4話
『ようやく気がつきましたか』
モニタールーム内に才木の声が響き渡る。どうやら相手のモニタールームにもマイクは接続できるようだ。
『僕様の完璧な作戦によって君たちJクラスはTHE・ENDさ』
目の前のモニターには弱々しく、しかし何度でも立ち上がる怒木さんが映し出されていた。
僕は怒木さんのインカムに何度もリタイアボタンを押すように呼びかけているが、もはや何も聞こえていないようだった。
『そろそろクラスメイトが死んじゃいますよ』
そのセリフと共に怒木さんが立ち上がらなくなった。画面を拡大すると、腹部に深々とナイフが刺さっていた。
「どうして……」
この学校では敷地内で日常品として包丁などを購入できるのだが、それを試験で使うことは許可されていない。
実際、僕も体育館に入る際に金属探知のゲートに加えてボディチェックも行われた。持ち込むなんて不可能に近いはず……。
『せっかく念には念を入れナイフを購入しておいたのですが、あなた達には不必要でしたね。想像以上のおバカさん達だったので』
少しの笑い声の後、通信が途切れた。
購入……、つまりZクラスは初期ダイヤ百個を利用して武器を購入し、昨日の内に見定めた中で一番強い生徒にそれを持たせたということか。
ダイヤで購入した武器ならば申請書を一枚提出するだけでそれ以降の全ての試験で使用可能となる。
「開けてください」
僕は後ろで見張っていた男性の教師に声をかけた。
「しかし、彼女はまだリタイアボタンを押しては……」
「もうどう見たって戦えないだろ!」
「しかしまだ合図は……」
「黙れ。早く退け」
久々に使った強い言葉に僕の心臓はバクバクと音を立てていた。
「おい、あまり調子に乗るなよ」
「合図を待つだけの犬に僕は止められない」
「俺は別にお前を殺したって構わ……」
男のポケットに入っていたスマホが鳴った。
僕に拳銃を向けたままスマホを取り出し耳に当てた。
「誰だ!取り込み中……し、失礼しました!いや、その……」
当然、顔色が真っ青になり電話の相手に謝罪と言い訳を並べ始めた。
何事かと様子を伺っていると男は扉を開け、心底不機嫌そうに「行け」と言った。
いったい電話の相手は誰だったのだろうか。気になるところではあるが、今は急いで一階に降りなければ。
階段を三段飛ばしで駆け下り、一階に辿り着いた時には怒木さんが担架に乗せられているところだった。
僕は怒木さんに一言、「ごめん」と伝えた。
※※※※※
私のもとに数人の足音が近づいてくる。
ああ、私はまた守れなかったのか。
複数人に持ち上げられ、担架に乗せられた。ぼやける視界の中で、後方の扉が開くのをとらえた。
ごめんなさい、私はあなたを守れなかった。
そう言いたくて、必死に口を動かす。しかし、感覚の失われた唇が動いているのか判断ができなかった。
その時、彼が私に「ごめん」と謝罪した。
どうして……。
私の理解が追いつかないまま、彼が続ける。
「後は僕に任せて」
医療班の応急処置が済んだようで、私の体が宙に浮いた。そのまま彼の背中から遠ざかっていく。
だけど、空閑君の背中は遠ざかっても大きく見えた。
※※※※※
「最後の一人だ。気合い入れてくぞ」
「「おう!!」」
運ばれて行く怒木さんを見送り、敵の人数を確認する。ナイフ持ちの生徒が他の生徒を鼓舞していた。
たった一日でここまで小隊をまとめられるとは、相当な実力者だろう。
しかし、ナイフ持ちの生徒をこんな中盤に出すということは才木は勝利を確信して小隊の順番を変えたに違いない。
要するにこの小隊が最終戦と言っても過言ではないということだ。
「はぁ、本当に自分が嫌になる」
苛立ちで歯を食いしばる。
「なんだよ、『普通』が常に正しいんじゃねぇのかよ」
無意識に口調が少し乱暴になる。
僕は片手で長い前髪を全て掻き上げた。すると、額の傷が露わになる。
「友達が傷つく『普通』なんて、もういらない」
両腕の完全に脱力させ、足を肩幅に開いて戦闘態勢に入る。
先生、今度こそ僕は守りたい物のためにこの力を使います。
※※※※※
最初は納得がいかなかった。このクラスで一番は俺だと信じ切っていた。
クラスのボスを決める時、いきなり才木が立ち上がりこう言った。
「僕様がこのクラスのボスだ。異論のある奴は僕に一撃でも入れてみろ」
この発言を聞いて大半の生徒が怒りを覚えた。中には興味無さそうに突っ伏して寝ている奴もいたが。
大勢で才木を取り囲み、一斉に殴りにかかった。
結果は惨敗。だけど、圧倒的な力量差の前では「悔しい」や「腹が立つ」といった感情が湧くことはなく、ただ何も感じなかった。
すると才木はつまらなそうに俺達を見て呟いた。
「使えそうなのは一人だけか」
そう言い、俺に手を差し伸べた。
「お前だけは他の奴らと違って見どころがある。今日からお前は僕様の右腕だ」
今まで自分が一番の環境で育ってきたためだろうか。
正直、嬉しかった。自分よりも強い人間に認めてもらうことが。
その後試験の内容が発表され、才木が独壇場で小隊のメンバーを決めていったが、全員敗北した手前、誰も口出しすることができなかった。
メンバーを決め終え、解散になったところで才木が俺に午後六時半に自分の部屋に来るようにと伝えてから教室を出て行った。
この学校はクラスごとにマンションがあり、出席番号順に部屋の階が分けられているのだが、部屋の構造は全て同じなのでそこまで文句が出ることもないようだ。
これが一般の生徒の話。クラスのボスに選ばれた途端、住む部屋は無条件で最上階となり、部屋もかなり豪華になる。
そして俺は今、その最上階の豪華な部屋の扉の前に立ち、インターホンを鳴らそうとしている。
時計をちらりと確認し、長針が六を指したので意を決してインターホンを押した。
ドアが開くと制服の才木が俺を出迎えた。かくゆう俺も荷解きが終わっておらず、まだ制服を着たままだが。
来客用のスリッパを履き、リビングに上がった俺は思わず目を見開いた。
ここまで高級感溢れる部屋だとは予想していなかった。
逆に言えば、部下とボスではこれだけの格の差があるということを思い知った。
「適当に座ってください。今、お茶を淹れます」
そう促され、とりあえず段ボール箱に囲まれたソファに腰を下ろした。
お盆にお茶を乗せやって来た才木は俺の対面の椅子に座った。
「早速ですが、本題に入らせていただきます」
俺は唾を飲み込んだ。
「君にこれを差し上げます。このナイフは決して安くないダイヤで購入しました」
「ど、どうしてそんなことを……」
俺が言葉を言い終えるより先に才木が言った。「期待していますよ」と。
確信した。俺は一生この人の下で働くんだと。
「ボスの期待以上の成果をお見せいたします!!」
俺はその場で両手を膝の上に置き、頭を限界まで下げた。
ああ、この方とならこの学園の打倒Xクラスも夢じゃない。
なんて、思い上がっていた時期もあった。
この二日でいかに自身が井の中の蛙かを思い知る羽目となる。
今、目の前にいるJクラスのボス。取るに足らない存在だと思い、名前すら確認していなかった。そんな自分が恥ずかしい。
背中を脂汗が緩やかに流れ落ちる。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い……。
絶対に思ってはいけない。そんなことはわかっている。だけど……、「勝てない」と本能が叫んでいる。
マフィアにとっての暗黙の掟、それは自身が仕えているボスが最高にして最強。そう信じて付き従わなければならない。そのはずなのに……。
脳が勝手に才木よりも強いと判断している。
その判断が間違いであることを証明するため深呼吸の後、俺はナイフを握り直し、前を向いた時にはそこに誰も立ってはいなかった。
「あれ?」と間抜けな声を上げた瞬間、右手首に電流が走るような痛みを感じた。
慌てて手首に視線を落とすと、そこには青紫に変色し、力無くくたびれた手がくっついていた。
「クッ!!誰か、ナイフを拾え!!」
痛みが頭を冷静にさせ、瞬時にナイフを手放してしまったことに気がつき仲間に命令をする。
しかし、誰からの返事も帰って来なかった。
「嘘……だろ」
見渡すと自分を除く全員が地に伏していた。遅れて気づいたように、四方八方からバンドの警告アラームが鳴り響く。
嘘だ、アイツがここに来てから三分も経過していないはず。なのに……。
「おい、どうして彼女に何度もナイフを刺した?」
突然、背後にから声をかけられた。振り向きたくとも、恐怖がそれを許さない。
「そ、それは……。確実に勝つためというか……」
考えろ!考えろ俺!!
なんて言えば正解なんだ!!
「そうか、確実に勝つためか」
そう言うと背後から気配がまた忽然と消えたかと思えば、五メートルほど離れた距離に再び姿を現した。
「なら僕も確実に勝つための行動とやらを取らせてもらうよ」
そしてまた姿を見失った。すると、景色が歪み始めた。
顔面を正面から殴られたようだ。目を離した覚えはないのに、一瞬の隙に距離を詰められていたのだ。
ああ、もう駄目だ。そう思い、バンドから警告アラームが鳴っていないか確認しようとしたが、自分の腕が見当たらなかった。
「お前が探しているのはこれか?」
そう言って俺の目の前に細長い肉の塊を投げ捨てた。
俺の腕だった。
「あああああああああああああああ!!」
「喚くな。黙れ」
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!
ナイフで俺の肘から下を切り落としたって言うのか!?刃の長さは十五センチちょっとだぞ!?
「僕の友達を傷つける腕なんか必要無いよな」
痛みと恐怖が襲ってくるなかで見た彼は、どこか獅子堂深月を彷彿させた。
ここから先の記憶は無い。
※※※※※
「こいつで最後か」
僕は残りの小隊を殲滅し、Jクラスを勝利に導いた。
しかし気分は晴れず、手に持っていたナイフを才木が見ているであろうカメラに投げつける。
最後に龍ケ崎先生がJクラスの勝利を宣言し、第一回通常試験は幕を閉じた。
その日の放課後は僕以外のクラスメイト全員が病院待機だったので、Jクラスの寮の男子部屋に向かった。
「荷物を荒らされてないといいな」
そう祈りつつ部屋に入ると、以外にも各々が支給の敷布団を敷いているだけで、無造作に荷物が散らかされたり、僕の荷物が荒らされていることはなかった。
案外、皆おとなしい性格なのかもしれない。もっとも、Jクラスに配属されている時点で何か訳ありなのは確定であるが。
流石に僕も疲れていたので自身の敷布団を敷いて、その日はすぐに眠りについた。
翌朝、僕は制服に着替え、相変わらず微妙に長い前髪についた寝癖を直し、Jクラスの教室に向かった。
途中で包帯まみれの怒木さんに出会い、病院に戻るように伝えたが、意地でも行くというので諦めた。
「本当にどこも怪我してないの!?」
「まぁ、うん」
「空閑君ってもしかしてかなり強い?」
「それなりには?」
「ふふっ、どうして疑問形なのよ」
怒木さんは怪我に似合わないような笑みを浮かべる。
「はぁー、道理で私を助けた時に血まみれだったのに目立った傷が無いと思ってたのよ」
嘘がバレたことで背筋が伸びる。
「ごめん、嘘つ……」
「空閑君が無事だったのなら、なんでもいいけどね」
昨日の行動は本当に「普通」を捨ててまで取るべきものだったのか疑問だった。
だけど、僕を心配して、こんな風に笑いかけてくれる友達が横にいる。
だから今は、今回は間に合ったことを喜ぼう。
「心配してくれてありがとう」
「友達だから心配するのは当たり前よ」
僕が少し照れている内に、気がつけばJクラスの教室前まで辿り着いた。
扉を開けると僕たちが最後のようだった。
教室の空気がピリピリしているように感じられるが何故だろうか。
疑問を胸に抱いたまま、悩んでも仕方がないので席に着く。
その後まもなくして、龍ケ崎先生が前方の扉を開けて入室してきた。
「全員揃っているな。それにしても宝条、そんなにソワソワしてどうした?」
「チッ、分かってるくせに」
「何がだ?」
龍ケ崎先生が口角を少し上げ返答する。
「ああ゛?俺が一番退学にされる確率が高いってことだよ!!」
宝条君は勢いよく両手を机に叩きつけた。
僕は少しの思考の後、答えにたどり着く。
なるほど、彼は僕が負けたと思っているから退学とか言っているのか。
まあ確かに、僕の恨みを買っているとしたら初日に指をさして僕を罵倒した宝条君ぐらいだろうからな。
「だそうだが」
視線が宝条君から僕に移る。昨日の報告をしろということだろう。
「龍ケ崎先生、昨日の総括を行ってもよろしいでしょうか」
「構わん」
許可を得たところで僕は皆の前に出た。
「えーと、昨日の通常試験はJクラスが勝ちました」
全員の頭上に「!?」が見えた気がした。
「嘘言ってんじゃねーよ」
勝手に退学を覚悟している宝条君だけが次々と発言をする。
恐らく他の生徒は不用意な発言で退学の標的にされるのを恐れているのだろう。
「話を聞い……」
「くだらねぇ」
「だから話を……」
「なんだ?俺を慰めるための嘘か?お前に情をかけられるぐらいなら死んだほうがマシだ!!」
「だから……」
「俺は自分より弱い奴の話は聞こえねーんだ」
こ、こいつ……馬鹿すぎる。
「もういいや。グラウンドに出て」
「ど、どうして出なきゃ……」
「早く」
宝条の背中に妙な悪寒が走る。
小さな舌打ちの後、僕の後ろに続いてグラウンドに出た。
Jクラスにも一応グラウンドが与えられているが、X〜Zクラスの十分の一程の面積、ドッジボールのコートの半分ぐらいの大きさだ。
殴り合いをするだけなら十分な広さであるから別に構わないが。
「さあ、喧嘩するよ」
「は?」
僕はつま先で地面に自分を中心とする半径五十センチほどの円を描いた。
「僕はこの中から動かない」
「何を言ってんだ」
「ここから動かなくてもお前を潰せるって言ってるんだよ」
「はっ、死んでから文句を言うなよ」
こういう自分の力に絶対的自信があるような奴は、一度圧倒的な敗北を知らないと他者を認めるということができないようだ。
「勝ったら話を聞いてもらうよ」
それにしても、暴力で訴えることに躊躇いがない自分に少し驚く。
どうやら僕は既に、この学園色に染まりつつあるのかもしれない。