脱走
いっそ、抜け出してしまおうか。
僕がここにいた方が快適だから、ここにいただけのことなのだ。
ここが快適でなくなったのなら、抜け出してしまうだけ。
簡単なことではないか。
どこか行く当てがあるわけでもないが、困ったなら、両親の待つところへ行けばいいだけなのではないか。
心配して僕の帰りを待ってくれているに違いない。
帰った僕が悲劇を語れば、もうすべてが終わる。
彼のすべてが終わる。本に囲まれて過ごすだけの、僕の生活も終わりは告げるけれど、それにはもう飽きてきた頃だ。
この際、構わない。
自由にさせてくれた、彼に感謝をしていないはずがない。
感謝な気持ちはあるが、その分の見返りは、既に十分にあったのではないかと思う。
現に、彼は今、生きているのだからね。
ここに僕がいなければ、彼はとっくに殺されていたに決まっている。
僕の心を繋ぎ止めようという努力は、自分のための下心に溢れていて、本当に僕の暇潰しでしかないことに気付いていないかのようだった。
彼にとって僕の認識が道具なら、僕にとって彼の認識が道具だったとしても、責められる謂れはない。
感謝はしている。
ただそれだけの気持ちを残して、ここを去るのも悪くはない。
最初から、好きにさせてくれるとの話だった。
実家を息苦しいと感じていたから、こちらに来たのだ。
「そうですか。わかりました。どうしてもそれが許されないことだと言うのなら、……わかりましたよ。代わりに、追加の本を用意しておいてください」
実際に僕が読むかどうかはともかく、ね。
「わかった。好みそうな本を用意しておく」
もう、外の世界への興味を失ったとでも思っただろうか。
安心した様子で、軽く鼻で笑い去って行った。
本当に僕が何もわからないとでも思っているのか。
馬鹿みたいだね。
頭が足りなかった、良心も足りなかった、運も悪かったね。
恨むべきは君自身の実力の方さ。
以前から気分で着ていたこともあり、怪しまれることもなく、煌びやかな装飾も立派な正装も手に入れることができた。
金持ちのお坊ちゃまは、利用されていることもわかっていない。
人形としか思われていないのに、愛されていると勘違いして、不用心に子どものように無邪気に、わがままを言うばかり。
金持ちの育ちだから金は掛かるが、求めるものを買ってやれば、ただそれだけで十分なのだ。
可哀想なのはどちらだろうね。
知らないで、勘違いしているのは、どちらだろうね。
愚かなのはどちらだろうね。
わかっていないのは、どちらだろうね?
「……馬鹿みたい」
売れば使えるだろうと、装飾物を手拭いで包んでベルトに括りつけ、少しの警戒もされていない場所を一人逃げ出す。
夜。月明りのない、暗い夜。
この中を一人で歩くのは、初めての感覚でワクワクした。
これだけで楽しくて、堪らない背徳感がある。
大好きな本を読んだときでも、これほどワクワクしたことがない。
走る。走る。走るのは、知らない感覚。
僕は走ったことがなかった。
一人で外へ出たことも、僕にはなかったのだ。
楽しくって、堪らなかった。