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前日談2 動き出すプラン

 私の妻の父、即ち岳父が急逝したのが2017年の5月の時。

 今でも結構鮮明に思い出すのだが、当日の朝6時過ぎ、平日の朝バタバタと着替えだ、洗面所だ、朝食だ、弁当だ、しばらく前に配布されていたはずなのに今朝になって今貰わないと困ると忘れてた本人から逆ギレされながら渡される今日〆切の学校提出書類に今から署名捺印しないといけない、と家族全員で回らない頭働かせながら用意をしている中、岳母の携帯電話から家の電話に連絡があった。

 この時点でなんか嫌な空気を感じたのだが気にしない様に電話に出たら、


 「お父さんが倒れてしまったの。で今、柏の救急病院にいるんだけど・・・」


 ああ、こういう口調前にも1度聞いてた事あるわ。


 もうカサッカサで全てが抜けきってしまって抜け殻になってしまったかのような声。


 もう20年以上も昔の記憶が急にフラッシュバックした。

 私の母方の叔母がやっぱりこれ位の時間帯でやっぱりこういう口調で全く同じパターンで話していたっけ。

 違いがあったとすれば、叔母の時には既に叔父が亡くなってしまったという報告だったのだけど、今回現時点では岳父はまだ生きてはいる状態だという事。

 でもその時に何故か第三者的な視点で「多分時間の問題だろうから、急いで妻を病院に行かせて御別れをさせてあげなくては」と直感で感じていた。


 妻にはその時点で家事の引き継ぎ確認を行い、直ぐに病院に向かわせ、不安がる息子には何かあったら学校に連絡すると言づけて提出書類や弁当を持たせ登校させた。


 私はその後家事の引き継ぎを行い、出社したが午前中には妻から電話があって先程亡くなられた、と連絡があった。

 妻は父の最期に間に合ったか、と言う幾許かの安堵と、もうこれで色々話を聞く機会が失われてしまったんだな、と言う喪失感と、息子にとって初めての身近な親族の死であったのだが、私にとってのそれは中2の時の父方の祖母だったな、という過去の記憶がない混ぜになった。 

 私の時は焼き場に到着するまで実感が湧かなかったのだが、最期のお別れの時に急激に現実が実感として重く圧し掛かって来て過呼吸になりかけたのだったっけ。


 そこからは枕花の手配とか、息子の学校への連絡とか、葬儀社相手の折衝のお手伝いとか味わいたくも無い非日常イベントが目白押しとなっていて、正直今でも四十九日法要が終わる位までの家での日常の生活に関する記憶が余り無い。

 

 岳父は九大出身の大手ゼネコンマンで、長期に渡って海外に赴任していた。

 1980年代のまだリゾートのリの字も無かった頃のドバイだったり、ザンビア等のアフリカ諸国だったりで文字通りゼロからインフラ構築の事業に取り組んでいた。

 今でも複数の国で彼の手掛けたインフラが稼働中なのだそうだ。

 アフリカでは日本では考えられないレベルの本当に真っ赤で大きな夕陽が地平に沈む様子だったり、中東では楽しみのひとつが社員による徹マン大会だったり、ロンドンからの移動でコンコルドに搭乗する機会があったりとか、会社時代における幾つもの楽しく興味深いお話を聞く機会があった。

 しかし、無論楽しいばかりの話でも無くて、1990年の湾岸戦争時には同社の人間が複数人拉致監禁され人間の楯にされたり、1994年のルワンダ虐殺では、現地スタッフが殺害されたりで過酷な環境であったと言う事も間違い無い事実だった。


 退職後には関連企業に勤める傍ら、町内会の役職を務め、水彩画を始めその才能を開花させた挙句、同好の士と共に展示会に展示されるまでになった。

 今でも息子の部屋には1級建築士らしい正確なパースで描かれた建造物をバックにした息子の似顔絵が、ダイニングには海外の農家に農業技術指導を行っている日本人が現地の農家の人達と共にカカオの実を収穫する様子を描いた力作が飾られている。

 この絵画の題材そのものが岳父の人となりを表している様で、私には無いものを持っていた彼の存在は今でも尊敬と親愛に値すると確信を持って言える。


 正直もっと色々な話を聞きたかった。

 私が歩んでいた人生とはまるで違う生き方をしていた彼の歩みについて、生き様について、彼の考えや想いについて、彼が生きていた時代の空気感について、私も息子もそして娘である妻ももっと知りたがっていた。

 でももうそれも叶わない。


 今回父がこの様な旅行の話を立ち上げようとしたのは即ち、自分も何時かは徐々にあるいは突然に朽ち果てる立場なのだから、その前に3世代3人だけによる海外旅行を実現しておきたい。

 自身の知りうる出来る限りの事を直接孫に対してオーラルヒストリーとして、そして経験値として、あるいは教訓として、ある程度長期の時間を確保して伝えていきたい、そして日本とは違う異国において同じ体験、経験を通じ互いの相互理解を促進したい、という思いもあるのだろう。


 しかし偽らざる気持ちとして、目の前にいる父の死が想像つかない私がいたりもする。

 同年齢の他の人と比較して鋼の様な肉体と意志を持ち、烈火の如き激しい人生をひたすら走り続けて来た父はひょっとして私なんかよりもずっと長生きするのではないか?と何度も思った事がある。

 だが理屈では、順番通りで行けば間違い無く私よりも父の方が先に逝く事は自然の摂理と言えるし常識でもある、というのもまた揺るぎ無い事実なのだ。


◇     ◇     ◇     ◇     ◇


 「了解。要は家族旅行、と言う形で両家が参加する形にすると貴方が直接家の息子に対してコミュニケーションを取る物理的な時間の確保がし難いから、という事。それと、岳父の件もあり今の内に貴方の歩んできた人生の様々な経験だったり、その当時の知見であったりを息子に対し出来得る限り伝える機会が必要である事。更には同じ旅行と言う非日常的な時間の中で、同じものを見、同じ事を体験し、同じ釜の飯を食う事を通じ私の目線とは違う別の目線で物事を見る人物が親族にいる、と言う経験を積ませる為。他にもあるだろうけど、こんな感じかな?」

 そう言うと「やっと言ってる事をちったぁ理解したか」的な上から目線な顔をされた。

 うん、やっぱり50年以上彼と付き合って来たけどそれでもこういう時は何のかんので結構イラっと来る。


 こうして2019年9月、日本で初開催となったラグビーワールドカップの開幕前に、2020年夏、丁度その頃は東京オリンピック/パラリンピックが開催されている時期でもある、を目標とした親子三代による海外旅行のプランがこの時に始動した。


 ・・・しかしそれは、今となっては壮大過ぎるフラグが立った日でもあった。


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