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前日談12 日常への道程

 個室に入って大体10日ぶりに出会った父の姿はやはりやつれていた。

 頬の肉付きであったり、首回りであったり目につく所が若干ではあるが薄くなっていた。

 病気でやつれるとこういう感じで痩せていくんだ、と思いながらも意図的にその事を頭の中から切り離して置いて、早速バッグを空け入院時に使用していた日用品の類から順に仕舞っていった。


 冷蔵庫のお茶等は結露が出るから、まず最初に冷蔵庫から出して窓際の所に置いておく。

 こうすれば、常温に戻っていくから結露の具合も低減されるはず。

 まあ、最終的にはタオルで包んでそれ自体をコンビニ袋に入れてしまうけど、カバンの内側がびしょ濡れになるのも嫌なので、これは退院直前に仕舞おう。

 ただ、喉も乾いているので自分の分で1本貰う。

 

 「飲み物は常温に戻して仕舞うけど、今飲みたい人は?」


 両名共要らないそうなので、冷蔵庫から取り出した最後の1本のキャップを開け、口を咥え一気に喉に流し込む。

 ゴッゴッと喉が鳴り中身が急激に減ったペットボトルが吸引され「パキメキ」と音を立ててシュリンクしていく。

 実は結構喉が渇いていたのか500mlのお茶は一気に7割位減り、口を放し再び空気が入ったペットボトルはシュリンクした状態から「ベコンッ」と音を立てて元の形状に戻った。

 

 「で今日のこれからの段取りは、1階で会計、その後購買店でサニタリー関連の確保、で家に戻った後は、その足でドラッグストアに行きその他用品の購入、って流れで良いんだよね?」

 「そうねぇ、食材なんかはもう入院中の間に買っちゃったから、買うものは無いしもし買ったとしても冷蔵庫に入らないわ」


 と言ってケラケラと母が笑う。

 まあ、コテコテ昭和の人達の特性なのか、冷蔵庫に大量の食料品が入ってないと不安と言うメンタリティはさながら冬眠前のシマリスの様だ。

 更に過去に何回も中に入れた食品の消費期限を忘れ、奥の方に仕舞った食材を青カビの培地にしてしまった「実績(ゴミバコ行き)」の数々なんてシマリスよりも質が悪いじゃねーかって思う。

 腐らせる位なら私の所に融通してくれても良いんだよ、と図々しく言いたくもなるのだが、そんな事したらお前更に太るじゃないか、で断られるのが目に見えているから言わないでおく。

 

 しかし、そういう失敗の記憶は定期的に脳内からデリートする便利な仕組みらしい。

 故に何回も同じ失敗をやらかす。

 多分本人は大した失敗だとは思っていないのだろう。


 水物以外の私物を全部カバンに入れ、後は着替えるだけになった。


 父は母の介添えで入院着を脱ぎ、私はロッカーから、入院時に着ていたシャツ、スーツパンツ、ベルト、ネクタイを一つづつ出して手渡す。

 受け取った順から着替えていく。

 シャツの前ボタンを留め、袖口のボタンも留める。

 今回着てきたシャツはアジャスタブルカフスでカフリンクスは使わない。

 靴下を履き、スーツパンツを履く。

 ベルトを通し、シャツをスーツパンツにキチンと入れボタンを留めジッパーを上げベルトを締める。

 ネクタイを締め、タイピンを、これは私達家族が誕生日のプレゼントで送った彼の好きなブランドの逸品であり、彼がいつも身に着けているタイピンの一つでもある、でネクタイとボタンを止める。

 靴ベラを彼に渡し、これまた彼お気に入りの革靴を履く。

 ベッドの縁に座り、前に屈み、靴紐を左右両方結ぶ。


 「ん」


 靴を履き終えたのを確認して、私がスーツの上着を両手の母指球がゴージラインに当たるような形で両手に取り、彼の後ろに向かう。

 彼は私に背中を向ける形で立ち上がり、左手を後ろ向きに肘先だけ少し持ち上げ、肩越しにこれまたほんの少しだけ此方の方に首を向ける。

 私は上着の左腕部分を彼の左指先に通し、手首が上着に入る位になったら間髪入れずに今度は右半分を彼の右手に向け引っ張る。

 その時には既に彼の右手は後ろ向きに少し持ち上げられ指先が揃えられていた。

 その指先に袖を通し、左右均等にスッと持ち上げる。

 シュルッと微かな布が擦れる音と共に彼の両手が上がり、上着を肩口まで持ち上げ、彼の鎖骨部分に触れる直前に私は両手をスッと抜いた。

 そこから、彼は自身の抱える様に持ち上げた両腕をラペル部分に持って行き、それを両手でそれぞれ掴み、1、2度フワリと上着を馴染ませてから、前ボタンを留めた。

 

 その所作一つ一つの積み重ねによって、入院中であった一端の病人から私の父が、弊社の会長が戻ってきた様な気がしてならなかった。


◇     ◇     ◇     ◇     ◇


 フロアのナースステーションの皆さんに対するお礼の挨拶も終え、1階での会計も無事完了した。

 今回の手術では父が入っていたガン保険から保険金が下りる事になるそうで、それが今回の入院費用よりも多い計算になるらしく、会計が終わって領収書の金額を確認した父の機嫌の良さから、ああ、これはまあまあな差額があったのだろうな、と推察したのだけどそれは邪推に過ぎないから一々確認はしないでおいた。


 購買でのサニタリー用品購入は車で運ぶことから2~3週間レベルの数量は確保出来たと思う。

 今後定期健診の度にここで購入した方が良いのか、あるいは同じ大きさの代替品を近所のドラグストアで購入した方が良いのか、についてはコスト等も含め判断しなければならない。


 病院の玄関を出て、駐車場に移動する間なのに父はわざわざ帽子を被った。

 その帽子も彼のお気に入りで型番までは知らないけれど、漆黒色したワイドプリムのボルサリーノは実に背広にマッチングしていて、身内である贔屓目をある程度差し引いたとしても着こなし的に、随分と洒落てる人だと思う。

 ただどうにも彼のこういう洒落っ気ってのが私には真似が出来ないのだ。

 それについては今更どうこうしようと言う熱意も私には足りていない、ってのも偽り無い本音ではあるのだが。

 そもそも彼のお洒落に対する基準って一歩間違わなくたって貴方何処のイタリアンマフィアですか?って格好がベースになっているもんだから、持っている紳士服だったり靴だったり小物の類とかに至るまで全部そんな感じなのだ。

 彼はそれでも体格的に問題無く着こなせるから第三者から見て洒落者と言う印象になるのだが、仮に私が同じ様な恰好をしたら、体型的にも絶対マジで日本の「その筋」の人に間違われる事必定で、何もしていなくても警察の職質オンパレードが待ち構える事になるだろうから嫌なのだ。


 「じゃあ、ぼちぼち行くよ」


 全てを積んで全員乗った車の起動ボタンを押し、電源を入れ、ギアをドライブに入れる。

 パーキングを外し前後左右を確認の後出発、病院入口で一度停車し、左右を確認、ウインカーを右に振り信号が変わったのを確認し更に左右をチェックした後に右折する。

 病院の姿が右後ろに流れていき、バックミラーから消え、直ぐにサイドミラーからも消えた。

 皆、後を振り返る事も無かった。


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