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前日談8 大きな背中が小さな背中に

 最終的な検査項目を全て終え、前日からの食事制限もクリア、いよいよ手術当日となった今日も入院当日と同じ位の心地好い晴天だった。

 もう慣れた病院までのルートを渋滞も無く運転し、スムーズに駐車場に車を停める。

 あまり慣れたくない非日常の日常化であったのだが、こんな日々もあと少しだ、父も無事に手術が終わって日常へと回帰していくのだ、と家族全員が信じ続けている。

 現在世界中で進行中のコロナ禍の事は正直私達でどうこう出来る話では無いから今は置いておくけど。

 

 世界はもうコロナ禍によって全てが変わってしまった。


 終わりの目途が見えない非日常の日常化は、今までの常識や物流、消費活動、働き方や日常生活や人との関わりも全てまるでファンタジー異世界に人類全員が強制転移されてしまった様だった。


 そんな中においても、私達の日常を、仕事で毎日バタバタし騒がしく忙しなく落ち着かない日々を、定期的にクレームの処理が続く日々なんかも・・・うん、何かやっぱり一部はそのままコロナ禍のドブと一緒に捨て置いといて残りを取り戻していきたいなと。

 それが困難である事は百も承知ではあるのだが、私達はそう願っているしその為の段取りも今の内から組んでいかなければならない事を自覚もしている。


 手術当日という事もあり、私も母も道中ほとんど会話も無かった。

 どれだけ事前に執刀医とのコミュニケーションがあっても、どれだけリスクが低かろうと、全身麻酔を施した上で外科手術を行い前立腺、およびその周りのリンパも切除する、という事実は重く手術が無事に終了出来るのか、ガンの転移は無いのだろうか、術後の体力、気力面はどれ位落ちるのだろうか・・・気になる点が想像する毎に出てきて、それ等が私達の口を重くした。


 私達が個室に入った時には看護師と父が今日の手術の為の点滴の交換作業を行っていた。

 手術前日から食事の制限を受け、最後は腸の中空っぽな状態にして準備万端な状態になった父は流石に顔色良い状態とは言えない感じで、その顔を見たら気の利いた事が言える状況では無くなった。


 「手術は今日午前中からだよな?」

 「ああ、午後早い内には手術は終わると言っていたから、夕方前には麻酔も切れ始める様だな」


 会話が続かない。

 退院後皆でどこで何を食べようかとか、現在計画無期延期中の旅行の件とかそういう未来の楽しいイベントの話でもすれば良いのに、このコロナ禍の中でどんな楽しいイベントがあると言うんだよ、という内心の怒りによって肝心な時に気の利いた話のひとつも出て来ない自縄自縛な状態に陥ってしまい、そんな自分が嫌になって来る。

 

 「まあ、先生は問題無いと言ってるし、ガンを摘出して病院退院してリハビリ開始して日常生活に戻らないとな」

 「無論そのつもりだが、こればかりは判らないからなぁ」


 こんな感じのギクシャクした会話がしばらく続いている内に、手術室に移動する時間になった。


 聞くと驚いた事に、手術室へは自分で歩いて行くのだそうだ。

 ま、そらベットに寝かせられ運ばれる様な体調でも無いし、自分で歩いて行けるのならそっちの方が良いに決まっているのだが、何か私自身が想像する移動式のベッドに寝かせられ、家族が手を握りながら手術室に入って行く、というテレビや映画でおなじみの「テンプレートな手術室に向かうシーン」の印象とは随分違っていて、驚きを感じずにはいられなかった。

 まあしかし、よく考えれば私が知っている常識の範囲なんて所詮そんなものなのだろうな、とも思った次第。


 病室を出てエレベーターに父と母と私と案内役である看護師の4人で乗る。


 エレベーター内では誰一人言葉を発する事無く、ただ機械の動作音だけがエレベーター内に響いていた。

 やがて、目的のフロアに到着すると、


 「ではここを曲がった所に手術室があります。手術室前には扉がありますので、患者様以外はその中に入らないで下さい」


 と説明があり、看護師は元のフロアに戻っていった。


 目的の手術室は同じ区画に複数の手術室がある為、一番手前の自動ドアで関係者とそれ以外を隔てられる作りになっていた。

 ここからは、病院関係者でも直接手術に関わる医療スタッフ達、そして手術を受ける患者本人達しか入る事は出来ない。


 「じゃあ行ってくる」


 手術室に一人でトボトボと歩いて向かって行く入院着を着た父の背中に対し「何か言わなければ」と思ったのだが、何も頭に思い浮かばない。

 呆れる位彼に対して言いたいことが、言わなければならないと感じた事が全くもって台詞として思い浮かばなかったのだ。

 だから、


 「「いってらっしゃい」」

 「ああ」


 と気の利いたセリフ成分ゼロ感な最低限の事しか私達親子は思い浮かべなかったし言えなかった。


 点滴を刺したまま、点滴スタンドをゴロゴロ転がし父が手術室に向かって行く。

 やがてセンサーに反応した2枚の曇りガラスで中の様子が見えない自動ドアがワァーッという動作音と共に左右に引かれて開く。

 開いたその先には幾つかの手術室への入り口と出入りする医療スタッフの姿が見て取れた。


 手術室への区画に入り、徐々に小さくなっていく父の姿は開いていた手術室入口の扉が閉まる事で一瞬にして消えた。


 今まであれだけ大きく感じていたはずなのに、随分と小さく感じられてしまった父の背中が扉の向こうに消えた後でも瞼にこびり付いて離れなかった。


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