VS赤原クレアと
◆VS赤原クレアと
奈落は真っ暗だったけど、アニス曰く、ちょーっとだけ明かりがあるそうだ。
「この闇でも見えるの?」
「だいたい見える……にゃ。だけど……」ぎゅっと僕の腕に抱きつくアニス。「なんかヘンな気配がしておっかにゃい」
「やっぱり戻る?」
「ううん! 大丈夫だよ!」
アニスの眼をたよりに、少しずつ進んでいく。
目が慣れても、やはり僕には見えない。
時折り、帰りの道標として何本かトーチを設置しているけど効果は薄かった。全体を照らせるかなという期待も、奈落は容易く飲み込んだ。果てしなく広いようだ。
「慎重にいこう」
「うん」
2人の声は、真綿の闇に吸い込まれるようで、隣にいるのに会話しづらかった。周りに誰かいたとしても、会話は聞き取りにくいだろう。
足元は柔らかい。至る所にこんもりと盛り上がったところがある。それは魔物の死骸だった。消化もされず、朽ちもせず、ただ死の空気をあたりに発散させている。
僕らから伸びる細い光の糸は、半開きになったニロの口へと続いている。糸の光は淡く、本当に繋がってるかを常に確かめていたくなるほどだった。
奈落探索の目的は、赤原クレアの発見、および復讐。そしてニロが違和感を覚えているベロの調査。思えば、いつかの朝ニロに呑まれた時、「死ね死ね死ね」ときこえた声は、赤原のものだったのか。
「ニロ姉は魔族だったんだね」
2人きりだからか、それとも語尾に気を回せないほど怖いのか、アニスは少しだけ震えていた。僕がもっと強そうなら、安心させてあげられただろうか。
「驚いたよね? ニロのこと。君には仕方なく隠す形になっちゃってたんだけど」
「ううん! ボク、秘密は守るよ? お客様の個人情報は保護すべきですから!」
「そうか。ありがとうね。僕もニロの秘密はなんとしても守るつもりだ。ニロは人間の生活に憧れてるところを、僕らと出会って。それでなんだかんだで一緒にいるけど。大事な「人」だからね」
「大事な人……?」
「うん」
「ねぇ、じゃあ、ボクのことは……?」
抱きしめられた腕に力がこめられる。すがりつくような力だった。僕は暗闇の力を借りて、気恥ずかしさを紛らわして答える。
「もちろん君も大事な人だ。妹みたいに思ってるよ」
妹だなんてキモすぎかな? 言ってから後悔したけれど、アニスは喜んでくれた。
「やったにゃー! 妹にゃ! 兄妹にゃ、血縁関係にゃ!」
「血縁関係って」
「違うにゃ? じゃあ扶養家族かにゃ?」
いや養うことになっちゃったよ。
「んー? 腹違いの兄妹ってとこかな?」
「なるほど! 今は一つのお腹の中にいるのにね!」
「はははっ、うまいこと言うね」
アニスの頭を撫でる。ハミングみたいに鼻を鳴らしてアニスは心地良さそうに目を閉じた。
不意に何かの気配を感じた。アニスもそうらしい。
「ロロ兄、何か来るにゃ!」
「うん!」
剣を抜いて、トーチを何箇所かに投げる。それでも僕には頼りない光だ。
なにか聞こえる。低く禍々しい響きだ。人が立ち入らない深海で海獣が鳴いているような。
2人とも周囲を警戒し、暗闇に溶け込む。向こうが遠距離武器や魔法を使うのなら、光の側は狙いやすい。赤原は出口が見えないからさまよい続けた。暗いところは見えないはずだ。
「ボクが引き続き、ロロ兄の眼になるにゃ」
アニスが囁いた。
僕は身体強化魔法で五感を鋭敏に研ぎ澄ます。といっても超人になれるわけじゃない。それでも相手の気配を逃さぬように集中する。
アニスがいる以上、のんびりしてられない。補足次第に呪殺だ。
「ロロ兄、上だよ! 何かが宙に浮いてるよ! ……危ない!」
咄嗟に横に飛んだ。真横を何か大きなものが通過したのを感じた。
赤原じゃない? 魔物なのか?
闇に浮いた敵。こちらが一方的に狙われている状況だ。
「アニス! さっきのやつ見えた?!」
「チラッとしか見えなかったよ! あの敵も暗闇が得意みたい。ボクに任せてよ! ちょっとの怪我ならロロ兄に治してもらうから!」
治す?
しまった。初対面の時、呪いのことを隠したから、僕はフェニの傷をたちどころに治した回復魔法士だと思われてるんだ。さっきはニロが魔族であることは話したけど、僕やフェニの秘密は話していない。
「うわっ!」
急に、地面が揺れた。
そして、
『ロロル君! ちょっと揺れるかもしれないけど我慢してください!』
貝殻からフェニの声だ。揺れるだって? なぜ?
そう思った矢先、再び奈落が大きく傾いた。それからバウンドしたり、揺れたり、もうめちゃくちゃだった。
『ロロル君。非常事態です。すいませんがしばらく通信を切ります』
なんだって!? 向こうでもトラブルが起こったのか!
「ロロ兄ぃ〜……!」
アニスの声がする。離れ離れになってしまったようだ。合流した方がいい。いくら揺れたって、宙に浮いてる敵には関係ない。
「アニス! 合流しよう!」
走り出して何かに躓いた。大方、魔物の肉塊だろう。僕が傷つくのはどうでもいい。アニスを守らないと。
トーチのスイッチを入れた。相手が見えているなら消しててもしょうがない。
照らされた数メートル先の暗闇、その上の方を、大きな絨毯のようなものが過ぎった。翼もなにもない、ぬめり気のある物体。その上に赤原が乗っていた。それとあと、もう1人いたような気もする。追いかけようとしたら、地面がはねて転倒した。トーチが壊れて光が消えた。
「アニス! 君だけでも逃げろ! 僕は————」一旦言葉を切って、続けた。「僕は回復魔法は使えないんだ! 君が怪我したら治せない!」
人間の赤原だけならともかく、得体の知れない魔物もいるとなると話は違う。
鳴き声のような響きが大きくなってくる。その中でアニスの声がした。
「大丈夫、ボクを信じて。ボクもロロ兄を信じるから」淡く冷たい火の玉が刹那、光った。「ここはボクの檜舞台にゃ! 踊ろう、【プレイアローン】!」
何が起こっているのか把握できなかった。
ただ小気味よいリズムでまたたく火の玉と、淡いフラッシュの中で舞い踊るアニスが見えた。それからアニスの周りでうごめく複数の影たち。
どれぐらいアニスは踊っていたろうか。
誰かの苦痛の声が聞こえた。赤原の声だ。
「獲物が逃げたよロロ兄! ネズミ狩りにゃーッ!」
火の玉のまたたきで辛うじて出口に駆ける赤原と、彼女を四つん這いで追うアニスの姿が見えた。
「深追いしちゃダメだ! ぐぁッ!」
腹部に強烈な一撃を受けた。
体が宙に浮き、その後に重力の理により床に叩きつけられる。
空間の揺れがおさまった。
僕は闇の中を飛んでいたものをよくやく視界に捉えた。




