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ピアニスト桜井百合による謎解き小曲集  作者: 木原式部
第一章 乙女の祈り
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マーガレットのブローチ②

 ラウンジ「リリア」の楽屋へと歩き始めた百合の後ろ姿に、達也は「百合、あの……」と声を掛けた。


「何?」


 百合は立ち止まることなく、少しだけ達也を振り返った。


 自分に向けられた無表情な視線に、達也は心の中で「ああ……」とため息を吐く。


 いつものことだが、やはり百合は自分を「ただの幼馴染」としか思っていないようだ。


 百合は普段からクールで無表情、感情を表に出さない女性だ。さっき、自分の目の前でエミが泣いているのを目撃しても、百合はいつもの無表情を崩さなかった。


 いくらクールな性格とは言え、もし自分に何かしらの特別な感情を持っていれば、眉の一つでも動かしそうなものだが。


 達也と百合は同い年で小学校の頃からの付き合いだ。年齢やお互いの環境は変わったものの、2人の距離感はまったく変わらない。


 百合は達也に対して無表情を見せ続けているし、達也は百合に対して淡い想いを(くす)ぶらせ続けている。


 つまり、達也は百合がずっと好きなのだ。


 達也だって、百合に自分の想いを告白しようとは思っている。小さい頃はさすがに勇気が出なかったが、達也ももう24歳だ。そろそろ気持ちに決着をつけようとは考えている。


 しかし、今の幼馴染という関係性を壊すのが怖くて、なかなか告白できないでいた。



「あの、さっきは助けてくれてありがとう」


 達也が礼を口にすると、百合は無表情のまま達也から目線を逸らした。


「だって、ホテルで騒ぎが起きたら大変だし」


 まあ、確かに百合の言うことも一理ある、と達也は心の中で頷くしかなかった。静かなホテル内での騒ぎは迷惑だし、ピアノの音の妨げにもなる。


 それに、百合が達也がイリーナ・ホテルで騒ぎを起こすのを心配するのは当たり前だ。


 このイリーナ・ホテルは、達也の父親がトップに立っている「西村財閥」の傘下(さんか)のホテルだった。


 西村財閥は日本でも有数の財閥グループ。そのグループの御曹司が傘下のホテルで女性を泣かせたなんて、事実無根(じじつむこん)とは言えゴシップ好きな人間には堪らない話だろう。


 そんなゴシップが流されでもしたら、財閥の経営に傷がつく可能性もなくはない。


 騒ぎを起こしたからといって、必ずしもゴシップネタになるとは限らない。ただ目立っただけ可能性は上がってしまう。百合が慎重になってくれるのは達也にとってはありがたかった。


 百合が騒ぎを心配するのには、他にも理由がある。達也が人気の小説家で、しかも覆面作家だからいうことだ。


 達也は大学在学中にある有名な新人文学賞を受賞し、今は文壇の注目を一身に集めている存在だった。


 しかし、順調に行けば有名財閥の後を継ぐべき長男だとは公表していない。イリーナ・ホテルの人間も達也の正体を知っている人間はいなかった。


 それどころか、達也は覆面作家として本名やその近影さえも公表していなかった。ペンネームも「柏木(かしわぎ)林太郎(りんたろう)」という、如何(いか)にも偽名らしいものだ。


 これはデビューする時に達也が父親と約束したからだった。「作家になるのはいいが、正体は明かすな」と。


 達也の父親が言うことももっともだ。日本の超有名財閥の長男が作家をするなんて、下手するとマスコミに面白おかしく取り上げられない。


 ライバル財閥に「長男が作家なんて、西村家の将来も安泰ですね」なんて皮肉を言われかねない。


 達也は父親との約束を忠実に守った。達也は経済界にはまったく興味がなく、小さい頃からの夢はずっと「作家」だった。自分の夢が叶えられるなら、覆面作家になるくらいどうということはない。


 今のところ出版社で達也の正体を知っている人間はごくわずか。今日みたいに小説の打ち合わせをする時も、正体がバレないように細心の注意を払ってくれている。


 達也が覆面作家になった結果、「柏木林太郎」の正体については、いろいろな憶測(おくそく)(ささや)かれている。「実は中学生だ」「実は女性だ」「実は獄中にいる」というウソのようなウワサまであった。


 自分の正体をバラされたくない達也にとっては、またとない絶好のウワサだ。


 だが、時々あまりにも本来の自分と違う話を聞くと「自分は何者なのだろうか?」という疑問が湧いてくる。

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