前日談14 スタートライン
結局の所、父の術後痛は快方まで約2カ月弱の期間を必要とした。
その間2回術後痛がぶり返して来たので痛み止め薬の投与を受ける為、そして今後の事について相談する為に病院に向かう必要があった。
それ位のレベルで苦しんでいたので正直な所、術後のペインコントロールという面で私達と病院の見解が完全に一致していたのかとなると疑問があったのも事実だ。
病理検査に関しては、転移等の悪材料は出なかったので、その点に関してはホッといているのだが、この心配と安堵のジェットコースターを毎月繰り返すのは正直精神的にキツイものがある。
しかしこれをクリアし続けてはじめて検査スパンが2カ月、3カ月と延長出来るので、今は毎月毎月命のダイスを振って最悪の出目と最高の出目との可能性に一喜一憂する生活を日常とする他無いのだ。
ゴルフも体調を見ながら再開する事となったのだが、数ホール毎にトイレに行き大人用オムツの交換を行わないといけないのは彼にとってそれなりにストレスであったのは間違い無い。
キャディーバックに別のポーチをカラビナで引っ掛けてその中にオムツを入れているのだが、1回のラウンドで数枚使用するので、ポーチの中は常にオムツがギッチリ詰まっている状態だった。
後日、そのポーチを地下鉄に乗った時、車両に置き忘れてしまった事があった。
地下鉄の忘れ物センターに当日連絡を入れたのだが、その日は運悪く複数路線で乗り換えをしていた為に捜索範囲が広く、残念ながらポーチは見つからなかった。
しかし本人は、
「しっかし、取った奴が何か金目のモンでもあるかと思って開けたと思ったら・・・クックッ・・・その時の顔を想像するだけで・・・クハハッ」
と言った感じでゲラゲラ笑っていて、大したショック受けてもいなくて、むしろ笑い話にしている位なのでまあそれは不幸中の幸いではあるのだが、しっかし実際拾った人が中身を確認する為にポーチを開けたらあーた、出るわ出るわ大人のオムツがってシチュエーションは一生の中でもそうそう出会えないレアケースではあるだろうなぁ、とは思った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
今後世界史の教科書に載ること間違い無しの2020年、我が家の禍事がこの様に暮れていき、来年にはいよいよ我々の目標が実現出来る、と考えていたのだが、そんな希望は年明けて2021年1月にイギリスやイタリア、アメリカやメキシコにおいて信じられない勢いでコロナによる死者数が急増した事で、またしても簡単に潰えてしまい、計画も振り出しに戻る羽目に陥った。
春先が過ぎる頃になると、南半球のブラジルやアルゼンチンでコロナ禍が猛威を振るい、夏場の頃には人口比死者数世界一の座を競うレベルにまでなってしまった。
あちこちで墓地が足りない事態になり、墓地の増設が追い付かない為に緊急措置で道路に埋葬したと言うニュースには世界中が恐怖した。
この様な状況下で1年延期された夏の東京オリンピック/パラリンピックは完全無観客と言う仕方が無いけれど異様な環境下で開催された。
この日の為に様々な制限下にありながら最高のパフォーマンスを発揮するべくベストを尽くしたアスリート達の熱意や努力、コロナ禍と高温多湿という二重に過酷な環境下で出来得る限り最高の「おもてなし」を実行するべく粉骨砕身し続けた現場のスタッフ達の献身と自己犠牲以外は何一つ評価にも記憶するにも値しない、最早今後日本においてこの様な世界大会の招致は到底不可能である事を世界中に喧伝してしまった東京オリンピック/パラリンピックは大多数の国民に対し、圧倒的な絶望と徹底的な敗北感と僅かばかりの感動を与え終了した。
この年に慶事があったとするなら毎月の検査でも転移の兆候が見られなかった事から検査のスパンが毎月から2か月に1回に延長され、負担が大分軽減された事が挙げられる。
また、毎日行っていた骨盤底筋の筋トレが効果を発揮したのか、想定よりも短期間で1日に何回もオムツを履き替える必要性からも解放され、パンツ内に尿パッドをセットするレベルにまで落ち着く様になって来た。
この事は目標としている海外旅行においては非常に重要な要素で、旅行行程内での行動半径が広がる事になる為、スケジュール管理で時間的な制限の大部分が解除され選択肢が拡大される事に繋がった。
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年が明けて2022年はコロナ禍の終息に光明が差した年でもある一方、ロシアのウクライナ侵略という、これまた歴史の教科書に載る事が必定な歴史的イベントによって、世界中が揺れた。
また、国内でも7月に安倍元首相が選挙応援中、銃撃によって落命するという平成には起こらなかった凶事が令和の世に起こってしまい世間はその事実に驚愕した。
息子も高3になり、大学受験に向けての準備が山場を迎える中、呑気に海外旅行に行っている場合ではないだろう、と言う事であっさり中止。
結局、2023年に決行という目標再設定にしたので、絶対に浪人するなよ、絶対に浪人するんじゃないぞ、と言う逆にそれってフラグ建てまくりじゃ無くって?というプレッシャーを受けながらも本人は余り態度に出す事も感情的になる事も無く、ある意味飄々とした態度で受験勉強に望み、結果として志望校の推薦入試に無事合格出来た。
思えば2019年の夏に企画立案し始めた当時から比較して、息子は身体的にはかなり成長した。
身長も中学生の時には何時もクラスで整列すると最前列で並んでいた位の身長だったのが、3年間の高校生活で私の身長を超える位にまでメキメキと成長した。
ただ、その身長の伸び方が急激だったので、ズボンやシャツが片っ端からサイズアウト(ちなみにこれは和製英語だそうで、英語だとgrow out of~とかoutgrow~を使用するそうです)していき、着るものを購入するのに往生した。
なにせ、身長も伸びれば座高も、足の長さも、足のサイズも確実に高く、長く、大きくなるので、本人が希望している様なそこそこお値段の張るブランドの製品なんか恐ろしくてとても買えたもんじゃない状況だったからだ。
この頃の息子の衣料品はいかに極力安いものを、いかに出来るだけ高回転で、いかに奇麗なサイズアウト品は転売でと言うのがコンセンサスで本人はその事にいたく不満を持っていたのだが、そう何回も良いものをサイズアウトで買い替えられたら堪らないから、ほとんどのケースでリクエストは却下した。
また、オスグッドになってしまった為、高校時代は膝の痛みでランニングとかも含め運動全般で制限が掛かってしまい、思い切り全力を出す事が出来なかった期間が長かった。
これは、コロナ禍や父の大病の為に旅行の予定を延期せざるを得なかった事が逆に幸いしたレアケースでもあった。
なにせ膝の痛みのせいで走ったり飛んだりに制限が掛かっていたので、旅行等である程度の距離を歩くとなると不安があったのも事実だったからだ。
幸いな事にオスグットに関しては高3の夏位には症状が軽減されてきて、翌年の旅行において支障が無くなるレベルにまで軽減される事が期待された。
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翌2023年正月、年1度の家族の楽しみとしてとあるホテルの中華レストランが行っているオーダーブッフェで、家族全員毎年同日に来年の予約を入れる程に気に入った個室にて和気あいあいと、明日以降の体重計の事なぞ銀河系の彼方にぶっ飛ばしちまう勢いで前菜からスープから魚やホタテやアワビ、エビやカニ等の海鮮から、牛豚鳥肉料理から、北京ダック、メインとなるふかひれの姿煮にツバメの巣等の珍味やおこげ、麺類、ご飯類等の〆関連、挙句に点心に至るまで掛け値無しに一通りを平らげ、ベルトの穴が冗談抜きで2穴横に移動する中、父が
「で、飛行機の予約は出来たのか?」
と何の脈絡もなくいきなり話を始めて来た。
「これからだよ。なんせ今年はコイツ(息子)の入試の年だったし、プライベートな時間は俺の時間的リソースの殆どを受験情報の収集とか、オープンキャンパスへの同行とか、塾との情報共有だったりだとか、息子の入試関連に全振りしてたんだから、結果が判った12月に入るまで、旅行関連に時間を投入する余裕は無かったよ。それに合格したらしたで、そこから入学に必要な書類の手続きとか入学金やら1年次の学費やらの納付とかも結構時間的猶予が無かったからバッタバタだったし、それが終わったと思ったら、今度は仕事の方で年末デスマーチだし、どこにそれ以外の事で動く時間あるんだよ。つか、それ以前に目的地の選定も去年の夏以降に貴方の体調面の回復が確認出来て、ようやく目処が立ち始めたばかりじゃん」
「まだそんな状況だったのか」
と父が呆れ顔で言う。
うん、これは人に全振りしておいて、その結果報告だけであーだこーだ判断する感じだな。
しゃーないけど。
「それについても、入院前後からずーっと断続的にだけど話して来たじゃん。貴方のリハビリの進み具合も含めて目的地を2か所にするのか3か所にするのか、目的地での1日の行動距離をどれ位に設定しようか、とか色々決めようねって。で都市間移動も面倒だし、ワシントンだとANAのみの直通になるから手間が掛かるしニューヨークとボストンの2か所にしましょうねって方向性は決めたじゃん」
「ホテルはどうした?」
「それもこれからだよ」
「・・・大丈夫か?今年の8月にはもう行くんだぞ」
「ホテルに関しては去年末にザックリと予約状況を確認したけど、まだどこも普通に予約が取れる状況だから特に心配には及ばないよ」
デザートも各人好き勝手に複数オーダーしていて、私は杏仁豆腐とタピオカココナッツミルクを堪能しながら答えた。
腹満な状態でもサッパリとした冷たい杏仁豆腐は心地よくツルリツルリと喉を通って行き苦も無く胃袋に収まる。
「正月明けたら先ずマイルによる国際線特典航空券を押さえる。これは去年の8月から予約出来たんだけど、そもそも息子の受験結果が判らない段階で予約取るリスクは冒せないよ。ホテルに関しても任せて貰えればアクセスの良さとか、コストとか諸々の条件を踏まえたホテルを探し出して予約しておく。後は食事、イベント、目的地等の予約になるんだろうけど、これも余りキツキツに予定を組んでしまうと何かあった時の冗長性が保てなくなってしまうから、日程を踏まえた予約を考えておく必要がある」
タピオカの舌触りとココナッツミルクの杏仁とはまた違う独特の香り、そして優しい甘さを堪能した後は最後に香りの良い中国茶で口の中をサッパリとさせる。
いやヤバい、マジでもう喰えねぇ・・・明日の朝まで冗談抜きで水分しか入らんわこりゃ。
さっきから、膨満感がお腹を押しまくっていて幸福感と後悔が、満足感と苦痛が仲良くタンゴを踊っている。
「現地の天候だって晴れの日ばかりじゃない事を考えれば、雨天でも問題無いイベントもあるから、色々な想定外の事に対応して切り替える事が出来る予定の組み方をしたいんだよね」
「ああ判った。じゃあその方向で段取りを組んでくれ。主たる企画立案、実行に関して全てお前に任せるから」
ようやくだ。ようやく2019年の夏から何度も延期を余儀無くされた私達の目標に向けてやっと本格的に動く事が出来る。
長かった。
ここまで来るのが本当に長く感じられた。
父は大病を患った。
その後の術後痛であったり、リハビリやリカバリーにも苦労をした。
ガンの転移や再発が無いか、胃に穴が飽きそうな重圧を受けながら毎月毎月検査を繰り返した。
息子は大学生になる。
高校の時にはコロナ禍で学校生活が制限だらけだった。
どこにも行けない、何も出来ない、「アオハル」なんて異世界ファンタジーな高校生活だった。
いよいよ本当に動くのかと言う実感と今まで散々外的要因が主因として動けなかったのにここに来て急に動き出した事に対する動揺とを感じながら同時に、やるのならば絶対に皆が満足出来るイベントにしたい、皆が「あの旅は凄い楽しかったね」と思われる様に、こんな3世代がタイミング良く一緒に旅行出来る機会なぞ一生の中でそうそう無いであろうチャンスなのだから絶対に成功させたい、失敗させたくない、満足して貰いたいという想いが一緒くたになって腹の底から湧いて出て来る。
心地良いプレッシャーを感じながら、「ぐぁあふぁがげーーっ!」と盛大なゲップが出る。
うん、ヤバいヤバい、危うく「身」も出そうだったぞ。
どうやら、腹の底から強い想いが出て来たのでその想いと共に力強いゲップも同時に湧いて出てしまった様だ。
みんなからの「うわぁ」と言う冷たい視線も何故だか今日は心地良く感じられた。
気にするなよ、何か問題でも?
前日談はここで終了となります。(まあ長い前日談でしたね)
次回からは段取り編がスタートします。
段取り編で書かれている時期は2023年1月から出発日前日の2023年8月9日までの期間になり、内容的には国際便のチケット手配から、各ジャンルの目的地ピックアップ、目的地の最終的な選定、ホテルの選定と予約、国内便の予約、各種移動手段の選定、後から組んだ予定がいとも簡単に変更&スケジュール組み換え等で私が空回り&右往左往&七転八倒するお話です。
へぇ海外旅行の時にこんな段取りの悪い組み方すると無駄な苦労ばかりするんだ、という参考意見&反面教師として御笑読頂ければ幸いです。今後ともよろしくお願いします。