第2話 近づく不穏と嵐
極秘資料を手にして、サトーの待つスカイカーに戻ったカツェーニャは後部座席でCEO直通の極秘回線を用いて通信を始める。
「こちら08。目的を達成、一時帰投し、次のビジネスに移る」
「……ご苦労。次のビジネスは無しだ。04がその任を請け負う。08は帰投し少し休むと良い」
従者企業の中で三本の指に入る規模の企業『|従者互助協会《サーヴェント・ミューチュアル・エイドゥ・ソサエティ》』のCEOは甘い男ではない。
それがこの程度の労働で休めと言う事にカツェーニャは訝しげに眉根を寄せた。
次の仕事は自分よりも上位者の04を向かわせるような仕事でも無かろうにと思うと同時に、『斬鉄執事』の笑みを見た時の様な胸騒ぎを覚えた。
だが、CEOの言葉であれば従うより他にはない。
通信を切り、サトーに声を掛けた。
「次のビジネスは無しだそうだ。本社に帰投してくれ」
「無しとは珍しい。ともあれ、嵐が近いと申しますし、戻ると致しましょう」
「季節外れの嵐か。――サトー。死に際に笑みを浮かべる者の気持ちが分かるか?」
「……孫が生まれたばかりの私には分かりかねますな」
何かを逡巡するような間を開けてから、サトーは答えを返した。
何か、心当たりが無いでも無いのかとカツェーニャは推察したが、更に尋ねるような事は止めて緑色の双眸を閉じた。
ガラスに弾ける雨粒の歌を聞きながら、本社までの道のりをカツェーニャは心静かに過ごした。
『|従者互助協会《サーヴェント・ミューチュアル・エイドゥ・ソサエティ》』の本社は高さが978Mの超々高層ビルだ。
サーチライトが侵入者を発見しようと目まぐるしく周囲を照らし、五階毎に設置された武装階からは、エーテルをエネルギーとする砲や銃が威圧的に外部に突き出ている。
何とかその武装を掻い潜った所で、このビルに勤める者の大半は従者であり、警備する者達は全て神教財団の聖堂騎士であればAランク以上の凄腕ばかりだ。
科学と信仰と高額報酬により物理的、精神的な守りを固め、戦闘意欲をも高められた聖堂騎士ならば、並のテロリストやモンスター達を十分に殲滅可能だ。
「自社管制、こちら08搭乗のスカイカー1123。880発着場に向かう」
「こちら管制。スカイカー1123は775発着所に向かえ」
「メイド・オブ・ラウンド08搭乗機に800M以下の発着場を使えと?」
思わず声を荒げたサトーに対して、管制は幾分申し訳なさそうにしながら続ける。
「800M以上の発着場に異常あり。900M以上の発着場はCEOか01のみが使用可能な事を踏まえれば……」
「サトー、管制に従え。多少エレベーターに揺られる時間が増えただけだ」
サトーは自身の白髪を指先で弄って気分を落ち着かせると、管制に了解を伝え、通信を切った。
「失礼しました、カツェーニャ様」
「あまりボクの為に血圧を上げないでくれよ」
一つ笑って、カツェーニャは片手を軽く振って見せた。
発着場に近づけば、操縦は自動運転へと切り替わり、管制に誘導されるがままにスカイカーは775発着場へと向かう。
地上から775M上空にある発着場のハッチが左右に分かれて開き、スカイカーが何の問題も無く発着場に停車する。
その間にカツェーニャは訝しそうに眉根を顰めていた。
普段ならば誰も居ないか、居ても1人か2人の出迎えが今回は8名もいる。
その全てが右袖だけ赤く染めたメイド服を着ている同じ顔のメイドだ。
「災厄のアリス……内部調査の為の部隊が何故?」
「さてな」
(この資料を手にした者は皆粛清だとか言うのではないだろうな……)
CEOとの通信でのやり取りに感じた違和感がカツェーニャの不安を増大させる。
8人の災厄のアリスを相手にするのはリスクが高いが、座して死ぬつもりはない。
例えサトーが敵に回ったとしても、なんとかやれる筈だ。
そう覚悟を決めたカツェーニャに災厄のアリスの一人が声を掛けた。
「メイド・オブ・ラウンドが1人、次席番号08カツェーニャ様。まずはお騒がせして申し訳ありません」
「……一体何事だい?」
「運転執事サトー氏に公金横領の嫌疑が掛けられています」
無い。
サトーはそんな事をするわけがない。
会社の金を横領するなどサトーに有るまじき行いでは無いかと、カツェーニャはそう抗議したかった。
だが、抗議をする暇は当の本人により与えられなかった。
「……確かに公金横領と言えば横領ですかな。社員証を忘れた際に販売機でコーヒーを買うのに小銭を少々」
「子供のお使いかい?! なんだよ、もう……そんな事なら直ぐに済むだろうさ、早く行きな」
「返したはずですが、足りませんでしたかなぁ」
呆れ返り脱力したカツェーニャに惚けた様に告げながらサトーは運転席から降りて、一切の抵抗の意思を示さずに災厄のアリスに連れていかれる。
一人残った災厄のアリスの部隊員がカツェーニャをCEOの元に案内すると告げて歩き出した。
極秘資料を片手にその後に続きながら、カツェーニャは軽く嘆息していた。
その為、前を進む災厄のアリスが僅かに戸惑っていた事に気付いていなかった。
無言の先導者に付き従い、漸く最高経営者の部屋に辿り着く。
扉の前に立つ二人、メイド・オブ・ラウンドの次席01アイリーンと竜滅執事コルヴァ。
CEOの護衛として扉の前で待機しているのは、おかしな事ではない。
「ご苦労でした、カツェーニャ。ただ、お付きの執事の管理は徹底するように」
相変わらず全く隙なくメイド服を着こなす獅子心侍女アイリーンの言葉に面目ないと素直に頭を下げるカツェーニャ。
コルヴァは普段通りの仏頂面で周囲の警戒に余念がない。
扉が開かれると会話もそこそこにカツェーニャはCEOの部屋に入る。
部屋の中には無数のモニターが設置されており、経営状況や一般投資家が買い付けできる通常株価を示すリアルタイムデータが示されているほか、協会の従者たちの仕事現場なども写されていた。
「メイド・オブ・ラウンドが1人、次席番号08カツェーニャ様、御帰社なさいました」
先導していた災厄のアリスが扉の脇に退いて、カツェーニャに進むように促しながら、報告を行う。
「メイド・オブ・ラウンドの名に恥じない働きだった。取り戻した資料をそこのデスクに置き、休むと良い」
モニターの光で逆光となり顔を良く判別できないCEOは此方を振り向きそう告げた。
カツェーニャは何故にか、背中に冷たい汗を流しながらも、CEOの言葉に従う。
一歩デスクに近づくと、カツェーニャの背後に控えていた災厄のアリスが腰の得物に手を掛けた。
二歩デスクに近づくと、得物を静かに抜き放つような微かな物音が響く。
三歩近づくと……。
「失礼!」
扉の向こうでアイリーンが叫び、扉を破壊して災厄のアリスの首へと己の髪と同じ色のオーラを纏った手刀を繰り出していた。
それと同時にコルヴァの拳より放たれた衝撃波がその足を破壊した。
飛び散るのは血飛沫ではなく、無数の機械と油。
災厄のアリスは固有名を持たないAIにより制御された機械人形達である。
「CEOの居室にて抜剣するとは――AIが侵食されたと言う報告はないが……バグか?」
アイリーンの独り言を聞きながらカツェーニャは資料を提出し、踵を返す。
一連の災厄のアリスの行動がバグなり敵対者の工作の結果であれば……。
「サトーの安否は確認できている。軽傷だ。メイド・オブ・ラウンドが1人、次席番号10カルラが通りかかった所で抗戦していたようだ」
「彼が公金を横領した事実も無ければ、社員証を忘れた事が無い事も確認されている。良い部下を持ったな、08」
急ぎ足となったカツェーニャの不安を見抜いてか、アイリーンが社内ネットワークにアクセスしてざっと状況を説明してくれた。
続いて、CEOがサトーの無実を告げれば、カツェーニャは一度振り向き静かに一礼して、その場を後にした。
30分後には、ヒューマンエラーで一部の災厄のアリスの行動にバグが生じていたことが発覚したが、カツェーニャを取り巻く不穏さは消える事は無かった。
そして……。
『|従者互助協会《サーヴェント・ミューチュアル・エイドゥ・ソサエティ》』の本社に向かって飛ぶ大型スカイトレイラーが一台。
その車体の脇には、剣と薔薇の社紋が刻まれていた。
その社紋こそが『従者同盟』の……復活が懸念されている『同盟』の社紋であった。
「……『協会』は見事に餌に食らい付いた。セバスチャンの犠牲を無駄にはできない……総員、目標物を奪取し、生還せよ」
「了解しました、総帥」
揺れるコンテナの中、車椅子に座るダークスーツの男が下知を飛ばすと、控えていた5名の従者が恭しく一礼し、答えた。