」
「えぇ……」
引きつった笑みで怒木さんが一歩退く。
解せぬ。
僕は気を取り直して手を叩く。
「さ、明日に向けて飾り付けをしていこう!!」
一悶着あったが、三人で持ち寄った物で飾り付けていく。
「ちょっと、そこの垂れ幕の高さが左右で違うわよ」
「コマけぇな」
「右が少し低いかな」
「了解です、ボス」
「ちょっと、空閑くんと私で明らかに態度が違うくないかしら!?」
とても学生らしいなんて思ってしまう。
文化祭に参加していれば、準備はこんな空気だったのかななんて……。
「どうしたの?」
物思いに耽っていると、現実が僕を呼び覚ます。
「ごめん、考えごとしてた」
もう「普通」を演じるのは止めたじゃないか。
僕は過去の記憶に蓋をする。
今はただ、自分らしく好き勝手にマフィアらしくない学園生活を送ろう。
次に記憶の蓋が開くときはきっと、過去と向き合わなければならない時だから。
「再開しようか」
そう言って二人に笑いかけた。
※※※※※
学園中に設置されている監視カメラの映像を切り替える。
「面白いこと言うな〜、彼は」
椅子に座り、ペンをクルクル回転させながらそうつぶやく。
この世界で「殺さない」事は「殺す」事より難しい。そんな中で彼ら、彼女らは不殺の道を行く。
これが面白くない訳がない。
「やっぱりボクが集めたJクラスは予想以上だな」
獅子堂深月は立ち上がる。
「ボクもゆっくりはしてられないな〜」
伸びをし、ひとりごちた。