vsアールグレーン兄弟1
「おや、お出かけかい?」
メーサは<四つ辻亭>に出勤する途中、ダリオとエリーに会った。良く言えば個性的だが、同時に浮いた二人でもあった。何と言うか、しっくりこないのである。何にしっくりこないのか、と自問するメーサであったが、言葉は出てこず、強いて言えば<この世界に>としか言いようがない。服装も立ち振る舞いもおかしなものではない。もっと根本的な部分に違和感を覚えるのだ。とはいえ、自分には関係のないことだ。余計なことに首を突っ込むものではない。
「ええ。観光でもしようかと思いまして」
「観光ねぇ……。別に見どころがあるような街でもないけどね。昔から、王都への中継地って感じの街だし。ま、市場にはいい店があるから、行ってみるといいよ」
ダリオがふと思いついたように、
「メノワ地区というのはどう行けばいいんですか?」
「ああ、中央広場から北西のほうに半刻ほど歩けば……って、あそこはダメだよ! あんたたちみたいな旅行者が行くところじゃない。地元の私らだって用がなきゃ近づかないんだ」
メーサは慌てて手を振った。メノワ地区はある程度の規模の街には必ずある、いかがわしい行為に手を染めているいかがわしい人間たちが闊歩する地域だった。いったい誰から吹きこまれたのか知らないが、ダリオとエリーのような人の良いおのぼりさんはいいカモだ。身ぐるみ剥がされるくらいならまだマシなほうで、特にエリーみたいな眉目秀麗な少女などは何をされるか分からない。誘拐されて売り飛ばされることだってあるのである。
「そこには、アールグレーン兄弟という有名人がいるとか」
「ちょっと、誰から聞いたんだい?」
メーサは仰天した。旅人が知るような名前ではなかったからだ。
「あの兄弟は有名っていうんじゃないよ、悪名高いっていうんだ。頭のイカれた乱暴者で、徒党を組んでるから誰も手を出せないんだ。人殺しなんか屁でもないって奴らだよ。お役人どもも自分たちの領分に入ってこなけりゃ放っとくしね。袖の下を贈ってるからって噂もあるけど。ま、ああいう悪人どもは長生きできないって相場が決まってるからさ。そのうち天罰が下るよ」
「なるほど。分かりました。決して近づきませんよ。命あっての物種ですからね」
ダリオはにこやかにうなずいてメーサに礼を言うと、夕食を楽しみにしてますと言い残して
その場を後にした。
「まぁ、分かってくれたんならいいけど……」
メーサはほっとしたが、同時に一抹の不安も覚えた。本当に分かったのか、ダリオの表情からは判断できなかったのだ。どうも真剣味がない男であった。
街道を行く二人の後ろ姿を、メーサはしばらく見送っていた。
「だいたいここらあたりからメノワ地区なんでしょうね」
ダリオはきょろきょろと周囲を見回しながら、エリーに語りかける。エリーは対照的にまっすぐ前を見て、周りには無関心な様子だ。
「建物が粗末になってきてますし、雰囲気が良くなりましたねぇ」
うひひ、と何がおかしいのかダリオは忍び笑いをする。
「ほら、道行く人たちも何だか油断できない面構えになってきましたよ」
メーサの言う通り、中央広場から半刻ほど北西方向に歩くと、いつの間にか薄暗く、道幅が狭い路地ばかりの地区に入る。建物は建て増しを重ね、いまにも崩れそうなものが多く、行き交う人々もどこか剣呑な雰囲気を帯びている。ダリオとエリーを見る目つきも──特にエリーを見る目つきは──まるで獲物を見るようだ。
二人がメノワ地区に来た理由はこうであった。
……例によって、<四つ辻亭>で食事をしていたときのことである。
「あなたがダリオさんですか?」
声をかけてきたのは、ころりと太った中年の女性であった。貴族にありがちな不健康な太りかたではなく、体重があるほうが元気が出るタイプの女性らしい。つやつやした肌は普段の血色の良さを窺わせたが、今は心配事があるようで、青ざめて憂鬱そうな表情だった。
「はい。そうですが……」
ダリオは慣れた仕草で椅子を勧めると、穏やかに微笑んでみせた。
「何かお困りのことがあるようですね。詳しく聞きましょうか」
中年女性は堰を切ったように話しはじめた。
夫を亡くして以降、一人息子のフィンを大切に育ててきたが、最近そのフィンがタチの悪い輩の仲間入りをしてしまった。自分もさんざん言ったが言うことを聞いてくれない。何とかしてもらえないだろうか……。
簡単に言えばこうだが、実際は話があちらこちらに飛び(夫の死因は……。夫が死んでからの生活は……。あの子が小さい時は……。夫との馴れ初めの話はさすがに辟易して口を挟んだ)、本筋に誘導するのにダリオはさんざん骨を折ることになった。
「な、なるほど。要するに息子さんを取り戻してほしいと」
「はい。フィンは騙されてるんです! 仲間になればおいしい思いができると! ああいう奴らは決まってその手の甘い言葉をかけるんです!」
女性は断言した。
「その通りです。その結果、いいように使われてボロ雑巾のように捨てられる羽目になります」
ダリオも大きくうなずいた。その言葉を聞いて、女性の顔色がさらに悪くなる。
「さて、それでは息子さんの特徴と、普段どこにいるのか、教えてもらいますか?」
女性は身長・体格・髪や瞳の色・顔立ちなどなど、詳しい特徴を──いささか詳しすぎる特徴を述べ、居場所はメノワ地区ということだけで詳しいことは分からないと、困った顔で言った。
「最近は家にもなかなか帰って来ないんですよ! この前家にいたのはもう六日も前です!」
「ふーむ。ほかに参考になることはありますか?」
「そうですね……息子の口からアールグレーン兄弟とかいう名前が出たことがありますけど!」
「アールグレーン兄弟……」
ダリオは何か思い出すような顔で呟いた。それからにこやかな笑顔を浮かべると、
「いや、分かりました。何とかしてみましょう」
「そうですか! ありがとうございます!」
女性の顔がぱっと明るくなり、それから心配そうに、
「あ、それからメノワ地区には行かないで下さい!」
「おや、何でですか?」
「あそこは地元の人間でもあまり近寄らない場所なんです! 悪い奴らが集まってるところで!うちのバカ息子が帰ってきたら知らせますから、一緒に説得してくださればと!」
ご安心をと返答し、女性が帰ると、ダリオは立ち上がった。
「さて、行きますか。息子さんが帰ってくるまで待つなんて、悠長な真似はしてられませんからねぇ」
エリーはふと思いついたように、
「メノワ地区とやらにはどう行けばいいの?」
「そういえば知りませんね……。ま、歩いてる人に聞けばいいでしょう。誰か教えてくれますよ」
そうして<四つ辻亭>を出てすぐに二人は出勤途中のメーサに出会ったのであった……。