誘い
彼女と一緒にいれば、僕の知らないことは、すべて知れるような気がした。
彼女と一緒にいれば、僕が知りたいことは、すべて知れるような気がした。
「すみません、あなたと同行することを許してはいただけますか? あなたが何をしているのか、僕はあなたを見ていたいのです」
邪魔になることは間違いないのだから、断られることも覚悟していたが、迷わず彼女は快諾してくれた。
「お前ぇが大丈夫なら、あたしゃ別にいいぜ。そうだ、どうせなら、お前ぇの暮らしもあたしに教えてくれよ。なんなら、見せてくれ」
これ以上は迷惑を掛けられないのだし、迷惑を掛けた侘びとして、僕の家に招待するのもまたいいかと思った。
幼い僕を平気で愛のない他人に渡すような家族であるが、僕がいるから、動くに動けないと、きちんと僕に人質としての役割を与えてくれる家族でもあるのだ。
行き過ぎた尊重が、優しさと反しているだけだと僕は知っている。
僕を甘やかすばかりの家族なら、許してくれるだろうか。
本来ならば、預かられていた家を抜け出して、小汚い少女と帰宅するだなんて、とても許せるようなことではないと思う。
「わかりました。あなたの生活をある程度だけ見せてもらったら、その後には、僕の家にあなたを招待します。少し距離がありますから、移動に時間が掛かりましょう」
車に乗せられての移動しか、経験がないのだけれど、歩くとどれくらいの時間が掛かるのだろうか。
僕には道だってわからなかった。
「あ、え、う、えぇ? 嘘だろ。あたしでも知ってらぁ」
「それほどまでに有名なものなのですか?」
「おう、ものすんごく有名だ。何も知らねぇあたしだって知ってるんだから、街の人だったら、知らねぇ人なんているわけねぇ」
話をしてみたなら、わかりやすく、口を大きく開けて驚いてくれた。
楽しそうに話を聞いてくれて、頷いてくれて、一々驚いてくれるのは、とても嬉しいことなのであった。
僕の名前を言っただけで、驚いてくれるのだ。
僕の当然を言っただけで、驚いてくれるのだ。
やはり人と話をすることは、楽しく興味深いことであった。
この感覚は止められそうにない。
寂しさ。
感じたことのないこの感情を、僕は初めて知った。
本を読むばかりでなくて、これなら今までも、話し相手を一人でもつけてもらったならよかった。
「そ、そんなところに、あたしなんかが行ってもいいのか? というか、坊ちゃんとあたしじゃあ、会うのも駄目なんじゃねぇか? うあぁ、あたしにゃわからねぇや」
混乱しているように見えた。
感じなくてもいいのに、身分の差がどうのこうのとか言って、急に敬語を使おうと努力しているようである。
しかし彼女は敬語を使ったことがないらしく、どのようにしたらいいのか、どのようにしたら失礼に当たらないのかが、わからないのだと言ってきた。
「無理しなくていいのですよ。敬語など必要ありません」
「そういうもんかね?」
「あっそれでは、舞踏会に、付き合っていただけますか? たった二人きりの、月夜の舞踏会です」
申しわけなさそうにするものだから、困った僕は、そのような誘いをしてしまっていた。
「それこそ無理だろ。あたしゃ舞踏会なんか出たことないし、踊りなんて、踊りようがないじゃないか。無理に決まってる」
慌てて首を横に振っての否定。
「僕も舞踏会に出たことなどありません。踊りなど、踊ったことがないのですから、僕だって同じですよ。だれも見ていない、いえ、月しか見ていないのですから、世間体も関係ないのです」
差し出した手を、彼女はそっと握った。