第1話 ある日の風景
眠らない街、トーキョーシティ。
昼夜問わず厚いエーテル雲に覆われている為、常に煌びやかなネオンが輝く街。
数多の言語が入り乱れた大小のネオン看板が闇を切り裂き、人々に希望を与え欲望を刺激する街。
そんな街の空を行き交うのは、反重力エーテルエンジンで動くスカイカー。
管制システムにより制御されたスカイカーは空を縦横に飛びながらも、事故を起こす事は稀であった。
そんなスカイカーの一台に乗り込んでいる女が一人。
銀色の髪を背後で結わえ、少女の域を出たばかりの美しい顔立ちの女は、スカイカーの後部座席に座り何処か物憂げに曇天を見上げている。
「カツェーニャ様、如何なさいましたか?」
「何でもない。それよりも、現場に急でくれないか、サトー」
「御意のままに」
運転席に座る初老の男が、管制システムから操縦権を受け取りスカイカーの速度を上げる。
交通システムの乱れを生じさせない行為だが、カツェーニャと呼ばれた女が乗るスカイカーにはそれが許されている。
何故ならば、彼女はトーキョーシティの畏怖の象徴であるメイド服を纏うメイドだからだ。
サトーもまた、カツェーニャよりも下位であるがバトラーであれば、このスカイカーを止める者は同職の者をおいて他には居ないだろう。
「しかし、同盟の復活ですか」
「――滅びた同業他社の復活なんて話は、我らがCEOも嬉しくはないだろうね」
「ですな」
サトーに操縦権が移された今、彼らの乗るスカイカーの動きは、他とは明らかに異なった。
オフィスビルの谷間を抜け、黒く輝くエーテルレインを弾きながら他のスカイカーを大きく引き離す様な速度で走る。
煌めくネオンが瞬く間にカツェーニャの視界より流れていく。
広告内容に全く興味が無かったが、その全ての広告がカツェーニャの頭に残るのだから、ネオン製作企業はとんでもない広告技術を擁していると舌を巻かざる得ない。
そんなカツェーニャの感嘆をよそに、彼女の乗るスカイカーは弾丸のようにトーキョーシティの空を切り裂き進む。
同盟復活を試みる従者に盗まれた極秘資料を取り戻すべく……。
トーキョーシティの支配者は少数の経営者からなる。
彼等は『経営権神授説』に基づき、大企業を経営し、異能力を持つ私兵を当たり前の様に所持している。
……異能力、或いは太古には存在した力と言うべきか。
新エネルギーであるエーテルがもたらした弊害の一つにあげられるエーテルレイン、この黒く輝く雨が世界を変えて久しい。
遥か昔に閉じられた門が開き、空想上の動物とされて居た者達が解き放たれた。
人間も雨の影響か、自衛の本能の為か異能力を備えた者達が生まれ始めた為と、進んだ科学技術の成果により大勢に影響はなかったが、やはり門の向こうの者達は恐れられた。
今では唯一エーテル雲の上を飛び交う種族ドラゴンや、人間と同じように科学文明に染まり切ってしまった妖精族や魔族と呼ばれる者達。
そして、大都市の圏外で理性無く人々を襲うモンスター。
彼等の脅威や他企業の工作員から身を守り、或いは敵を殲滅するための力を経営者が求めたのは当然と言えた。
経営者が集めた私兵たちは、その腕前も当然ながら一流のビジネスマナーと所作が求められ、何時しか従者と呼ばれる様になる。
「同盟の復活か……」
「我らが協会の円卓の十二人……メイド・オブ・ラウンドの一人、一閃のカツェーニャ様でも同盟は気になりますか?」
「従者企業の先駆者だからね。それに……いや、何でもない」
同盟の創業者は従者を育成し、一流どころに育て上げ派遣する従者企業の先駆者である。
今では同じような同業他社は複数あるが、最初にそのビジネスを思いつき、実行に移して成功させた同盟の初代総帥は尊敬に値するだろう。
それにカツェーニャが同盟の名を気にするのにはもう一つの訳が在った。
彼女の姉も三年前の同盟倒産時に同盟のメイドとして所属していたからだ。
死体も発見されておらず、メイドしての腕前も高かった姉だから生きてはいるのだろうがと、親族の心配をする姿は腹心と言えるサトーにすら彼女は明かす気はなかった。
プライベートの秘匿もまた、仕事の一環だ。
ネオンの光を切り裂き進むスカイカーが目指す先に、数多の企業軍スカイカーが飛び交っている様子を見つければサトーは静かに告げた。
「接敵しますぞ」
「――分かっている」
そう告げたカツェーニャの緑色の瞳がある影を捉えて細められた。
数多のスカイカーに投光され浮かび上がるその姿に。
執事服を纏い、隻腕の老いたバトラーが投げかけられた光に照らされていた。
すっかり白くなった髪と髭に乱れはなく、光を煌めかせながら輝く刀身を構える所作には一流の凄味があった。
「斬鉄執事……セバスチャンか」
「同盟の古強者ですな。まさか生きて居たとは……」
「奴ほどのバトラーならば極秘資料の一つも盗み出せるだろうが……落ちぶれたものだね」
同盟の四大執事が泥棒の真似事とは。
そう嘯いてカツェーニャは後部座席のドアを開けた。
「ご武運を」
「負ける気はしないが、次の仕事に遅れるかもしれないな」
サトーの言葉に、横から吹く風に運ばれてくる黒く輝く雨に打たれながら愛用の刀『竜殺し』を片手に持ちカツェーニャは微かに笑んで答えた。
そして、ふわりと地上に目掛けて飛び立った。
カツェーニャのブーツが雨に濡れた地面に接触したのと同じとき、老いた隻腕の執事へ投光していたスカイカーの一台が爆発炎上した。
途端に数台のスカイカーの下部に設置されたエネルギーガトリングがキュンキュンキュンッと叫びながら弾を吐き出す音が響く。
「無駄だ」
カツェーニャの小さな呟きを掻き消す轟音。
隻腕の老いた執事が背にしていた廃倉庫が嵐のように叩き込まれるエネルギーガトリングの光弾により破壊され、崩れ落ちたのだ。
対象を沈黙させたかとスカイカーの下部に設置されたガトリングが回転を緩めた刹那、スカイカーが爆散。
見れば、左袖を風に揺らし、右腕に携えた刀で残心を構える執事の姿がそこに在った。
全くの無傷。
スカイカーの搭乗員が叫びながら再びガトリングのトリガーに指を掛けた頃には時すでに遅し。
刀を水平に構えたまま飛び上がった隻腕の執事が既に眼前に迫っていた。
そして、水平に一閃。
濡れる地面に着地した隻腕の執事を包む一瞬の静寂。
そして遅れて響いたのは爆発音。
その全てを視界に収めながら、カツェーニャは笑みを浮かべ、愛用の刀を抜き放っていた。
隻腕の執事と疾駆するカツェーニャの視線が交差したと思えた瞬間、二人は互いに刃を交えていた。
互いに言葉など無い。
鉄火場で他社の従者と出会えば、それは戦闘の合図でしかない事をこの二人は熟知していた。
突く、薙ぐ、切り上げ、切り下げ、そして再び突く。
互いの刀が目まぐるしく攻守を変えながら踊るが決定打が出ない。
避けられ、或いは刀で弾かれて必殺の一撃は空を裂くばかり。
その均衡が崩れるまで何合打ち合ったか覚えていないが、遂にはカツェーニャの一閃が斬鉄執事の首筋を切り裂く。
切り裂かれた枯れ木の如き首筋から噴出する血は、黒く輝く雨溜まりを赤く染めた。
「終わりだ、斬鉄執事」
「――我が身など既に惜しくはない……ごふっ」
崩れ落ちた嘗てはトーキョーシティ最強の剣豪と謡われた執事。
その顔に浮かぶ笑みに、カツェーニャは胸騒ぎを覚えた。
何かを見落としているのではないか。
そう悩む現在のトーキョーシティ最強の剣豪メイドは、勝利の余韻に浸る事も無く黒い雨に打たれながら暫しその場に佇んでいた。
遠くから響く企業警察のスカイカーがサイレンを響かせ急行して来る音を聴き取れば、メイドは愛刀にこびり付いた血脂を吹き飛ばし、エプロンドレスの裾で拭って納刀する。
そして、倒れた執事が懐に忍ばせていた極秘文章が入った茶封筒を取り出せば、踵を返して去っていく。
黒く輝く雨が全てを塗りつぶすこの夜も、トーキョーシティでは良くある風景に過ぎない。
だが、この一夜の出来事を見つめる影が遠方にある事をカツェーニャはまだ気付いてはいなかった。
車椅子に乗るダークスーツの男と若きメイドとバトラーの存在に。
だが、カツェーニャは程なくして知ることになる。
滅びた企業のCEOが帰還を果たしたことを。
嘗ての剣豪執事の、斬鉄執事の死は、その復活を知らせる狼煙である事を。