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烏が護る空

――空はどこまでも蒼く広がり、残酷なまでに平等だ。


 本土で最も南方の地に派遣されてから一か月程度。最前線であるこの地は、しかし、地元からほど近く、飛行士になりたての時期にこの基地に所属していたこともあり、どこか懐かしく感じる。快晴とまではいかないが、晴れわたる空。帝都より少し強い日差しを浴びながら詰所へ向かう。

 戦争が始まってから3年が経とうとしていた。

 開戦当初こそ、新鋭の戦闘機と苛烈な訓練で鍛えあげられた飛行士たちにより破竹の勢いで進撃していたが、開戦から半年ほどの局所戦での敗北をきっかけに、形勢は徐々に逆転していく。気が付けば、本土にまで敵の爆撃機が来襲するようになり、飛行士の任務はその迎撃の主たる要素となってきた。

 この地――阿麻弥航空基地は最前線であり、最も爆撃機が襲来するルートとなっている。そこで、戦力の増強と、対爆撃機要因の育成のため、迎撃戦闘を主とする首都を守る帝都護空隊から人員が配備されることとなり、その白羽の矢が俺に当たった。異動したその日から、爆撃機はやってきては、空にあがっている。

 堕としても、堕としても、毎日のように来襲する爆撃機に、もはやこちらが堕ちるまできりがないのではないかと思えてくる。そんな、不穏な想像を振り払いつつ、慣れてきた動作で詰所に入る。

 そこはすでに、賑やかな喧騒に包まれていた。その中の一人が俺を見つけ、近づいてくる。牛深雲雀。俺と同期入隊の女性。途中で帝都に異動した俺と違い、ずっとこの地で戦い続けている。最前線でずっと戦ってきただけあって、戦闘機相手の戦いは目を見張るものがある。

「来た来た。今日もよろしく、先生」

 茶目っ気たっぷりの顔で、同期が微笑む。呼び慣れず、呼ばれ慣れないその呼び方に、やれやれと頭をかく。



「基本は直上から一気に逆落とし、胴体は堅いから、翼の付け根を狙う。太陽を背にできればなおいい」

 左手を水平に動かし、左手に対して上から垂直に右手を突き落とす。右手を左手にあて、左手は落ちていく。

その動きを牛深をはじめとした詰所内の飛行士たちが見る。空で戦う以外にも、こうして自分の経験を伝えるのが俺の仕事だった。特に、この基地の飛行士は侵攻や護衛には慣れているが、爆撃機への迎撃はこれからという状態である。

俺の手の動きをふむふむと眺めていた牛深だが、でも、と俺の左手と右手を掴み、元の位置に戻す。

「警報を受けてからの迎撃では、双睛でも直上を位置取るのは難しいじゃない? その場合は?」

 「双睛」は新型の迎撃戦闘機であり、国内で量産されている戦闘機の中では随一の上昇力を誇る。飛躍的に性能を伸ばす爆撃機への対抗策として戦争早期から開発がすすめられ、上昇力と火力の高さから、現在、爆撃機迎撃の主力となっている。

 牛深の問いかけに、今度は右手を左手の下にもっていく。先ほどの上からとは逆の動き。

「その場合、二種類あるが、安全なのは真下からの突き上げかな。ただ、こちらも速度を失うから、相手の防御機銃や護衛機に注意がいる。あとは正面から反航戦をしかけ、操縦手をやるか、だな」

 爆撃機からすると、下方というのは死角になりがちである。あるいは、正面から操縦系統を一撃で破壊するか。なんにせよ、奇襲しかない。装甲が厚く、防御機銃の多い爆撃機相手に、持久戦ではじり貧となる。

「注意……双睛で敵の護衛機と戦闘せざるを得なくなった場合は?」

 今度は俺の手をそのままに、自分の手を俺の手に向かって向けてくる。最近になって、爆撃機は新型の護衛機を引き連れて来るようになった。新型とはいえ、長距離を飛んでくる護衛機という制約のためか、機体の空戦性能は特筆すべきほどではないが、俺はすっと自分の手をひっこめた。

「基本的には逃げるべきだ。双睛は相手に比べて機動力がないから、戦闘機動を繰り返せばこちらがジリ貧になる。それでも、もしも戦わざるを得ない状況になったなら……」

 牛深の手を取り持ち上げる。その手を反対の手で下から追いかける。さっきは向こうから手を取ってきたくせに、俺が手を取ると、牛深はびっくりしたような顔をして、一瞬手をひっこめそうになる。説明のため、それを抑えて話を続ける。

「こちらの方が機体の軽さや上昇力では勝っている。横方向の旋回ではなく、縦方向を中心としたエネルギー戦なら、勝てる可能性も残る。まあ……それで五分五分がいい線だから、よほどのことがない限り、味方の方に逃げるべきだな。牛深には言うまでもないだろうけど、双睛の性能では厳しくても、伽楼羅ならこちらが有利に立ち回れる」

 迎撃戦闘機の双睛に対し、新型の制空戦闘機の伽楼羅であれば、往復の燃料を満載した戦闘機相手には、飛行士の技量が同程度であればまず遅れは取らない。この基地の飛行士であれば、多少不利な状況からでも立て直せるだろう。

 牛深はしばらく俺が掴んだままの手を見ていたが、何を思ったか、掴んでいた手と空いていた手でパッと俺の手を包む。それまでの飛行機の動かした手の動きと関係なく、握りしめる動き。俺たちの話を聞いていた飛行士たちがざわつく。一時間があき、それは囃すような声に変った。

「なるほど、いざというときには、あんたが助けてくれるってことね」

 その一言で、囃す声が盛り上がる。無邪気にニコニコとしている牛深の顔を見ると、すぐには否定の言葉も浮かばない。

「……っ」

 どうしたものかと悩んでいると、基地内にけたたましい警報が鳴り響く。

それまでざわついていた飛行士たちの表情が瞬時に引き締まり、我先にと詰所を駆け出していく。熟練の飛行士たちは、直ちに自分たちがやるべく仕事に取り掛かる。

「また、上で」

 それは牛深にしても同じことで、笑顔だったその顔は臨戦態勢となっている。

「ああ」

 今更、言うべきことは多くない。手短にそれだけ答え、俺たちも詰所を出た。



 基地の隊員たちが駐機してある機体にそれぞれ乗り込んでいく。警報は敵の爆撃機の来週を告げるもの。連日のように鳴り響く警報に、他の飛行士たちと同様に体は反射的に動き出す。

国内で最も前線に近く、本土への爆撃を防ぐための役割を持つこの基地における警報は、ただの防空警報と意味が異なる。更に南方――敵陣の近く――に設けられた哨戒線が電探等で爆撃機を捉えると、それがこの基地に連絡され、警報として敵の方位や高さを告げる。大体の場合において、そこから10分程度で敵は基地上空を通過することになる。そこで、警報が鳴った時点で、動けるものが迎撃に出ることになる。

基本的には機体の割り当てはないので、機体に乗れるかどうかは早いもの勝ちである。機体に乗れないと敵の攻撃の間、基地でひたすら耐えて待つことになる。そのため、飛行士たちは我先に機体へと走る。

 そんな中、俺は「自分に割り当てられた」機体へ向かう。この基地で唯一の複座戦闘機、八咫烏。その操縦席に乗り込むと、後部座席にはすでに機銃手の姿。慌ただしく機器の動作確認を行っている。

「先輩、遅いです」

 乗り込むや否や、後部座席からの棘のある声。女性特有の凛とした声だけに、棘の色が際立つ。

「これでも走ってきたんだがな」

「私もです。女なんて口説いてるから遅くなるんですよ」

「何を見てたか知らないが、口説いてたわけじゃないんだが……」

「そうですね、手を握られて口説かれてたんですね」

「……手厳しいな」

 軽口を叩く間にも、離陸準備を整え終え、離陸に向けて機体を動かし始める。後部銃座に座る朝桐小国は俺とペアを組んでかれこれ2年になり、八咫烏の後部銃座を担当している。帝都護空隊――帝護空に配属されてからの付き合いであり、阿麻弥基地へも当然のように合わせて異動となった。これだけ長く同じ機体に乗る飛行士のペアは軍全体を見渡しても珍しいようだが、空の上での相性は間違いものだと思っている。

そもそも、帝護空で八咫烏を配備する際、名だたるパイロットたちにより試験や転換訓練が行われたが、上昇力と火力に特化させつつ、機体の安定性を捨てることで機動性の確保を狙ったこの機体は、とにかく扱いが難しく、実践運用は困難だと思われた。

そのなかで、たまたま試験に乗り合わせた俺たちはそれまでの飛行士たちとは比べ物にならない成績を示した。俺は朝桐以外の機銃手では試験成果は平凡なものであり、朝桐は俺以外の飛行士では射撃精度は高いものではなかった。様々な組み合わせが試され、その中でたまたま俺と朝桐という組み合わせのみ、実践に耐えられるものだった。

八咫烏は俺と朝桐のペアでしか満足な戦闘ができず、しかし、俺たちが飛ばした時の戦果は新鋭機としての基準を十分に満足したため、八咫烏は専属機となった。

 地面に押し付けられる感覚の後、機体が戦場へ舞い上がる。上昇旋回しながら基地を見下ろすと、基地近くの湖から大型の飛行艇がその機体を持ち上げるところだった。旧式だが、安定性と搭載量に優れた飛行艇、翔鶴。翔鶴から迎撃隊に通信が入る。国内でもこの基地だけの飛行艇の運用方法で、飛行艇が本来爆弾を積むスペースに大型の電探等を積み、適時空中から戦闘機に指示を出す。戦闘機は重くかさばる電探を積む必要がなくなり、比較的小型の受信機だけを積めば敵の位置が分かり、有利な立ち回りを可能としていた。もっとも、最近は敵機には小型高性能な電探が装備されているようなので、条件は五分かもしれないが。

「敵機高度八〇〇〇に爆撃機3、高度五〇〇〇に爆撃機6、護衛機は高度五〇〇〇に多数いる模様。高度八〇〇〇には帝護空のお二人と双睛、伽楼羅一機ずつであたってくれ。残りは高度五〇〇〇で迎撃。いつも通り伽楼羅は護衛機に注意を払ってくれ」

 了解の意を知らせる翼のバンク。操縦桿とスロットルを引き、機首を上げ上昇。背後に目を向けると、後部に座る朝桐の向こうに二機の単座戦闘機がついてきているのが見える。さらにその後ろに一機の双睛が見えたが、しばらく追随したのち、機首を変え他の集団に合流する。

「あら、牛深さんは随行し損ねたみたいですね」

 後部銃座からその光景を見ていた朝桐の言葉に、機首を変えた双睛の飛行士を知る。先ほどより少しだけ気分のよさそうな朝桐の声に、もう少し仲良くできないものかと思う。


 現在、わが国の防空体制を数の上で主力を占めるのは双睛と伽楼羅である。現在のところ、機体性能で大きな後れを取っているわけではないが、敵機の高性能化に対応するため、新型機の開発が行われている。八咫烏はそんな流れの中で、双睛の後継機として開発された機体だった。敵の長距離爆撃に随行する護衛機への対応として、後部銃座を設け、後部銃座は斜銃として爆撃機の攻撃にも使えるようにする。大型化、頑健化した爆撃機を確実に撃墜するため、翼内に二門、後部銃座と合わせて三門の三〇ミリ機関砲を備えている――ここから八咫烏の名がつけられた。重量をカバーするため、串型発動機とし、高性能の冷却機構で発動機の放熱に対処する。完成機の試験飛行では十分な性能を示したが、二つの問題から量産されることがなかった。一つは発動機や冷却機構が高度過ぎ、量産が難しく、また、前線での整備が難しいこと。もう一つは、増えた重量による機動性の低下を、安定性を減らすことで対処したため、非常に操縦が難しいことだった。結果、唯一試作された一機が帝都護空隊――帝護で運用されるのみとなった。そんな中で俺と朝桐のペアが、どういうわけかこの暴れ烏を乗りこなすことができた。


 味方の本隊と離れ、上昇していくことしばらく。翔鶴からの通信を頼りに空を進むと、上空に微かに黒い点のようなものが見えた。その数3。

「12時方向に三機。こちらが優速。このまま緩上昇の後、追い抜いた時点で真下から突き上げる」

 僚機から了解の意を知らせる翼のバンク。ぐいっと機体を加速させる。僚機がそれぞれの狙いをつけ、三方に散る。もう何度も繰り返してきたことだが、敵機に近づくにつれて緊張が高まる。もし気づかれれば、爆撃機の真下についているタレットから猛烈な反撃が待っている。敵の機銃手の腕がいいと、3秒足らずで俺たちは空の欠片となることになる。

少しずつ、大型の爆撃機の姿が大きくなる。

「今です!」

 後部から聞こえてきた声に、操縦桿を一気に引く。機首が持ち上がり、垂直に近い角度で爆撃機へ迫っていく。距離が1キロを切ったあたりで、後部銃座が先に火を噴く。三〇ミリ機関砲特有の削岩機のような音が響く。4発に1発混ぜられた曳光弾が、敵機のタレットに吸い込まれていき、炸裂する。その末路を見届けることなく、俺も操縦桿のトリガーを押し込む。後ろの朝桐も射撃を続け、八咫烏の三門の機関砲から放たれた銃弾が爆撃機の翼に吸い込まれ、空の要塞と呼ばれる機体の翼をへし折る。八咫烏の翼端が爆撃機の脇をかすめ、上空に逃れたときには、片翼を失った爆撃機は制御を失い、墜落していた。

「相変わらず、流石だな」

 少しだけ息をついて、後部座席に声をかける。この機体が積んでいる三〇ミリ機関砲は初速が遅く、距離が離れると命中させるのが難しくなる。それを朝桐はほとんど外すことなくタレットに命中させた。

「いえ、この機体を普通の飛行機のように操縦するようなおかしな人に比べればこれくらいのことは」

 褒められているのかけなされているのか。機体を水平に戻し、失った速度を回復させる。残る二機の爆撃機をみると、双睛が狙った機体は、見た目では被害はなさそうだが、急速に高度を下げている。おそらく、操縦席を破壊したのだろう。伽楼羅が狙った機体は発動機から黒煙を噴いているが、致命傷には至っていないようだ。伽楼羅は対戦闘機を前提としており、爆撃機と対峙するには火力不足が否めない。

「次は上から仕掛ける。俺たちが銃座をけん制するから、双睛が攻撃。伽楼羅は周囲を警戒してくれ」

 一度態勢を整える。八咫烏の右斜め後ろ、少し高い位置に双睛、八咫烏の真後ろに伽楼羅が位置取る。残る爆撃機は一機だが、装甲と機銃を考えると侮っていい相手ではない。

 攻撃に移ろうとした瞬間、首の後ろ辺りに酷い寒気のようなものを感じた。

「先輩!」

「上空から敵機複数!」

 背後からの朝桐の声と翔鶴からの通信が同時に響いたときには、すでに俺はラダーペダルを蹴り、機体を左に滑らせていた。機体が動くのと同時に、後ろから機関砲の発射音が聞こえ、右側を光の雨――敵機の機銃弾が通過していく。数発は機体に命中したようで、機体がきしむ不吉な音が響く。

「くっ……朝桐、大丈夫か!」

 襲撃を仕掛けてきた護衛機がオーバーシュートし、離脱していく。機体、計器を急いで確認する。幸い、命中弾はあったものの、機体は問題ないようだ。

 辺りを確認すると、伽楼羅は襲撃を回避したようだが、双睛は右翼を折られ、回転しながら堕ちていくのが見えた。落下傘が開くのを確認したかったが、そこまでの余裕はない。もう一機、発動機から煙を吹かせながら堕ちていく無塗装の戦闘機。位置からして

おそらく朝桐の反撃が命中したのだろう。

「はい、大、丈夫です……」

「朝桐!」

 言葉と裏腹に、その声は苦痛が混ざっている。

「一発、肩に当たっただけです……。まだ、やれます」

「駄目だ、今すぐ降りる!」

 最初に強がったことから、本当に肩に当たったのかわからない。仮に一発の銃弾だけでも、当たり所によっては失血性のショックにより、死に至ることもある。爆撃機一機は逃がすことになるが、迎撃隊はこの基地以外にも全国に点在している。優先すべきがどちらかは明白だ。

「駄目です、せめてあの爆撃機をやらないと……いつ、どこに爆弾が落とされるかわからないんです……」

「仮にお前が無傷だったとしても、状況が不利すぎる。どのみち離脱だ」

「駄目です!」

 ほとんど聞いたことのない、朝桐の鬼気迫る声。いったい何が彼女をそこまでさせるのか。だが、こちらが2機に対し、敵の護衛機は残り4機、爆撃機を攻撃するどころの話ではない。

「上空の機は、残りの爆撃機の迎撃を継続せよ。この先、護衛機付きの爆撃機を有効に迎撃できるような部隊は帝都の周辺にしかいない。こちらの機体を援護にあげている……頼む」

 だが、翔鶴からの通信は朝桐と同じ趣旨のものだった。絞り出すような最後の一言に、翔鶴側も苦渋の判断とやらがあるのだろう。だが、必ずしも従う必要はない。命令違反として罰されようが、現場の感覚は現場にしかわからない。ここにいては不味いと頭の深いところが述べている。

「……先輩、やりま、しょう」

 朝桐も状況はわかっているだろうに、引く様子はない。

「援護します」

 通信が入り、敵機の襲撃から逃れた伽楼羅が八咫烏の後ろにつく。まったく、どいつもこいつも正気なのか、バカなのか。多分、両方か。どこまでもバカ正直なのだろう。兵士として、飛行士として、長生きできない性格だ。

だけど、嫌いじゃない。

「……ああ、頼む」

「先輩……」

 そこまでして、この爆撃機を堕とす意義があるのかわからない。だが、この瞬間は少しだけ、俺も俺の熱い部分に正直に生きてみようと思う。


 回避機動を取っている間に、爆撃機は全速で離脱を図っているようで、距離を離されてしまった。さらには敵の護衛機に同乗者の負傷。もう、位置取りを気にしている猶予はない。

 発動機の出力を全開にする。虎の子の水エタノール噴射装置も起動。八咫烏は一段と加速し、爆撃機へと飛翔する。すぐさま、敵の護衛機が襲い掛かってくる。元々エネルギー的に優位にある敵機は八咫烏のさらに上空から一撃離脱を加えてくる。が、敵が射撃位置につく前に伽楼羅が牽制射撃を行い、敵機は満足に八咫烏に攻撃できないまま、通過していく。後部から独特の発射音。伽楼羅の背後についている護衛機を朝桐が狙っているようだ。

 護衛機を堕とす必要はない。ただ、爆撃機を堕とすまでこちらが堕ちなければいい。

「デカブツは俺がやる。遠慮なく後ろに向かってばらまけ」

「了解です」

 淡々と応じる言葉の節々に混ざる痛みの欠片を、今は耳から追い出す。朝桐は的確に敵機の進路に銃撃を加え、自由に動かさせない。

 それでも常に背後を取られているような状況。少しだけ背後をうかがうと、二機が八咫烏、二機が伽楼羅についているようだ。相手が一方的に有利な状況には違いないが、これはノーガードの殴り合いだ。こちらが爆撃機にたどり着くか、先に空の藻屑となるか。

 状況はつかめた。もう後ろは見ない。ただ、全速で前に進むのみ。さすがに直線に進むと牽制もなにもなくなってしまうので、最低限の回避機動をとる。回避のタイミングは、首筋に感じる殺気と、朝桐から伝わる緊張感。銃撃の間隔が狭まり、必死に進路を逸らそうとしていることが伝わってくる。それに加えて、首筋を走る悪寒が最高潮になった瞬間、ペダルを蹴る。すっと機体は右に左に滑り、先ほどまで八咫烏がいた空間を、敵機の銃弾が通過する。

 高まり過ぎた緊張感から、精神が高揚していた。目では見えない背後の世界が、朝桐を通じて見える。まるで、朝桐と同化したような感覚。それは朝桐も同じなのか、背後の状況を声で伝えることはないし、ずっと背後だけ見ているはずなのに爆撃機までの距離の確認もない。

 射撃音の高まりと、緊張感に合わせて機体を滑らすことを繰り返し、爆撃機まで距離を詰めていく。敵弾を全て回避しきることはできず、機体は傷だらけになっている。それでも、速度は落ちない。

 やがて、背後から爆発音。航空機がその存在を空に散らす、聞き慣れた音。

「伽楼羅が敵機を撃墜」

 こちらも四機から追われていたが、八咫烏を追っている敵は朝桐と伽楼羅の前後から射撃を受けていたわけである。最初に根をあげたのは、敵機だった。僚機を失い激高したのか、残る一機から攻撃が激しくなる。朝桐の射撃を気にしない捨て身の攻撃。ラダーの動きだけでは回避できないと踏み、ロールを加えて左右にループしながら爆撃機への距離を詰めていく。敵機もそれに追従するため、同様の動きをし、八咫烏と敵機が鋏のような機動を描く。

 速度に勝る敵がすれ違う。伽楼羅からの攻撃と八咫烏の後部銃座によって、その機体はボロボロになっていた。それでも、死に物狂いで迫ってくる。譲れないものがあるのはお互いさま、か。

 旋回を加えたことで、爆撃機に迫る速度が少し落ちる。それでも、後わずか――というところで、後ろについていた機体が大きく機動を変えた。ちらりと見えた状態から、失速機動をとり、強引に後ろに張り付きなおしたようだ。

 後部銃座の音がやむ――つまり、敵機は八咫烏の死角である下方に潜り込んだようだ。

 やられる――チリチリとした殺気とともに、敵機の銃撃音が聞こえた。銃弾が機体に当たる不吉な音は、少し離れたところから聞こえた。

 翼が燃えている。戦闘機の翼には燃料が入っている。一度火が付けば、間もなく爆発する。

「くっ……」

 燃えているのは八咫烏ではなく伽楼羅だった。敵機に死角をとられた瞬間、伽楼羅が加速して八咫烏と敵機の間に入り込み、庇ったようだ。燃えつつも加速したままの伽楼羅が横に並ぶ。操縦席を見ると、飛行機が手信号。幸運を祈る。

 頷きを返すと、飛行士は軽く微笑む。それから、キャノピーを開き、空へと飛び出した。直後、燃料に引火したのか伽楼羅が爆発、細かな欠片となって空に還る。

 その光景を見届けることなく、俺は意識を前方に戻す。強引に死角を取った護衛機は速度を失い、八咫烏についてこられない。さっきまで伽楼羅を追っていた機体も八咫烏から遠く、すぐに追いつかれることはない。伽楼羅が文字通り身を削って作ってくれた状況に、回避機動をやめ、爆撃機に一直線に向かう。

 位置取りも何もない考えない純粋な突撃。爆撃機の銃座が集中している位置でもあり、爆撃機から赤い線が豪雨のように降り注ぐ。少しだけ、機体を上下左右に動かす。まるで、敵の弾が避けていくように見えた。

 そして――。

「先輩っ!」

「喰らえっ!」

 叫ぶのはほぼ同時。トリガーを押し込み、八咫烏の翼から反撃の火線が飛ぶ。爆撃機の大きな翼――伽楼羅が最初付けた傷跡の残るもの――に吸い込まれていき、三〇ミリの大穴が翼に開く。間もなく、巨体を支える羽がバタンとへし折れ、空を飛ぶ自由を失った。



 やったと思うのもつかの間、強烈な殺気を感じ、我に返った。爆撃機は堕としたが、ここにはまだ敵機がいる。本命である護衛対象がやられたからといって、おいそれと返してはくれないらしい。むしろ、ここで厄介者を排除しようとするだろう。

 高度を下げていくが、殺気が消えることはない。

「朝桐、残弾は!」

「もうほとんど……牽制に使えるような量は、ありません」

「……わかった」

 このまま高度を下げていけば逃げられるだろうか。だが、鋭くなった殺気に、機体を強引に捻って銃弾をかわし、その考えを捨てる。全機落とす必要はないが、一機か二機、減らさなければ逃げ切れそうにない。

「すみません、先輩。私のせいで……」

 俺の決意が伝わったのか、聞こえてきた朝桐の弱々しい声。違う、と声には出さず首を振る。最終的に決意をしたのは俺だ。操縦桿を握っているのは俺であり、責任を取るのは俺の方だ。

「全くだ。基地に帰ったら、どこか飯連れてけ」

 だが今は、どちらが悪いか議論している余裕はない。必要なのは意思と目的。

「これ以上、お前に弾は当てさせない。ただ一つ、確実にやれるときに、やってくれ」

「……了解です、いいお店、知ってるんです」

 朝桐が後部銃座を握りなおしたのを感じる。それに応じるように、小さく息を吸った。

 一気に操縦桿を引く。高度を下げていた機体が反転、急上昇。体が地面に押し付けられるような強い重力。重力は俺の体だけでなく、機体もビリビリと悲鳴を上げている。

 こちらが反撃に出ると思っていなかったのか、敵機の機動はワンテンポ遅い。宙返りのさなか、一番後ろを飛んでいた敵機を射界に収める。機関砲を放つが、無理な姿勢から放たれた弾丸が敵に当たることはなく、敵機の少し後ろを通過。残りの二機が確実に後ろについてきているのを感じる。奇襲は打てたが、機体の性能は複座の八咫烏より敵の方が上だ。早く決めなければ、長くはもたない。

「……っ!」

 斜め方向に上昇したまま機体を傾け、バレルロールで銃撃を回避。だが、敵機は八咫烏の後ろをぴたりとついてくる。背後に敵がいるのは一緒だが、朝桐は撃てない。敵も自機も複雑な動きをする現状で、後部銃座が命中する確率は少ない。残弾の少ない朝桐の射撃は、八咫烏にとって虎の子だった。

 一瞬でも相手の後ろを取ろうと、戦闘機動を繰り返す。何度か射撃点につけたが、有効打を与えるには至っていない。だが、その過程でわかったこともある。新米とは言わないが、決してベテランではない。三対一、戦闘機対迎撃機という一方的な状況で、こちらを追い込み切れていない。

 正攻法では消耗し、こちらがこのまま押し負けるのはわかっている。翔鶴から連絡のあった援護がいつくるかもわからない。ならば、奇策を持って少しでも状況を有利にするべきか。

 すっと息を吸う。速度を少し落とし、敵機を引き寄せる。発動機の出力を上げ下げしながら、位置関係を調整する。

「――今っ!」

 左斜めに上昇しながら、ループの機動を取る。敵機は背後からついてきているのを感じる。このままついてこい、と思いながら操縦桿を引き続ける。通常のループよりスピードをのせて突っ込む。機体がビリビリと振動し、悲鳴をあげる。

 ループの頂点で機体を無理やり横滑りさせる。急激に速度を失い、機体が失速する――直前、きわどいタイミングで安定する。機体が分解する直前の、わずかな隙間。背後にいた敵機は、この軌道についてこられない。速度を殺し、小さな半径で旋回した八咫烏に対し、敵機は速度を保ったまま前に出る。

 ほとんど反射的にトリガーを引く。八咫烏の翼から放たれた銃弾は、鉤爪のように敵機をズタズタに引き裂いた。

「あと二機……」

 だが、再び鋭い悪寒を感じる。速度を失った八咫烏の後ろに敵機の姿。相手の飛行士のレベルからして、こちらの機動についてこられずに、失速寸前の態勢を立て直す時間があるかと思っていたが、甘くはなかった。一番遠くから追随してきていた護衛機は、速度を落とし、八咫烏の背後を維持したようだ。

時がゆっくり流れているように感じる。速度を失った八咫烏に対し、ぴたりと背後についた敵機は速度を落とし、確実に狙いを定めてくる。

「朝桐っ!」

 なぜかもわからぬまま、名前を叫んでいた。

「うあああ!」

 通信機から、叫び声が聞こえる。まったく別の発動機音が、下方から聞こえてきた。聞き慣れた双睛の翼の音。暗緑色の機体が、まるで異なる動力を持つかのように薄雲を切り裂いて突き上げてくる。少しずつ速度を落としつつも、急速に近づき――発砲。爆撃機を相手にしてなお十分な威力を持つ機関砲は、敵機の胴体をへし折り、前後に分かれた機体は明後日の方向に機銃を乱射しながら、堕ちていく。

 だが、双睛はそこで失速する。どれだけの距離を急上昇してきたかわからないが、機体のエネルギーを絞り尽くしたようで、空中でふわりと制止し、ゆっくりと落ちていく。

 残った敵の一機は、そんな双睛には目もくれず、こちらに向かってくる。射程外から乱射しながら迫ってくる敵機。後方から迫ってくる敵機に対し、八咫烏の両翼の機関砲は対処できない。

 削岩機に似た鋭い音が数秒響き渡り、世界が静まり返る。敵機は、八咫烏の第三の脚――後部銃座に引き裂かれ、粉末となり空を舞う。

 終わった――。

「まったく、本当に流石だよ……」

 さすがに疲れた。高度が下げるのに任せ、息をつく。結局、最後は朝桐に助けられた。感謝の一言でも伝えようと声をかける。しかし、返事はない。

「……朝桐?」

 振り返る。座席の隙間からわずかに見える後部銃座。そこから見える、窓に頭を預けて少しも動くことのない朝桐の姿。

「朝桐! おい、朝桐!」

 自由落下していた機体の発動機の出力を再び上げ、八咫烏は帰路に立つ。



「……」

 目が覚めると、そこは病室だった。戦闘が終わってからの記憶がひどくおぼろげである。基地に帰投してから、基地内の病院に駆け込んで、そこから――。

 意識が覚醒していくにつれて、自分の手が誰かに握られていることに気づく。

「ん――」

 まだ寝ぼけた状態から抜け出せないまま、そっと手を握り返すと、聞き慣れた声が返ってくる。そこでハッとした。あれからいったい、どうなった。

 意識が覚醒する。俺は病室に備え付けられた簡素な椅子に座っていて、朝桐はベッドの上で半身を起こしていた。俺が未だに飛行服のままなのに対し、朝桐は病院服をまとっている。基地に帰投してすぐ、意識を失っていた朝桐は病院に連れていかれ、手術と輸血が行われた。

 命に別状がないことと、すぐに目を覚ますだろうということを医師から聞いて、病室で待っていたのだが、そこで疲労がどっと来たのか、寝てしまったようだ。

 朝桐は握りしめた手と俺の顔をしばらく交互に見ていたが、それから不満そうな表情を浮かべた。

「こういうときは、私が目を覚ました時に先輩が手を握っているべきなんじゃないですか」

「贅沢だ」

「……最低です」

 朝桐らしくなさと、らしさの混じった会話に苦笑する。朝桐はしばらく不満そうな顔を継続していたが、やがて視線を落とし、握ったままの手を見る。

「すみませんでした。私の判断のせいで、先輩を巻き込むところでした」

 それが申し訳なさなのか、悔しさなのか、俺の手を握る力が強くなる。

「まったく……」

 俺の返事に、朝桐はビクッと震える。そんな朝桐の頭に、握られていないほうの手を載せる。

「最終的にあの場で逃げなかったのは俺の判断だ。それに、お前がいなかったら、俺は多分三回は堕とされてたさ。お互い様だ、気にすんな」

「でも……」

「でももだってもない。お前が何と言おうが、俺はあの場で逃げることを選択できた。そうしなかったのは俺だ。謝ることなんて、お前には何もないさ」

 あの時、朝桐の言葉がなければ俺はあのまま逃げただろうか。迷ったうえで、追撃を選択していたかもしれない。危機感を感じつつも、芯のところでは俺も戦闘を続けることを望んでいたかもしれない。今となってはわからないが、少なくともあそこで操縦桿を握っていたのは俺だった。俺も戦闘を続けることを選んだことはいずれにせよ変わらない。

 まあ、と声のトーンをあげてみる。

「お前の声にビビらなかったといったら、嘘だが」

 話の流れを変えようと、できる限り明るく言ってみたつもりだが、朝桐の表情は変わらない。視線を落としたまま、思いつめたような顔。

「あの時は、必死で……あそこで堕とさないと、私が知らないところで、辛い思いをする人がでてくるんじゃないかと思うと……っ!?」

 朝桐の頭の上の手をワシャワシャと動かす。突然のことに朝桐は首をすくめた。

「な、何ですか?」

「お前の思いはわかる。少なくともその点において、俺も同じ思いで戦っていると思ってる」

 動かしていた手を止め、小さく息をつく。慣れないことをしているのはわかっているから、すでに照れくさい。けど、言っておかなければならないことがある。

「でも、忘れるな。お前が生きていれば、護れる人たちは、日々増えていくんだ」

 だから、死んでも堕とすとか、そんなことは考えるな。一番言いたい事を言い訳のように後からごにょごにょと付け足す。

「先輩……」

 突然、病室のドアがバンと開き、俺と朝桐はお互いの手をさっと引っ込める。

「お、目、覚めたんだー!」

 入ってきたのは牛深で、朝桐が体を起こしているのを見ると、嬉しそうにぴょこぴょこ近づいてくる。

「あれ、熱でもある? 顔赤いよ?」

 牛深は手のひらを自分と朝桐の額に交互に当ててみたりしている。おそらく、慣れないことをした俺の顔も似たり寄ったりになっている気がして、牛深から見えないように少し顔をそむける。

「今起きたばかりのせいかもしれません。それより……」

 牛深の手をそっと放して、朝桐が頭を下げる。

「ありがとうございました、駆けつけてくれて」

 八咫烏が一機となり追い詰められたあの時、一気に高空まで駆け上り、敵機を撃墜したのは牛深の乗った双睛だった。一気にエネルギーを失う機動、一歩間違えれば逆に落とされかねない状況で、速度が落ちて不安定になる機体から一撃で敵機を落とすという離れ業をやってのけた。牛深の度胸と技量のおかげで、あの状況から切り抜けることができた。

「いやいや、ちょっと変則的だけど、突き上げが決まってよかったよ。それに、噂には聞いてたけど、流石の射撃の腕前ね」

「いえ……」

「今度私にもコツとか教えてね!」

 じゃ、長居したら悪いから。と、牛深は颯爽と部屋から出ていった。まるで嵐みたいな登場と去り方に、二人して呆気にとられる。

 しばらく牛深が去っていった扉を見た後、どちらともなく顔を見合わせ、思わず吹き出す。

「この基地にいると、色々得るものが多そうです」

 そう言う朝桐の顔は、もう笑顔だった。

「そうだな、ここは癖があるがベテラン揃いだ」

 一応、俺と朝桐の立場は教える側だが、最前線を掻い潜ってきた猛者ぞろいのこの基地では、それも限らない。

「強くなります。もっと、多くのものを護れるように……」



 スロットルを回すと、発動機の音が高くなり、機体がグイッと加速する。それに合わせて、肩に置かれた手が少し強まる。右手には海が青々と輝いている。いつも空から見ているはずのそれは、いつもより低いところから見るだけで、まるで違う輝きを見せている。

「先輩、少し飛ばし過ぎじゃないですか?」

「これでも普段の十分の一くらいだが」

「戦闘機とバイクを一緒にしないでください!」

 正直なところ、加速をすると俺に捕まる朝桐の力が強くなるのが面白くて、必要以上に速度を出してみたりしていたのだけど、ばれると間違いなく殴られそうなので、おとなしく速度を落とす。

 朝桐が負傷した戦闘から半月後、俺と朝桐は基地で眠っていた古いバイクを借りて、阿麻弥の海岸線を走っていた。朝桐が療養中であり、八咫烏も修理中ということで、一時的に休暇のような状態になっていた。俺は至って健康ではあるのだが、俺が八咫烏の前に乗っていた機体は伽楼羅の二世代前の機体であり、阿麻弥基地にはすでになかった。今は一応機種転換の訓練中である。一応、というのは、俺が伽楼羅になじむより先に、朝桐と八咫烏が戦線に返ってくる方が早そうだからだ。

「そもそも、先輩がバイクを運転できるなんて知りませんでした」

「飛行機よりは簡単さ」

「そういうものですかね……」

「朝桐なら、バイクの後ろからでも正確に撃てるんじゃないか?」

 なんとなくの問いかけに朝桐はうーんと悩みながら、片手を俺の肩から外して、海の方に向けてみたりしている。

「慣れれば、できそうな気もしますね」

「……そういうものなのか」

 それからしばらく、他愛もない話をしながらバイクを走らせていくが、景色は代り映えしない。きれいな景色で、飽きることはないのだが、今日は別に朝桐とツーリングに来たわけではない。

「道、これであってるのか?」

「心配しなくても、もう少しですよ」

 朝桐の言うとおり、海岸線をしばらく進むと洋風の小洒落た建物が出てくる。ここですよ、という朝桐の言葉に、バイクの速度を落とし、店の脇にとめる。店の中に入ると、これだけ辺鄙な場所にある割に、にぎわっていた。どうやってここまで来ているのだろうと思うが、席についている客たちは上等な衣服が多いし、俺にはわからないような生活をしているのかもしれない。

 給仕が店に入った俺と朝桐に気づく。朝桐が何か給仕に伝えると、給仕はペコリと頭を下げて、俺たちを奥へと案内する。そこは、海が広く見える個室だった。

「よくこんな店知ってたな」

「昔、よく、家族と来たんです」

 朝桐と対面に座る。朝桐は懐かしそうに窓から外を眺める。つられて外を見る。こうして見える海は、バイクから見えたものとまた違って見えた。

「あれ、朝桐って出身はこの辺りだったか?」

「いえ……旅行で」

 席に座って間もなく前菜から料理が運ばれてくる。こういう料理には慣れておらず、どう手を付けていいかがいまいちわからない。一方、朝桐は慣れた様子で料理を口に運んでいく。

 呆然としている俺に気づいた朝桐は数秒思案するような顔をした後、プッと吹き出した。

「別に、マナーとか気にするようなタイミングじゃないから大丈夫ですよ」

 個室であることもいいことに、お言葉に甘えて箸を使って食べ始める。一度食べ始めると、そのおいしさに次々と箸が進む。



「先輩に、言っておかなきゃいけないことがあるんです」

 料理を食べ終えて一息つくと、朝桐がそう切り出した。それまでの他愛のない話と違い、深刻さを帯びた声色。

「もしかしたら……私、先輩の後ろにいられなくなるかもしれないです」

 衝撃的な内容。だが、あの戦闘の日から、覚悟している内容でもあった。

「……撃たれた場所、そんなに悪いのか?」

 こうやって生活している分には違和感はわからないが、実は深刻な状況なのか。あるいは、生活には問題なくても、戦闘には支障があるのかもしれない。しかし、朝桐は首を左右に振る。

「それは、問題ありません。あと半月程様子見とリハビリすれば大丈夫と言われています」

「ならどうして……」

 俺の問いかけに、何故か朝桐は観念したように瞳を閉じる。

「先輩。私の名前は」

 朝桐が居住まいを正し、こちらを見る。凛とした、それでいて不安を含む瞳。

「私の本当の名前は、跡ケ瀬小国です」

 朝桐の話す、朝桐ではない名前。だが、その苗字は、この国では誰もが知っているもの。

「跡ケ瀬……まさか、二親王家の」

 この国の元首たる皇帝家。そこには直系と分家があり、跡ケ瀬家は筆頭分家として、皇帝直系家の守護を担ってきた。皇帝の一族においてでも、直系と跡ケ瀬家は二親王家として、この国の中枢を担う存在として知られている。

「はい。跡ケ瀬家家長、跡ケ瀬宮原の長女です」

 朝桐――本当は跡ケ瀬か――の口調に偽りの色はない。そんな嘘をつく理由がない。自然とこちらも居住まいが正される。

「なんで……なぜ、そんな人が、軍人として最前線で……」

「私は、この国を護りたかったんです。私には兄がいて、兄には子がいる。分家ということや政治的な考えもあったようで、私が軍人になることは特別に認められました」

 皇家が自ら銃を持ち、最前線で戦うということは、臣民の士気高揚につながるというだけでなく、万が一、軍事政権等が成立した場合にも、一定の地位を残せるといった判断があったらしい。身内でも、国と家の為に最大限に使う。それは、戦乱の時代が長かったこの国の歴史が培ってきたもの。

「ですが、どこからか、私が負傷したという情報が帝都に伝わりました。一度はもう帰ってもないものとして私が軍人になることを認めた父も、不安になったようで、軍人をやめるよう伝える文書が今朝届きました」

 いくら皇家の家長といっても、人の親であったことには違いない様である。

そうか。この国において第二の位置にいる跡ケ瀬家の家主の言葉となれば、家族とはいえ断れまい。父親の手紙に従って、家に帰るのだろう。

「断る言葉を添えて、今朝そのまま手紙を返しましておきました」

 ふざけるなですよ、と朝桐らしくない言葉とともに笑う。

「なっ――」

「この国を護りたいという私の意志は変わりません。それに……」

 後に続く言葉はなく、朝桐は俺の目を正面から見る。

 しばらく正面から視線を交えて、俺は観念した、という風に両手をあげ頷く。

「お前がいないと、八咫烏は封印だな。他に後ろを任せられる奴は多分出てこないだろうし」

 俺の答えに、朝桐は最初少し不満そうな感じをにじませながらも、笑みを浮かべる。

 だが、すぐに表情を憂鬱なものに変え、息をつく。

「親子の話だけであれば、それで片が付くかもしれません。けれど、私が軍人になったときのように、政治の話になると、私の意志だけではどうにもならなくなります」

「そんな……」

 それも私の家に与えられた役割ですから。諦めたような朝桐の言葉に何とも言えない気分になる。生まれたときからの境遇の違いを思うと、否定もできなかった。

 でも、と朝桐が顔をあげる。さっきまでの諦めの表情はなく、決意に満ちた顔。

「先輩が言ってくれた言葉があります。私はどこにいようと、この国を護るために戦います」

 

 気が付けば昼を食べ始めたときから大分時間が経っていて。今日は一応一日休日ではあるのだけど、そろそろ出るかと席を立つ。

「帝都では、私の周りには常に跡ケ瀬家の目がありました。だから、先輩と帝都から遠く離れた阿麻弥の地に来られて、嬉しかったです」

 結局は、家の目はあったようですけど。個室を出る直前に、朝桐は目を伏せて、寂しそうな笑みを浮かべた。

 店を出ると、丁度店にいた他の客が帰るところであった。店の外から車が迎えに来ている。朝桐が昔――皇族として来ていたことから想像はついていたが、ここは社会的な地位が高い人達御用達の店なのだろう。

 そんな場所において、場違いな旧式のバイクの発動機を始動させる。ドッドッドと動き出した発動機は、徐々に回転数を上げていく。バイクにまたがると、行きと同じように朝桐が後ろに乗る。発進しようと右手に力を込め――

「あ、ちょっと待ってください」

 バイクを走らせようとする直前に朝桐が止める。ん、と振り返ると、朝桐は後部座席で体を反転させ、後ろ向きとなる。俺が前を向いて、朝桐が後ろを見る、空ではいつもの光景。違っているのは、背中に直接伝わる朝桐の存在。

「――やっぱり、私はこの場所が落ち着きます」


ご読了いただきありがとうございます。

八咫烏のモデルとなる機体や、基地のイメージ等はあるのですが、時代考察や勉強が甘かったり、話の流れの上であえて無視していたりと、結構なんじゃこりゃな話しになっています。

唐突に話しが展開する最後からわかるように、まだもう少しだけ続きます。

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