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洋行記編4 日本現地時間8月10日木曜日AM05:27

 「で俺が19歳だった1990年、この年はジイジは46歳。今俺が52歳だから今の俺の6年前の年齢だった事になるな。この年は前年に崩御された昭和天皇の継承で今の上皇さまが天皇陛下として即位の礼、大嘗祭を執り行った年だった。でもって日本の株価が本格的に大暴落した年でもあった(注:この年に日経平均は1月4日の大発会30,165円52銭>大納会23,848円71銭と実に1年で39%の下落、と文字通り大暴落の年になりました)し、後は金融自由化、要は銀行とか証券とか信託とかの業態の垣根を取っ払おうぜって話が進んだ年でもあったりするわな。・・・まあこれが本格化するのは橋本政権時だった1996年に金融ビッグバンと言われた金融市場の活性化や国際化によってようやく今の状態に近しい形になったんだがな・・・で、海外に目を向ければ、東西ドイツが統一された年でもあるし当時フセイン大統領が率いていたイラクがクウェートを侵攻して湾岸戦争が起こった年でもあったな・・・」

 

 と思い出しながら指折り数え当時の発生イベントを口に出す。

 大嘗祭は89年の大喪の礼とセットだし、この年の株価暴落と金融自由化、翌年91年には株価暴落を原因とした証券スキャンダルが発覚して、その結果として損失補填や取引一任勘定が法改正で禁止される事になった。

 更に次の年である92年には地価下落加速化と宮澤内閣による不良債権問題での公的資金投入の提案と失敗はセットで覚えやすい出来事だ。

 89年のベルリンの壁崩壊と翌年90年の東西ドイツ統一は連続で起きた出来事だし、同年のイラクによるクウェート侵攻は80年代に起こったアラブ諸国内での協調減産体制の崩壊による原油価格の暴落を遠因とするイラクの経済的危機に対しての一発逆転アタック、と言う側面でみりゃ80年代の総括って見方も出来なくもない。


 「父さんなんでそんなにその当時の事を覚えてるの?」


 と息子が怪訝な顔で聞いて来る。

 ああ、まああの当時はまだ私も未成年だったし、全部が全部意識をして覚えていた、と言うより何となく記憶の片隅に置いといていたアーカイブを大人になってから当時の様々な時代検証を加えつつ当時の記憶とそれを合致させ記憶のアップデートしたモノを思い出す作業をした結果だと言えた。

 高校生~大学生時分は今ほど経済に関しては興味が無かった頃だったしな。


 「高3だった89年には当時日経平均株価が最高値だったんだが、その翌年からバブル経済が崩壊の一途を辿るある意味記念年だしね。89年のときゃバブル経済がマジで最高潮でオメェさんからすれば想像もつかないだろうけど、テレビじゃどの局も毎日毎日羽振りの良いバカ騒ぎ&与太話ばっかりで、俺達も大学生になればそら夢の様なキャンパスライフ&バイト生活が送れるもんだとばかり思ってたもんさ。90年のときゃ予備校生だったけど、世界史選択だったからクウェート侵攻とかで『テメェフセイン、世界史のネタ増やすな!』ってブチギレた記憶があったし。でも経済ネタとかはむしろ日本帰国後、社会人になってから自分で興味を持って補完&復習して昔の自分の記憶と合致させたケースの方が多かったかな」

 

 そうこう言ってる内に電車は品川駅に到着した。

 駅に到着する前には下車する為にドアの付近に移動する乗客が多く、私達が位置する中央付近は一瞬ではあるが空間がポッカリと開いた。

 ただ、父と息子が座っている座席の両隣共に空かなかったから、私はそのまま立っている事になる。

 どうせ、品川駅を過ぎたら10分ちょいで羽田空港第3ターミナル駅に到着するんだ。

 ドアが開いて降車する乗客が下りたら、それよりか若干少ないかなレベルの人数の乗客が乗って来て、車内は直ぐに混雑する事になった。

 そしてその乗客の大半がスーツケース等を所持していたので、この混雑は空港まで続く事が確定した。

 コロナ禍前もこんな感じだったから、そう言う面でもアフターコロナが徐々に日常生活の一コマになりつつある事が体感出来た。


 「オメェさんだってもっと年を重ねてくりゃ、ひょっとすれば今こうして3代に渡った親子でくっちゃべった話とかを『当時の世相や事件、出来事と重ねる様な形』で思い出してオメェの子供に語る日が来るかも知れんぞ。そん時の『思い出す用フック』として便利なんだよ。ああ、あんときゃこんな目に遭ったなぁとか、こんときゃこんな事もあったわなとか、個人の出来事と当時の世の中の流れって直接の原因になっていなくても案外と関わりがあったりするケースってまあまあな頻度であったりもするし、仮に無関係であっても何かをポッと思い出す時に経糸緯糸の様な関係で同じ年の出来事とかを知っていると、少なくとも俺の場合は思い出したりするのに便利なツールだったりするんだよね」

 「ふーん、そう言うモンなのかねぇ・・・」


 と息子殿は興味無さげの御様子だ。

 まあ同じ年代だった頃の私の事を思い出せば、今目の前でボヤいている息子と比較しても、まあ大した違いがあった訳では無いのだが。

 

 「ひょっとしたら君が言っている様に今のまんまで全く需要が今後も無い場合が大半なのかも知れないけど、もし今こうして俺達が駄弁ってた記憶と今現在の世の中の流れとかを今後君がもっと年齢を重ねた時に過去を思い出したい時があったら、今日こんな話をしてたなって事を頭のどっかに置いといてよ。役に立つかもしれないから」

 「で、そん時ゃぁ横にジイジが一緒に座ってたなぁ、ってのも一緒に思い出しとけよぉ」


 とジイジが喜色満面で孫の頭をグリグリ撫でまわす。

 当然息子はスゲェ嫌な顔しながらそれを仕方が無いと我慢し受け入れる。

 まあ、昭和の年寄りってのはこの手のスキンシップがまあまあな割合で好きな連中が多いんだろうし、その行為に関してもミリも悪いとも思っていないだろう事も想像に難くない。

 そして、平成~令和のワケェモンの大半は、んなアホみたいな肉体コミュニケーションとかマジで勘弁な、人としての距離感をもっと大事にしてくれないと冗談抜きで厳しいっス、って見解なのも判る。

 そりゃぁなぁ妻曰く、彼女が務めていた某メガバンの本社ですら、当たり前の様に毎回女子社員のケツ触るのが日常のコミュニケーションの一環って上司がいた位、昭和~平成初期のコンプラって今の基準で言っちゃえばボロクソな状態だし、パワハラ>鬱>退職のゴールデン労基コンボが当時は「アイツ根性ねぇな」で片付けられた時代って、やっぱり今日日のワケェモンからすれば、オメェラどんな鎌倉武士なんだよ、修羅の国の住人なんだよ、って言われてもしゃーないモンがあったりする。


 「まあいずれにしても、今回の旅行で色んなとこ行くと思うけど、ジイジと俺と君とでは今まで育った環境も違うし時代も違うし積み重ねた経験も違うから、持ってる物差しの種類も長さも違って来る訳だ。そうすると、当然同じものを見ても全く違う感想を抱く可能性もあったりする。だから、あああん時ジイジはこんな事言ってたな、とか御父上はこのような事を仰ってたな、とか君の印象と違うメッセージや感想が出て来る事になるから、そう言うのも色々体験出来るチャンスだと思うぞ」

 「少なくとも俺は『御父上が仰ってた』なんてぜってぇ口にしないけどな」

 「ああ、嘆かわしい、ここまで一生懸命育て上げて来た息子にこのような事を言われるとは・・・」

 「俺もお前からそんな殊勝な言葉使いされた事一度も無いけどな」


 と息子の横に座る親父殿から御丁寧なツッコミを満面の笑みで賜る。

 黙りねぇ。


 そんな事を話していたら、もう京急蒲田駅に到着した。

 快特の場合だと次の停車駅が羽田空港第三ターミナル駅だから、駅に到着する前には降車の準備をしないといけない。

 無論、駅に到着して皆降車してから悠々と降車するって手段もあるのだが、改札を出てから目の前に複数のエレベーターがあって、先に降車した人達で使われるケースが多いから、そうすると次のエレベーターが下りるまで待つか、エレベーター乗り場の横にあるエスカレーターを使用する事になる。

 ただし、私達家族の場合親父殿が非常にせっかちだから、中国に出張する時なんかもドアが開いたら直ぐに降車して直ぐに改札を抜けて直ぐにエレベーターホールに向かい直ぐにエレベーターに乗る事がデフォ、と言うコッテコテ濃縮昭和なオッサンなもんだから、のんべんだらりとエスカレーターで時間を掛けて3階の出発ロビーに赴くって選択肢は標準装備から外れていたりする。

 でもって、会長と私の2名で中国出張する時には何となく先んじてエレベータを確保するのは私の役目だったりするのだ。

 別に彼が私にオーダーした訳でも無いし、今回の旅行でわざわざ同じ事しなくても良いんじゃないか?とも思うのだが、まあ私が行うルーティンの様なもんだと自分勝手に認識しているだけの話なんだけどね。


 京急蒲田駅から羽田空港第三ターミナル駅に向かう途中、もう電車は地下に潜り周りの景色が見えない状態になった。

 目安となる大鳥居駅を通過するのを確認しながら、私は


 「ん、じゃあ先に」

 「おう」


 と父と短い確認を交わし、一足先に乗降口の方に向かう。


 頭に?マークがグルグル回っている状況が呑み込めない息子には、父の方から説明があるだろう。

 元々品川駅から乗車していた座れなかった乗客や、蒲田から乗車した乗客達が先に乗降口に複数立っていたので、その手前の所にポジションを取った。


 やがて電車は減速しながら羽田空港第三ターミナル駅のプラットホームを滑って行く。

 減速のGが緩やかになって行き、完全に停車する段階になり、多くの乗客が乗降口の近くに移動し、自分もそれに倣う形で近づいた。

 でもまあ、それでも押し合いへし合いで「仁義なきポジション争い」な状況にならないだけ、海外の電車の乗降と比較したら天国の様な状況なんだけどね。


>日本の株価が本格的に大暴落した年


 でもって、この翌年1991年には本格的に地価が下落を開始してしまい、全国的な地価を担保にしていた信用棄損による不況と資金繰りの急速な悪化、その翌年1992年には当時宮澤内閣の時に金融機関の保有する多額の不良債権問題で公的資金投入がメディアを中心とした世論の反対の為に擱座し、そして失われた30年への最後のトリガーを引いた象徴的な年となった1997年へと文字通り坂道を転げ落ちる事になったのは皆様も御承知の通り。


>損失補填や取引一任勘定


 逆に91年まで明確に法律で禁止されていなかったのかよ、と今のワケェモンビックリするんだろうけど、昭和ってそんな時代だったんですよとしか言いようが無いw(この時は既に平成だったのだけど、失われた30年ってぶっちゃけ昭和バブル経済の総括だった、と言う側面もあるんで個人的には昭和の範囲内だったりするんです)


>俺達も大学生になればそら夢の様なキャンパスライフ&バイト生活が送れるもんだとばかり思ってたもんさ


 氷河期一期生の苦難は正に『日本版狂騒の20年代』からの華麗な梯子外しが就活におけるスタートポジションになってしまった、と言う点でして、そこからの政官学スクラム組んだ棄民政策が長きに渡って「社会的地位も経済的自立もキャリア形成も家族構築も全てを当時の現役世代の雇用や社会保障を維持する為に奪われ続けた世代」の大量生産につながったのは皆様も御承知の通り。

 や、マジで冗談抜きで『あれは嘘だ』がまかり通る、そして当たり前の様にそれが許された時代でした。


>京急蒲田駅


新空港線(蒲蒲線) メインページ

https://www.city.ota.tokyo.jp/seikatsu/sumaimachinami/koutsu/kamakamasen/shinkukosen-main.html


 この新空港線が出来たらJR・東急蒲田駅と京急蒲田駅がダイレクトで繋がる事になるから、羽田空港から渋谷、新宿、池袋方面へのアクセスがだいぶ良くなるので、品川駅のボトルネックはある程度解消する可能性がありますね。


>海外の電車の乗降と比較したら天国の様な状況


 で、最近では中国の電車の乗降混雑レベルをインド人はまるで天国の様だ、と仰る訳です。

 中国の電車における混雑状況とかってマジで日進月歩のスピードで開発&改善が進むから、10年どころか2~3年で一昔どころか二昔レベルで状況が変化し続けていたりします。

 逆に言えば今からもう20年以上も昔、私がまだケツの青い30代だった頃の中国とかは冗談抜きで修羅の国でしたから、今の中国のワケェモンにとっても当時の中国とか異世界レベルのカルチャーギャップがあったりするんじゃないかなぁ?


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