表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/58

前日談5 それどころじゃない

 旅行の方向性としてアメリカ東海岸の都市、ボストン、ニューヨーク、ワシントンDCの内2か所または3か所、と言う流れがその後複数回の話し合いで固まって来た。

 というか、後日調べてみたらJALもANAもその他の航空会社も、東京発フロリダ、オーランドへの直通便は無いから乗り換え必須、合計所要時間が短く済んで片道16~18時間、条件次第では空港ないしはその近郊で1泊必要だと判って、ディズニーワールドは完全に選択肢から外れる。

 あそこは家族旅行でそれだけを満喫する、と言う目的でしかも移動時間も含めて長期間の休暇の確保が必須、と言う一般サラリーマン御家族には無理ゲーに近い条件を全てクリアしてはじめて選択肢として出て来る場所なんだな、と思い知った。

 恐るべし、ネズミの世界。

 これなら西海岸にあるネズミの園の方がハードルは低いだろうな。


 ちなみに息子に対し「今回の旅行でボストンに行くのは決定事項として、残りの都市についてニューヨークとワシントンDCどちらかに行って、1都市滞在時間を多くするのと、両方とも行きたいから滞在時間は短くなるけど3都市周遊するのどっちが良い?」と言う質問と「仮に2都市周遊にした場合、ニューヨークとワシントンDCどっちが良い?」と言う質問をしたら「なんでもいい」という実に分かり易い、でも決定事項には必ずケチを付ける気満々な答えを頂きました。ありがたや、ありがたや。


 まあ、「なんでもいい」と言う言質を取った以上こっちは粛々と計画を進めるけど、定期的に都市内観光でのリクエストとか、食事や買い物、イベント等のリクエストはその都度聞くつもりではある。

 本人の当事者意識を確保するにはどうしても観る、体験する、食べる、買うなどに関してヒアリングで細かい希望を聞き出して、それをそれぞれどのレベルかは判らないが出来るだけ行程の中に落とし込んで叶えてあげる確約をしないといけない。

 そうしないと単なる「一見のお客さん」あるいは「社会科見学に嫌々行ってるクソガキ」になってしまう。

 今回の旅行はそれではダメなのだ。


◇     ◇     ◇     ◇     ◇


 「ボストンはなぁ、海鮮だよ、海鮮。海のモノが一番良いんだ」


 話し合いも基本的な方向性が見えてより具体的な段階に移ろうとして来た頃、贅沢な昭和基準の冷房温度が緩やかになってようやく生きた心地がしてくるようになってきた時期のいつもの会長室において、一通り仕事の話が終わったタイミングで父がボストンでの食事の話をしてきた。


 ボストンに限らず、私の両親は共に海外旅行大好きアクティブバンザイ人間だから、ボストンもニューヨークもワシントンDCも全部行った事がある。

 しかし彼等の息子である私にはどういう訳かそういう遺伝子はあまり引き継がれなかった様で、金の掛からないお手軽ドメスティック旅行万歳、何ならカウチポテトでお家引き籠り万々歳なメンタリティの方が強いのだ。

 無論、海外に行く機会があればそれはそれで充実した時間を過ごす事が出来る様に段取りを組んで行動するけど、何と言うかそこまで優先順位は高くなかったりするのだ。

 何でだろうね?


 「そら、ボストンと言えばクラムチャウダーやオイスター、ロブスターとか海鮮料理が有名みたいだから、そうなるよな。でも会長は生ガキはダメなんだろ?」


 以前、父は私が子供の頃に生ガキで手酷い「大当たり(食あたり)」を引いて以降、基本生ガキは食べる事が出来ない。勿体無い話ではある。


 細かく砕いた氷が敷き詰められた大皿にグルリと円周に隙間無く並べられたカキの軍団。

 その一つを手に取りーの、レモンを絞りーの、タバスコかけーの、サルサとかカクテルソースとか生姜とかなんかものせーのやってからーの、フォークでぶっ刺しーの、口に放り込みーの。

 でもって口ン中が濃厚な海の旨味だらけになったら最後にギンギンに冷えたビールだったり、スパークリングワインなんかをギューッッと喉奥に流し込んだりした日にゃぁ・・・あーヤバい腹も減ったし酒も飲みてぇなぁ。


 が、恐らく今回の旅行でも生ガキのプレートとかは頼めないだろう。

 美味しいのは判っているが、食べられない人(スポンサー)を差し置いてバクバク食う訳にもいかんし、そもそも海外で食あたりはマジで避けないといけないバッドイベントの代表格だ。

 1人でも食あたりでダウンすると、全体の予定が狂ってしまう。

 大人数のツアーだったなら「被弾した」人をホテルに置いて行く、あるいは病院に誰かをサポートでくっ付けて別行動とかも出来るだろうけど、3人でそれは土台無理な話なのだ。


 父が倒れたら誰が病院にエスコートするんだ、という話になるし、そうなると息子1人で行動させる事になる。

 これは純粋にアメリカでは育児放棄で違法行為だ。

 よって3人仲良く病院看護ツアーに変更を余儀無くされる。

 逆に息子が倒れた場合、英語が全く喋れないコテコテ昭和な不器用男のテンプレートを地で生きる父を一人でアメリカの野に放つ、というある意味危険極まりない状況になってしまう。

 でもって私が倒れたら、両名共に何も出来ません状態。

 幾ら美味しいのが判っていても、要は今回の旅行で1番気を使うべき事は「いのちだいじに(とにかくノートラブル)」という事になる。

 よって食あたりのリスクがある食事の類、特に生ガキとかは今回の旅行では厳しいかなぁと思う。

 いやぁ生ガキ美味しいんだけどねぇ・・・やっぱダメかなぁ・・・ちょっとだけでもダメかなぁ?・・・最終日前日とかなら私だけ食べちゃおうかなぁ?(往生際が悪い)


 父のカードの場合、自動付帯の枠が結構大きいはずだから医療費等での問題は無いのかも知れない。

 無論、私のカードにも自動付帯保険が付いているのだが、確かカードを使用したケースにおいて効力を発揮する利用付帯の方が範囲が大きいはずだ。

 そうなると買い物での話に限られてくるだろう。

 今回の旅行がパック旅行では無い以上、念の為、別途旅行保険には加入しておかなければならないかな。

 今、父のカードの自動付帯枠についても聞いてみよう。


 「生ガキ以外にも、向こうの食生活で腸内環境だったり体調面がズレる可能性もあるから、胃腸薬の類をはじめとして常備薬や絆創膏、抗生物質等メディカルキット一式は必ず持って行かないとダメだよ。それと何かあった時の話で旅行中のトラブルが発生した時、会長のカードに自動付帯されている保険を使う事も検討しているから、後で保険内容を教えてよ」


 するとおもむろに財布を開けてカードを出して、ポイっと私の方に放る。でもって彼の机の所に挟んであるメモ書きを探しながら、


 「えーっと、ログインの暗証番号が・・・」

 「私にやらすんかい!?」

 「何でやらないの?」


 改めてデジタルダメダメ人間か。貴方は。


◇     ◇     ◇     ◇     ◇


 ラグビーワールドカップが日本初、というよりアジア勢初の決勝トーナメント進出、と言う望外の結果を残し、そして大会としても国際的な評価も得て成功裏に終わる頃には食欲の秋を堪能出来る時期も終盤に差し掛かり、つい2か月前まで暑くてビールが美味しい季節だった筈なのに、この時期の夜にはもう焼酎のお湯割りや熱燗がおお、心の友よ!となる季節になって来た。


 もう四季とかねぇーだろ、この国。

 二季だな、二季。夏夏冬冬。

 なんか字面が月月火水木金金みたいですげー嫌なんだけど。


 この頃には息子は高校の進路で第一志望に向け勉強に励んでいて、あれから旅行の話は一切出て来ない。

 まあ、来年3月に進路が決定してから具体的な話を進めるで良いだろう。


 そろそろ、最終的な日程と行く都市数を確定させ、特典航空券の申し込みをしておかないといけないな、と思っていたある日、社内で仕事をしている最中に母から話がある、と呼び出された。


 日中社内で仕事をしている時に呼び出すって事は間違い無く面倒事だろう。

 大した事無い面倒事であっても、大した面倒事であっても面倒事には変わりがない。

 所詮賽の目次第だ、そう思いながら両親の住むフロアに移動する。


 1か月以上ぶりに入る両親の自宅(前回は頂きものの御相伴預かりでホイホイ付いていった)は別に変った事も無い。

 先日とは違う点があるとすれば、買っただけで満足して痩せる訳ねぇだろバカやろうな母の瘦身グッズコレクションのアーカイブにまた珍品が増えた位か。


 でも定期的に断捨離しているのでコレクションの総数自体は母の体重とは違い増加していない。

 それは見方を替えれば資本主義に消費で貢献しているとも言えるし、逆の目線で見れば地球環境とかSDGsとか最近の流行を何だと思ってるんだ、アナタ地球に厳しい人か、とも言える。

 まあ、私も大概地球に厳しい人の自覚あるけどさ。

 それに世間様の見方なんてものは要はピアノの鍵盤と同じだ。

 演奏者の叩き様によって天国を地獄に、地獄を天国に変える事が出来るのと同じ話なのだ。

 常に地獄の演奏ばかり鍵盤バンバン叩きまくる方もいらっしゃれば、何時も天国の演奏しかしない方もいらっしゃる。


 各種調味料だとか、漬物の類とか、箸立てだとか、楊枝置きだとか、何か知らんけど捨てたら面倒事になりそうな走り書きのメモとかが全体の2割を占めているダイニングテーブルの椅子に座ったら、母が開口一番、

 

 「アンタ、また太ったねぇっ!」

 「うるせぇ、茶位出してから口開けや」


 これは世間でいう所の「忙しいところ悪かったわねぇ」「いや問題無いよ、そっちも元気?」位なもので、ごくごくありふれた他愛の無い日常的な親子の会話の切っ掛けなのだ。・・・なはずである。


 母はブチブチ言いながらも急須に茶葉を入れ、数年前から導入したウォーターサーバーからお湯を入れる。

 中国や韓国でも基本このスタイルが主流でむしろ日本の方が後追いだと言えた。

 一々コンロで湯を沸かすと言う行為自身、タイパが求められる昨今贅沢で絶滅危惧種まっしぐらな行為になって来ている。

 中国でも功夫茶とか若い世代は殆ど興味が無い、と言う話を弊社中国スタッフに聞いた事がある位だ。

 あれ個人的に結構好きなんだけどねぇ・・・風流だし。


 母は先の震災の時にもしっかり生き残っていた安物の湯飲みを出して、茶を入れる。

 あの時実家は良いモノが結構お亡くなりになって安いモノの大半が生き残った、という理不尽をウンザリするレベルで味わった。

 だから何時までも使いもせず飾りもせず閉まっておくだけなんてアホで無駄な事せずに、ケチらずさっさと薩摩切子のペアグラスとかバカラのグラス、ウェッジウッドやロイヤルコペンハーゲン等のブランド茶器なんかも、使うなり、飾るなり、それすらもしないならこっちに寄越しゃ良かったんだよ、とは今でも事あるごとに思う恨み節のひとつでもあったりするのだが、流石に直接面と向かって言ってはいない。

 でも正直な話、一度も使われず、飾られもせず、日の目を見る事すら無く、奥に仕舞って置いていきなり地震でお亡くなりになる食器ってのは作った職人からすれば大そう残念だと思うぞ。


 出された茶をすする。ちょうど少し水気が欲しかったから丁度良かった。


 「で、今日の面倒事は何?」


 母だって仕事の時間中にわざわざ呼び出すことの意味位は理解している。すると、A4用紙が入る白い大判封筒を持って机に置く。そこには大学病院の名前があった。


 「お父さんの、この前受けた検査の結果がやっぱり良くなかったの。多分ガンだろうって」


 最悪の出目(ファンブル)かよ。それどころじゃなくなった瞬間だった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ