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PHASE.22 誰がための解決か

 山の端に、陽が隠れはじめた。

 六園靜子が愛する涼花に遺したこの(やしき)にも、茜色の陽が融けるように満ちてくる。

 時刻はすでに、午後四時を回った。庭の木立の長い影が、ロビーの白壁に立っている。どこかで年代物の古い時計が時刻を告げる音がした。弁護士はもうすぐ近くまでやってきていると言う。それでも涼花は、部屋に籠ったままだ。だが、僕たちのすべきことはもう、これ以上ここにはないだろう。

「九王沢さん、そろそろ…」

 僕は声をかけた。ああもう、楽しいはずの旅行も終わりだ。ここへ来るのに宿も早めにチェックアウトしてきちゃったし、夜までには都内に戻らないと。涼花のためにとんだことになったけど、それもこれも九王沢さんのためだ。

「そうですね。わたしたち、そろそろお暇した方がいいですね」

 九王沢さんは、しばし考えていたが、意を決したように言った。

「帰りましょう那智さん」

「うん、帰ろう」

 でも。

(帰るのかあ)

 僕は神妙な顔をして頷いたが、内心ではこう思っていた。

 あーあ。自分で言っといて何だが、帰るのか、である。

(終わった。…何もかも)

 僕の野望は密かに、ここに(つい)えた。

 混浴…おっぱい…そして成功と言う名の、性交。今、僕の頭の中には様々な感慨深い言葉が巡っていたのだ。だがもうそれは砂礫(されき)に埋もれた戦士の墓碑銘を見るがごとしである。すでに乾坤一擲の大いくさは終わったのだった。

(もはや、これまでか)

 心境は、西軍の敗走を見る石田三成である。そしてかの織田信長ならば、こう謂うだろう。

 この上は、是非もなし。

 結局のところ、心からの叫びは九王沢さん本人にでも、その神おっぱいでもなく、主に一成社長にぶつけてしまった。

 悔めば悔やむほど、納得できない。しかし、ここは納得しなきゃいけない。

 何しろ涼花が無事だったのだから。よしと、するしかない。これで九王沢さんのみならず、サークルのヲタ系仲間たちや、全国の涼花ファンへの義理は果たしたのである。

 ああああ、涼花が無事で良かったなあ。明日から僕も、遠慮なく涼花のショートカットとか制服とか生足とかに萌える男たちの群れに参加しよう。もっとも九王沢さんがいるから、大っぴらには出来ないけども。心の中では、芸能人としての涼花を応援している。

 だが、涼花本人は大丈夫なんだろうか。最愛のお母さんが亡くなったのは、一年前ではない。まさにたった今だったのだ。ともすればもはや、あの健康的な笑顔を見ることは、かなわないかも知れない。靜子がすでに旅立ったと、聞いたときの涼花は、最後に残された灯が消えたようだった。

 靜子は、涼花を守ったつもりかも知れない。でもそれってただ、涼花を本当の一人ぼっちにしてしまっただけじゃないか。僕には残酷としか思えなかった。涼花のもとには、虚しい遺産が残っただけだ。しかし、もう誰も今の涼花を慰める言葉をかけることが出来ない。彼女の救いにはなれない。たとえ九王沢さんであろうと、児玉さんであろうとだ。

 思えば皮肉だった。明晰(めいせき)すぎる九王沢さんの推理は、まさしく容赦なく、あらゆるものを白日の下に(さら)し上げてしまったのだ。

 いや、じゃあ何か他に方法があったかと言えば、僕は答えを持たない。だって九王沢さんが靜子の計画に気づいて真相を暴かなければ、涼花は謙三たちや一成社長のいいように、本当に餌食にされていたかも知れなかったのだ。

 涼花がいなくなってから、九王沢さんがじっと考えていたのは、そのせいだったと思う。今の涼花を救う方法はないのかと言うことだ。だがもうそれはきっと、僕たちの役目じゃないのだ。彼女が帰りましょう、と言ったのはやっぱり、それを心から悟ったからだったからに他ならなかった。


「…本当に、ありがとうございました。御本家のお父様やお母様にも、よろしくお伝えください」

 児玉さんも深々と頭を下げていた。否応なく真相を吐き出させられた彼女もまた、より疲労と孤独の影が深くなったかに見えた。今、やっと到着した弁護士を客間に通していたのだが、涼花に靜子のすべてを受け継がせるための彼女の本当の仕事は、これから始まるのだ。

「お二人には、多大なご迷惑をおかけしました。涼花ともども、お詫び致します。いずれまた、必ず涼花とご挨拶にうかがいますので」

「いえ、そんなお構いなく」

 九王沢さんに替わって僕が答えたが、こういうときの社交辞令の虚しさったらない。帰る決意はしたがまだ九王沢さんも、後ろ髪をひかれているようだったし。

 結局はここにいた誰もが、これが解決なのだと、理屈では分かっていても納得出来ずにいたのだ。

「お嬢さま、それではわたしたちも失礼します。那智さん、ご協力ありがとうございました。九王沢社長から(お父さんだ)感謝の言葉です。いつかロンドンに遊びに来て下さい。わたしたちも歓迎いたします」

「あ…はい」

 と、言う割にスージーさんは、にこりともしなかった。だがただ単に、そう言う人らしい。じゃなかったら普通、自分たちも歓迎するとは絶対に言わないそうだ(九王沢さんが僕に言った)。

「那智クン、マタ会いまショう」

 ぞろぞろ出がけに僕を呼び止めたのは、なんとロジャーさんだ。会うのは二度目だが、こうしてみると何たる威圧感。握手を求めて来たので応じたが、歴戦の手には銃創らしきひっつりがあったり、色々と怖かった。

 彼はまた、握手のあと僕の二の腕をぽんぽんと叩いた。また何か言われるのかと思ったがロジャーさん、意外につぶらな目でウインクすると余計なひと言。

「ドンマイ」

 うるせえよ。

 なーにがドンマイだ変な日本語憶えやがって。いやドンマイって、元は英語か。でも今、ばっちり日本語のニュアンスで聞こえたぞ。…あっ、こいつ、知っているのだ。いつかの横浜デートの時みたいに、僕と九王沢さんがどう過ごしていたのか、とか、僕の野望がすでに(つい)えたこともすべて。

「ロジャー…そう言えば、いつからいたんですか?スージーさんと、英国から?」

 九王沢さんの問いにどきっとした後、ロジャーさんは恐る恐る首を振った。

「最初から、いました?最初から、全部見てました…?わたしと那智さんが二人で、お泊りしたのも…?」

「見テマセン」

 白々しく、ロジャーさんは即答した。いや、見てたに違いないよこれ。じゃなかったら、あんなタイミングで入って来れるはずがない。あんまり怪しいので僕はそのとき、とっさに一言、かまをかけてみた。

「ノーブラ」

 するとロジャーさんは大抵の西洋人がやるように、あれは驚いたぜ!みたいな感じで両手を拡げて、肩をすくめてみせたのだ。すると九王沢さんの顔が、沸騰したみたいに真っ赤になった。

「やっ、やっぱり!やっぱり見てたんですね!?なっ、なっ…なんてことを!なんてことするんですかあっ!」

 ロジャーさんはその後、怒涛の勢いで九王沢さんに怒られていた。すっごい早口の英語で今度こそ、何を言ってるんだかさっぱり分らなかった。


 涙目の九王沢さんをなだめすかして車に乗せると、もう陽が落ちる頃だった。エンジンをかけてすぐに僕はヒーターをつけた。晩秋の山の冷え込みは、うっすらと刺すような冬の気配をまとっている。

「本当に帰っても大丈夫?」

 僕は思わず、九王沢さんに聞いてしまった。余計な一言だってことは、分かっている。でも言わずにはいられなかった。本当は僕と同じく、九王沢さんもまた涼花を、まだ一人ぼっちになんかしたくなかったんだろうから。

 だからこそ、言い残した言葉はないかと、九王沢さんは最後まで迷っていたのだ。しかし、涼花の傷は深い。それでも解決しえるのは時間だけだ。そう思いきって僕たちはこの六園邸をあとにすることにした。けどもだ。

 本当に残酷なのは果たしてどっちだったのか。その答えだって出てない。何かお仕着せの言葉を浴びせて涼花の心に形ばかりの解決を与えるのがそうなのか、それとも後は本人の問題と手を放すのがそうであったのか。僕が分からないのだ、九王沢さんにも結論が出なかったに違いない。

 エンジンはかけたが僕はまだ、車を出さなかった。

 夕闇とアイドリングの音の中で、九王沢さんはまたうつむいて言葉を喪ってしまったからだ。自分がまだ、言うべき言葉が遺されているのか、否か。九王沢さんの思考は命題に戻り、フル回転で答えを探し始めたのだと思う。

「那智さん、わたし…すうちゃんのために、なってあげられたでしょうか?」

 金具を挿しかけたシートベルトを握り締めて、九王沢さんが言ったのはそのときだった。

「確かに六園家の相続問題は、解決しました。でもわたし、すうちゃんのために、この事件を解決しようと、そう思って来たんです…」

「そうだったね」

 僕はそう言って、九王沢さんの答えを待った。

「…でもわたし、気づいてあげられませんでした。靜子さんの計画や名代の家籠の汚名を晴らすことや、そんなことばかりに気がいって。すうちゃんの気持ちを振り返ってあげられなかったのではないでしょうか?」

「そんなことないだろ」

 僕は突き返すように言った。でも確かに、九王沢さんはベストを尽くしたのだ。僕だけじゃない、誰の目から見てもあれが最善ではあったのだ。しかし彼女は、強くかぶりを振ると言葉を重ねた。

「まだ、きちんと話しきっていないような気がしているんです。…靜子さんは、すうちゃんに最期の想いを与えたのだと思うんです。それは靜子さんが『ちょっとした刺し傷』を通して乃木さんに自分の最も言いたかったことを伝えたように、フリーダを通してこそ靜子さんがすうちゃんに向けて、語ることの出来るメッセージなのではないか、と思うんです」

 余計なことかも知れません、と、九王沢さんはそこで少し躊躇(ためら)ったが、次の瞬間、何かにはっとしたらしくふと、思ったことを口にした。

「静子さんの祭壇に、西瓜の絵がありましたよね…?」

「はい」

 あれはフリーダの遺作の模写だった。何の変哲もない、ただの西瓜の絵。涼花はあの絵のどこがいいのか分からない、と言っていた。

「那智さん」

 九王沢さんは今度こそ、何かに気づいたように呻いた。それこそ九王沢さんにしかない直感がロケットスタートする、まさにその瞬間だった。

「靜子さんにとっての『ビバ・ラ・ビーダ』はどこへ行ってしまったんでしょう…?」

 何か芯をうがった九王沢さんに僕は、言葉もなかった。どこへ行ってしまったのか。


 靜子にとっての『ビバ・ラ・ビーダ』。


 今のはなぜか僕にも、響いた。

「やっぱりわたしっ!…ごめんなさいっ!」

 いつの間にかだ。

 九王沢さんはシートベルトを外し、車を降りていた。戻る気だ。僕はエンジンを停め、その後を追うことにした。すると、

「慧里亜お嬢さま!」

 くしくも涼花が、息せき切って駆けつけてくるところだったのだ。

「すうちゃんっ!」

 泣き腫らした顔のままだった。二階から駆け下りて来たのだろう、息を切らせた彼女は、白い息をあわただしく吐いていた。

「最後のっ…最後のお願いですっ!」

 すると涼花は、手のひらに握り締めたフラッシュメモリを、九王沢さんに手渡したのだ。涼花への、靜子から最期のメッセージを託した映像を。

 涼花はあえぎながら言った。

「お嬢さま、どうか、わたしと一緒にこれを見て下さい!」


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