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前日談6 計画が止まる。世界も止まる

 今回の検査よりも数回前に受けた検査位から血液検査の結果で前立腺ガンの可能性について微妙なレベルで数値が上下していた、と言う話は以前から聞いていた。

 そこでセカンドオピニオンを欲しゴルフ仲間経由で今回の病院を紹介され、色々と検査を受けたそうだ。


 「で、現時点ではガンとは確定はされていないの?」

 

 出されたお茶はお替わりの分も飲み切って、そこに残った茶葉の濃い部分を回すように湯のみを触りながら聞く。


 「先生の見積もりではガンの可能性が高いだろうって。で来年早々にはもっと細かい検査をする予定なのよ」


 急須でお替わりのお茶を注ぎながら母が言う。そろそろ出涸らしになる頃か。


 「でそこでガン確定、あるいは黒に近いグレーなら即手術なんだろうけど、違ったとしても微妙なグレーゾーンなら切ったりするもんなの?」

 「そうなのよ。私は心配だからこの機に切っちゃえば良いって言ってるのよ。でもあの人はなかなかうんって言わないのよねぇ。だから貴方からも切る様に言って貰えないかしら?切っちゃえばもう心配無いんでしょ?」

 

 いやいやそういう問題じゃ無いだろ。

 

 本人じゃ無きゃ切っちゃえ切っちゃえで心配の種を取り除いてやれやれ一安心だぜ、ってしたい方に重心が片寄るのは判らんでも無いけど。

 ましてや妻目線だと高齢になった夫の性機能なんざ存在そのものがリスクにしか映らないだろうから、そういう診方になるのも仕方が無いのだろうけど、本人からすればそれ以外の面も含めて手術後のQOLが重要になって来るのは当然な訳で、その辺りも含めて本人の意向ガン無視で一方的に進めようとすれば、絶対に揉める。


 診断や判断、選択の為の各種情報は私達が調べたり医者のアドバイスを受ければ良いが、そこからの最終ジャッジは本人に委ねられるべきだと思っている以上、私の方から切れとは絶対に言えない。


 「そもそも本人が私とも病気の件で具体的な話がしたいと言うなら、幾らでも話をする機会を設けるけど、夫婦だけで話し合いが完結する事を彼が望んでいるのなら、多分俺の出る幕は無いと思うぞ」

 「そんな事言わずに、言ってやってよ」


 んな事言われても困る。てか母、人に丸投げして自分の意向を実現させようとしてないか?


◇     ◇     ◇     ◇     ◇


 「正月明け早々にまた検査だよ」

 「ああ、母からも聞いている」


 もう暖房でエアコンフル活動、眼も肌も乾燥まっしぐらな会長室で、父の病気の事について話し合う事になった。


 「でそこで、ガン、あるいは多分ほとんどガン、という結果になった場合に会長はどうしたい?」


 コンビニで買ったコーヒーはとっくに飲み干してしまい、こういう時には大きいサイズを買っとけば良かったかな、と思った。

 まあ、コーヒーがぶ飲みは個人的に便所が近くなるから、それはそれで会議等の時は問題なんだが。


 「まあ、確実にガンなら切らないとダメだろ」


 あっけなく本人は手術に賛同していて拍子抜けした。

 母の話しでは、もっとゴネるのだとばかり思っていたんだが。


 「病院の先生もそういう事言ってたの?他の治療法とかに言及しなかった?」

 「手術で切除が一番良いそうだ。それに仮に前立腺ガンだったとして、それが仮にリンパなんぞに転移したらもっとやっかいな事になるらしい。そうなる前にガンだったら早めに切りましょうねって話だった」

 「そう。でガン以外のケースだったら?よく知らんけど確率的に2割位ガンとか3割近くガンかも、とかそういう判断ってあるの?」

 「いや、今度の検査でほとんど白黒つけられるそうだ。だから判断に迷うケースはほぼ無いと言ってたな」


 そう言うと父は椅子の背もたれに深く背を預け、目を瞑りながらふーっと深く息を吐いた。

 たった数秒の沈黙の間がやけに長く感じられ、静寂な室内に外を走るトラックの走行音がやけに大きく響いた。


 「ま、お互い最善を尽くしましょ。仕事の面で会長がいない間は社員やパートが釈迦力になってやってくれるでしょう。だから、会長は治療に専念してさっさと直してさっさと会社に戻って下さい」

 「70過ぎの俺をまだ頼ろうとするのか?そんなんじゃダメだろう。お前がもっとしっかりしないと、この難局を乗り切るなんて出来ないぞ」

 「某クルマの会長なんて80も過ぎても現役ですよ。生きてる間は働いて貰いますからね」

 「勘弁しろよ」


 そう苦笑しながら父は机にあるガムのボトルを開け、口に数粒放り込んだ。


 「俺のゴルフの仲間が同じ様に前立腺のガンだったんだよ。でも彼は最後まで手術する事を拒んでいたんだ。男性としての機能が無くなる事とか小便するのも手間になるのとかが余程嫌だったんだな。でも結局数年で死んじまった」

 「そら生き方なんざ人それぞれだし、私個人がその人の生き方の選択をどうこう言うつもりも無いけどね」

 「まあそらそうなんだが、でも幾ら金持っていても、家の外で女作って夜な夜な豪遊していても、好き勝手やって俺は人生やりたい放題で生きて行くんだ、と豪放磊落を気取っていたつもりで本人はいたのかも知れないけど、死ぬ事ばかりは本人の好き勝手と言う訳にはいかなかったんだよな。皮肉なもんだよ。たった数年の好き勝手の為に自分の命を差し出しちまうんだからなぁ」

 「だから、会長の考え方とその人の優先したかった事に相異があるのはむしろ当たり前な話でしょう。まあ、でも会長がその人と同じ考え方で行動されたらこっちはとても困るんけど」

 「俺はまだ死ぬわけにはいかんよ。会社の事もあるし、孫との旅行の事もある。やるべき事がまだまだ残っているから、何とか病気を克服して乗り越えていかなきゃならん」


 そう、彼は何としても生きようとしている。


 会社、仕事の件が最たる理由である事は間違いないのだが、同時に彼のそして私達共通の目標実現の為に、そしてその後も出来る限り私達とのコミュニケーションを取る物理的な時間を確保する為に、そういう様々な理由をもって彼は今回外科手術を受けるという決断をした。

 その後に待っているだろう術後痛であったり、尿失禁や性機能障害等によるQOLの低下であったり、長い期間になるであろうリハビリであったり、を全て受け入れその上で生きながらえようとしてくれている。

 少なくとも私の父が、息子の祖父がそういう大変困難なそれでもより長く生きる事が出来る可能性がある生き方を選択してくれる人であって本当に良かった、と思った。


 「ですね。仮に来年手術だと同じ年の夏は難しいでしょうから、本命を2021年の夏に設定してそこを目標に計画を立てましょう」


◇     ◇     ◇     ◇     ◇


 2020年の正月も明け、父は精密検査を受けた。

 その結果やはりガンである可能性が高い、という内容だった為、外科手術で前立腺の全摘出手術を受けることになった。

 ただ、摘出が前立腺のみになるか、その周りのリンパ腺まで摘出する必要があるのか、については現時点で確定出来ていなかった。


 息子の進学先は第一希望&第二希望が通らなかった。

 元々厳しい判定しか出ていなかった為、本人はしゃーないじゃん、位のメンタリティでいたが、むしろ妻の落胆の方が大きく本人とのそのギャップに精神的にフラストレーションを溜め込む事がしばらくの間多々あった。

 元々息子自身懸命に何かに取り組む、という事が得意なタイプでは無い様なので、勉強は元よりスポーツであったりボランティア活動であったり、果ては趣味や道楽に至るまで、他の同級生と比較しても釈迦力に何かに打ち込める熱意や情熱が根本的に不足しているのだろうな、と思っていたのでこの結果に対する反応とかをみていてもある意味予想通りの結果になったな、という印象が強かった。

 それが今後の高校生活でどのように変化していくのか、それともこのままなのか、本人がそれで良いと本気で思っているのか、何となくでも変えようと考えているのか、現時点では何とも言えないが、仮に本人が変わりたいと願っているのならその手助けはしたいとは思っている。


 2月上旬中国で新型コロナウイルス感染症による死者が急増した、というニュースに接した時、私達は今までの経験から今回のこれもSARSであったり、MERSであったりが発生&終息した時と同じ様なパターンになるのだろう、と身勝手な予想をしていた。

 その身勝手な予想と言うよりも希望的観測は2月中旬の時点で息子が通っている中学校の卒業謝恩会が中止になったとの連絡があったり、中国への出張渡航が事実上出来なくなったり等、私達の日常生活に直接の影響が出始めていとも簡単に崩壊した。


 そして、その崩壊した希望的観測は3月に入りイタリアを筆頭にイギリス、フランス、ドイツ等で物凄い勢いで死者が急増していると言うニュースと共に、途方も無い不安に変わっていった。


 世界中の観光地から人が消えた。

 日本も繁華街から人が消えた。

 マスクや消毒液が転売ヤーによって高値で取引され始めた。

 オリンピックが翌年に順延となった。

 あらゆるスポーツやイベントのスケジュールが空白となった。

 歓声や音楽も消えた。

 息子の高校入学式に保護者は参加出来ないと連絡があった。

 父の手術が6月に行われる事となった。

 それまでの間はホルモン剤の投入が行われる事となった。

 会社の売り上げが急減し、あらゆるコロナ融資であったり、助成金を調べてフル活用する事が私の近々の重要な仕事となった。


 2020年4月には世界中が止まり、私達の計画も無期限延期となった。


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