3話
「さあ、入って」
「お邪魔します」
とりあえず一晩だけ怒木さんの部屋に泊めてもらうことになった僕は先にお風呂を借り、頭と体を流し終え、帰る途中に750円で揃えた衣服を着て浴室を後にする。
「お風呂ありがとう」
「いいのよ、それぐらい。それよりお昼にしましょう」
服を買うのと一緒に怒木さんの千円と僕の250円で今日の昼・晩ご飯を購入していた。本当に申し訳ない……。
食事の後は学校のルールや他愛のない会話をしながら時間を潰し、夜が更けてきたので寝ることに。
「電気消すわよ」
そう言うと、暗くなった部屋に静寂が訪れた。
「一つ聞いていいかしら?」
「どうしたの?」
お互いなかなか寝付けないようなので、もう少し会話は続行されるようだ。
「あなたはどうして普通にこだわってるの?」
返事に迷い、少しの沈黙が訪れる。
「ごめんなさい、忘れ……」
「普通でいることでしか守れないものがあるってことを、中学の時に痛い目を見て知ったんだ……」
「そう……、大変だったわね」
二度目の沈黙の後、話を切り上げるため口を開いた。
「明日は通常試験だし、もう寝ようか」
「そうね」
そしてお互い色々な物を心に抱えながら、背を向け合って目を閉じた。
※※※※※
翌日、生徒全員が教室に集まったところで龍ケ崎先生が入ってきた。
昨日のことがあったので、それまで各々していたことの手を止め全員が椅子を座り直した。
「いい心構えだ。それでは、本日の通常試験について説明を始める」
そう言うとチョークを手に取り、必要事項を黒板に書き始めた。
「まず、昨日も伝えたはずだが通常試験のルールはシンプルだ。初回となればなおさらな。だからと言って油断はするな。しっかりとルールを頭に叩き込んでおけ」
ルール
・ボスは体育館二階のモニタールームで司令塔として指示を出す
・その指示のもと生徒8〜10人でクラス内で小隊を作る
・その小隊を相手クラスの小隊と戦わせる
・勝った方の小隊はそのまま相手の次の小隊と戦う
・最終的に相手のクラスの小隊を全て撃破すると勝利
「8から10ってことは……私達のクラス以外は最大10個も小隊が作れるってこと!?」
僕の斜め前の座席の派手なアクセサリーを身に着けた女子生徒が声を上げた。
彼女の言う通り、僕たちJクラス以外は基本一クラス八十人ほどが在籍している。不利なのは明白だ。それよりも……。
「先生、質問よろしいですか?」
「なんだ?」
隣の怒木さんが挙手をした。
「このクラスは空閑君を除くと7人しか在籍していませんが、どのように対応するつもりなのですか?」
そう、それだ。
さすがにボスである僕にまで試験に参加しろとは言わないだろうと、高を括っていた。
しかし、それが甘い考えだとすぐに思い知る。
「その話を今からするところだ。このクラスは人数が足りないため、七人が全滅した後にボスが戦闘に出るという特別な措置が取られることとなった」
僕は頭の中で簡単な計算をする。
1対10の構図もあり得るということが理解できた。
何も嬉しくない。
「あのー、僕も一つ質問いいですか?」
僕は恐る恐る手を挙げた。
「なんだ?」
「全滅の定義ってなんでしょうか?」
頼む。「死」以外であってくれ。
「これから渡すリストバンドの警告音が鳴ったら、その生徒は退場することができる」
そう言い、教卓の下に置かれていた段ボール箱からリストバンドを一つ取り出した。
「これは装着者が命に関わるよう状態になったと時に警告音がなるように作られている。それと同時にこのバンドの画面にリタイアボタンが表示されるのでタップすればその生徒はその場ですぐに担架で医務室に運ばれる手筈になっている」
つまり死ぬギリギリ手前まで戦い続けなければならないという鬼畜ルールだ。
「ちなみにリストバンドへの直接攻撃、リタイア済みの生徒への攻撃は禁止されている」
そう言うと、先生は僕たちにリストバンドを投げて配る。
「他に何か不明な点はあるか?」
他の生徒の様子を伺ったが、誰も質問は無いようだった。
「よし、それでは全員第八体育館に移動だ」
※※※※※
第八体育館の前に到着すると、恐らく対戦相手のクラスであろうZクラスが入口前に群がっていた。
そして僕たちを見つけるとボスらしき人物がこちらに歩み寄ってきた。
「おやおや、Jクラスの皆さんではないですか」
「そうですけど……」
「アハハハ。皆さん、聞きましたか?ゴミが喋りましたよ」
「これは傑作ですね、ボス」
後から怒木さんに教えてもらったことだが、Jクラスの「J」はジャンクのJとしてX〜Zクラスまで噂が広がっているらしい。
嫌な笑い声が僕たちに次々と飛んでくる。
「そんなに怒らないでくださいよ」
そう言いながら僕の肩に手を回す。
「僕様は天才だからジョークのセンスがありすぎるのよ」
「落ち着いて」
「何を言ってるんだい?僕様は常に冷静だよ」
「お前じゃない。宝条傲鬼、君だ」
昨日の内に怒木さんと生徒の名前を暗記しておいてよかった。
宝条君は大柄な生徒で短期なところが目立つため、昨日何度も注意されていた生徒だ。
僕の静止も聞かずに今にも殴りかかりそうな宝条君を龍ケ崎先生が止めた。
「これ以上の試験の遅延行為はお前を失格とするぞ」
大きな舌打ちと共に宝条君は両手をポケットに入れ、怒りを抑えた。
「才木、お前もこれ以上無駄口を叩くようなら失格にするぞ」
「おー、怖い怖い。挨拶はこのぐらいにしておきましょう。皆さん、行きますよ」
そう言い、才木はクラスメイトを引き連れて体育館の中に姿を消した。
その後、やるせない思いのまま僕たちJクラスも体育館の中へ。
入ってすぐに他の七人と別れ、僕だけモニタールームに向かった。
一階は障害物として複数の柱が設置されており、地形を利用した戦い方も求められるようだった。
そんな一階の戦場を死角が無いよう映し出している大画面のモニターと、全員に事前配布されたインカムに指示を送るマイクが設置されているだけの薄暗い部屋となっていた。
マイクや手元のボタンの動作確認を終え、少しすると前方からZクラスの最初の小隊が入場してきた。
「それでは早速、第一試合を始める」
各々、首や肩を回して準備万端といった様子だ。
「それでは、始め!!」
一階の救護班などが待機している部屋の前で龍ケ崎先生が声を張り上げ、試合開始を宣言した。
その後、戦いに巻き込まれないよう部屋に入っていく。
最初に煽られたのもあり、全員のやる気が異常に高い。
その影響で第一小隊を十分足らずで全員を戦闘不能にしてしまう。
クラスメイトは僕が思っている以上に強いようで、ボスの出番が来ることは無さそうだった。
その後の試合も淡々とJクラスが勝利していき、Zクラスの小隊は残すところ五部隊となった。
何かが変だ。そう僕の直感が訴える。
何かとても大きなミスをしているような不安が僕を襲う。
その時だった。唐突に宝条君が吹き飛び、コンクリートの柱で背中をぶつけて口から血を流した。
どういうことだ。あの体格の宝条君が容易に吹き飛ばされるなんて……。
「ああ、そういうことか」
僕は思わず立ち上がってしまった。
ここまでが才木の作戦の内なのだ。
才木は序盤の小隊に弱い生徒を集め、最初に僕達を煽ることで弱い生徒に体力を大幅に使わせる。
その後に優秀な生徒を集めた小隊をぶつけることで、殲滅しようとする作戦だったんだ。
僕は勘違いしていた。
この試験は生徒それぞれの強さをボスが把握する試験、いわばボスのためのチュートリアルだと。
しかし、現実は違った。この学園がそんな優しさを含めたカリキュラムを組んでいるはずがなかったんだ。
こんな芸当ができるのは入学初日からクラスを完全に掌握できたボスのみだ。
素直に才木がを凄いと思ってしまった自分が悔しい。
また一人、地に伏せ、バンドから警告音がが鳴り響く。
「めんどいわ」
そう言いながら倒れ、リタイアボタンを押す生徒。
意識が飛びそうな状況で、歯を食いしばりリタイアボタンを押す生徒。
気絶してしまい救護班に回収されていく生徒。
戦場に居るJクラスの生徒は気づけば怒木さん、ただ一人になっていた。
他の生徒の倍以上もの血を流し、何度倒れようとも彼女は立ち上がった。
まるで警告音など鳴っていないかのように。
※※※※※
気づけば私の頬は地面と密着していた。口の中は血の味でいっぱいだ。
そうか、私は殴られて倒れたんだった。
情けない。最初の方に体力を持っていかれて後半の小隊に圧倒されるなんて。
腕から甲高い警告音がぼんやりと聞こえてくる。
押したら楽になれる。死ぬのは今じゃなくていい。もっと楽に死にたい。
我儘だな、私……。
あれ、私はまた死にたいと思ったの?
どうして「また」なんて思うのだろう。
ずっと死にたいと思っていたはずなのに……。
脳裏に空閑君の笑顔が蘇り、妹の笑顔と重なった。
霧がかっていた思考が晴れていく。
あぁ、私は彼と出会ったせいで少しだけ生に執着してしまっているようだ。
二度と失うわけにはいかない。私に笑顔を向けてくれる大切な人を。
言うことを聞かない膝にムチを入れ立ち上がる。
「絶対に守る!!」
口の中が血まみれで、発せているかもわからない声で私は叫んだ。
相手がニヤついた笑みを張り付けた顔で歩みを進めてくる。勝利を確信した顔だった。
昨日の奴らは空閑君のタフさに嫌気が差して帰ったと言っていた。
彼は自分はタフなことだけが取り柄だって言って笑っていたけれど、かなり負傷しているに違いない。
ここで私が退けば空閑君は間違いなく死ぬ、運が良くても長期間入院する怪我をするだろう。
私は長らく記憶の奥で蓋をしていた血桜での訓練を思い出す。
短く息を吐いた。
地面を強く蹴り、一番小柄な生徒の間合いに飛び込んだ。
その瞬間、確かに私の脳は握りしめた右手を相手の腹にねじ込むように信号を送ったはずだった。
しかし、右手は動かなかった。
視界から色が消えていく。気づけばまた私は地面に背中をつけていた。
ああ、血が止まらない。
右の腹にナイフが深々と刺さっていた。
その後、同じ痛みが腹に何度か繰り返された。