PHASE.11 広瀬靜子の世界
その朝まで、頭の中をノーブラが木魂していた。お蔭で一睡も出来ない。恐るべき破壊力だった。あの天使な九王沢さんがノーブラだったのだ。しかも、あれは煮え切らない僕のために?嘘だ。そんなわけない。ぼくは欲求不満に苛まれるあまり、酔って幻想を見たんだろうか。
(いや)
有り得ないことじゃないぞ。確かに九王沢さんは悪魔も裸足で逃げだすような聖処女だが、やるときはやる子なのだ。あんなにお嬢さまなのにも関わらず、自分の全く知らない異世界に飛び込んでいく勇気と冒険心は、僕の比ではない。今回の旅行で僕と同じ期待を持っているならもう、じりじりしているはず。だとしたら今からでも決して、決して遅くはないはず!
ばらばらと僕は、もう一度、雑誌のページを捲ってみた。何度確認しても、文春文庫のしおりは、確実にあった。『ノーブラ』の四字が刻まれたページに挟まっている。もはや間違いない。九王沢さん、やっぱりこの特集を読み込んでいたのだ。
彼氏の僕が言うのも何だが、九王沢さん、究極の活字中毒なのだ。一緒にちょっとしたデートに出ても文庫本は必ず三冊携帯しているし、レストランや美術館のテーブルにある小冊子をいつの間にか読んだのか、初めて読んだ内容を一字一句間違えず暗唱できる。複合機のスキャナーみたいだ。ここまで来ると特殊能力者である。
そして読んで気になったことは、実行に移さねば気が済まない。驚異の情報処理能力の持ち主なのだ。
と、言うことは、だ。うはは。ここに書いてあることは、九王沢さんの頭の中には、すでに完全にインストールされているに違いない。さっきのノーブラも、間の悪い僕に出していた密かなゴーサイン、合意の証なのだ。この雑誌はもはや僕にとっては預言書、次に訪れる福音を報せる聖書である。さて九王沢さんから今度はどんな美味しいパスが来・る・か・な?
足をぱたぱたさせながら雑誌を眺めていると、いつの間にか涼花が目を醒ましてこっちを見ていた。ゴミを見る目である。
「な、何だよ」
「変態」
涼花は、すかさず寝乱れた浴衣の袂を隠した。ふんっ、がきんちょめ。そんな貧乳誰が見るかってんだよ。僕の登頂目標はいぜん、はるか彼方、神の乳の頂きであった。
「すうちゃん、靜子さんが亡くなったお部屋まで一度、案内をして頂けますか?」
「は、はい。構いませんけど…」
その朝、九王沢さんが切りだすと、涼花は目を丸くした。
「わたしたちも、しばらくあそこにいさせてもらいたいんです。今の状態であの家にすうちゃんを一人で帰すのは、やっぱり危ないと思うんです」
「すうと一緒に家に来てくれるんですか…?」
涼花は、信じられないと言うように僕と九王沢さんを見た。九王沢さんは無言で頷くと、その豊満な胸で涼花を抱きしめた。
「心配しなくてももう、大丈夫ですから。一年前あそこで、本当は何があったのかを突き止めます」
「慧里亜お嬢さま…?」
まだ心細そうに顔を上げる涼花に、九王沢さんは天使の笑みを見せた。
「すうちゃんは、わたしと那智さんが守ってみせます」
涼花は、はっと息を呑んだ。この子が、本当は一番誰かに言ってもらいたかった言葉。九王沢さんはそれを巧まずして、口にしたのだろう。
「嬉しいです…」
涼花の目に、みるみる涙が浮かんだ。実際の不安はまだ、去らない。だが心底ほっとしたのだろう。九王沢さんの腕に抱かれた涼花の膝が思わず崩れていた。
僕たちのところを離れて独り帰ることになると思っていた朝の涼花は、強い不安を持て余していた。何しろ自分の家で首を絞められ、その犯人も捕まっていないうちから、そこへ戻らなければならないのだ。
母親の遺産を狙う、人間たちの巣窟へ。
朝から、涼花は明らかに憂鬱そうだった。
誰かに助けてもらいたがっているのに誰にも助けを求められないでいる、あれはそんな心細さそのもののような表情だった。それこそが芸能人の秋山すずかでもない、この十六歳の女の子の、偽りない素顔なのだろう。
涼花はあの家にいる限り、誰に対してもその素顔を見せられない。
考えてみれば、どこまでも不憫だ。怒りすら湧いてくる。こんな事態に陥っても、涼花には誰にも相談できる相手が、自分の家にいないのだから。
僕たちは児玉さんの送迎を断ると、三人で朝食をゆっくりと食べた。涼花を伴ってあの川沿いの邸宅に現われたのは、十時になろうとする頃だ。
「もう少し、すうちゃんといてあげたいんです」
九王沢さんは児玉さんに、そう事情を説明した。つまりそれは涼花が襲われ、靜子が不可解な死を遂げた部屋を調べて回ることなのだが、こう言えば相手もむげには断れないだろうと思ったからだ。
実際、今から大事な遺産相続が行われようとする家に、部外者が居座ろうと言う申し出は、歓迎されるべきものでもなかっただろうが(謙三はじめ男たちは、九王沢さんと僕を明らかに煙たがっている様子だった)児玉さんは一、二もなく、僕たちを歓迎してくれた。
「申し訳ありません。…本家のお嬢さまのお手を、煩わせて恐縮ですが、お時間の許す限り涼花のことを、お願いいたします」
この人も涼花に、決して情がないと言うわけではないらしい。九王沢さんが靜子さんの作品が観たいと言うと、二階への出入りにも甲斐甲斐しく立ち会ってくれた。
「ここにあるのは広瀬が、最期にどうしても手放したくなくて遺しておいた一部の作品に過ぎないのですが、もし宜しかったらどうぞ」
かくして現場の調査が開始した。
薄暗い廊下には、暖色の照明が灯り、ずらりと作品が陳列されている。リビングのフロア奥から、中廊下を通って二階の部屋の奥まで続いていると言う。見たところ小品が主だが、ほとんどプライベートな美術館だ。
巨大な一枚ガラスの長い廊下を通ると、右手は日本庭園風に造作されている。川の清水から上がった湿気で岩の上にほどよく色づいた深緑色の苔に、真紅の紅葉が散り敷く様が思わず立ち止まってしまうほどに美しかった。
この庭の竹矢来の隅に色づいているような椿の花を、靜子は画題にしたらしい。油を含んできらりと光る硬い葉の感触。薄桃色に色づいた花びらに、花芯や軸の細部まで描きこまれた繊細なタッチは、思わず息を呑むほどだった。
「これは、初期の作風ですね。画業を始めた頃の靜子さんは日本の明治近代洋画の技法に、大きな関心を持っていたみたいです」
児玉さんが解説するまでもなく、九王沢さんはひと目でそれと理解していた。確かに靜子が選んだ画題は毛先のほんわかした感触まで筆で描きこまれた三毛猫や、和服を着た母娘や舞妓さんなど、小ぢんまりとした純和風のものだ。児玉さんが言うには最初、靜子は竹内栖鳳や竹久夢二と言った画家に私淑していたと言う。
それがある時、一変する。言うまでもなく、フリーダ・カーロとの出逢いによってである。繊細な寒色系の色遣いはなりを潜め、赤、黄、そして色濃い藍色など、メキシコ、インカの民族色がする、劇的で、はっきりとした原色が目立つようになる。
二階の階段から上までの絵がそれだ。これまでの靜子からは正直、理解できない画風だった。
「これ、わたしが知ってる頃のお母さんの絵です。あんまり上手くないと思います」
涼花などは以前の、繊細なタッチのものが好きなようだ。確かに、ある意味靜子の画は別人のように雑になったと言っていい。変わったのは色使いばかりでなかった。人物の等身は少し不自然だし、意識してか遠近法が狂っているものも見られた。
「当然です。靜子さんはフリーダに傾倒したのですから。ここからここまでは、自分の個性よりフリーダの模倣が色濃く出ている時期のようです。だから誤解を恐れず言えば『下手で当然』なのです。フリーダ・カーロは全くの『素人』から、メキシコ近代美術の先頭に躍り出たのですから」
一九〇七年、フリーダはメキシコシティの南、コヨアカンと言う地域に産まれた。優秀な成績でメキシコ大学に進み、医師を志していた。美術よりも、マルクス、エンゲルスに熱中し、革命的な政治理論の討論グループに入るような野心的な女学生だった。
絵画に目覚めたのは十八歳、再起不能と思える大事故に遭遇した折である。恋人とともに乗ったバスが路面電車に激突し、フリーダは生涯に渡る大怪我を負った。折れたバスの金属製の手すりが、左の臀部から子宮までを串刺しにしていたのだ。
一緒に居た恋人に見捨てられ、失意のどん底から彼女は絵筆を執ったと言う。
「広瀬がフリーダに出逢ったのはちょうど、乃木が覚醒剤で捕まったときでした。一時は憧れた乃木から度重なる暴力を受け、幾度もの浮気に堪えかねていた広瀬は、その頃すでに体調の不良も抱え、失意のどん底にいました。たまたま旅行先のコヨアカンで、フリーダの絵に出逢い、人生が変わるほどの衝撃を受けたと言います」
「靜子さんからもそのように、聞いています。小さい時わたしも、連れて行って頂きましたから」
乃木のスキャンダルで靜子はしばらく、海外で生活していた。ロンドンの九王沢さんの家に滞在していたのは、恐らくその頃だったのだろう。
「日々、死を意識し始めた自分には、フリーダの絵が意図することが隅々まで判った、と広瀬はいつも、言ってました」
で、靜子はますますフリーダに傾倒し、技法としては奇しくも絵が『下手』になったわけだ。
「その後、フリーダは生涯その身を捧げることになる夫、ディエゴ・リベラと知り合います。ディエゴはピカソにも認められ、メキシコ近代絵画の旗手と言っていい存在でした。彼の手ほどきを受け、フリーダの絵は上達をみましたが、まるで子供の人形のような人物の等身や、不可思議な画面の構成は、一貫して変わらず、それがむしろ、フリーダの個性になったんです」
技法が正統なもので、かつ精巧に描かれていることが必ずしも画家のオリジナリティにはならないと、九王沢さんは主張する。
「例えば素朴派の代表格として、その後のシュールレアリスムの画家たちにも愛されることになったアンリ・ルソーもまた、全くの素人のまま、絵を描き続けた人でした。税関に務める傍ら画業を続けたルソーの絵は、最後まで独学のままで登場当初『子供が描いたような絵だ』と酷評されたくらいです。しかし幻想的な世界観は、その晩年から現代に至るまで世界的な評価を獲得するまでになりました」
これらの画家に共通するのは、よく出来ている、と言うことよりも人をして、その絵に注目せざるを得なくさせるような、強い個性の主張である、と言う。
フリーダはバス事故によって奪われた自分の人生や、女性としての機能を喪った自己の悲しみや苦しみを描きこみ、夫・ディエゴとは別の特異な地歩を占めた。そのためフリーダの絵には生々しい傷を抱え、血を流す自分自身が惜しげもなく頻出する。靜子に衝撃を与えたのは、その自己主張の過激さだったようだ。
「広瀬本人は、とても芯の強い女性でしたが、人を押しのけてまで強い主張をすることは決してありませんでした。乃木の事件のときも関与を疑われ、週刊誌の記者に長年追いかけられ、告白を迫られました。間違ったことを書かれしつこくマスコミへの登場を促されましたが、何を言われても沈黙を守り頑なに断り続けたんです」
自分の苦しみは誰に訴えても、癒されるものではない。孤独になった靜子に、独り苦痛に堪え続けたフリーダの存在は、大きく寄り添ってきたのだろう。
さすがに控えめな靜子は、自分自身を登場させるまでには至らなかった。しかし自分と同じ髪型の小さな女の子を、何度も描いたと言う。靜子はそれを乃木に脅かされ、世間の目に晒され、行く手に幼子に戻って戸惑う自分自身と表現した。
晩年はフリーダの使った原色の色彩を上手く活かしつつも、画面は再び静謐に戻り、ようやくフリーダの個性を消化しきった作風を完結させる。
西瓜を選んだフリーダに対し、靜子が選んだのは、漆黒の古備前に爛熟したトマトの輪切り一切れであった。
鎌倉時代の古備前特有の、粗い土の匂いを感じさせる武骨な地肌に、熟れ崩れたトマトの瑞々しい果肉と艶やかな皮の紅との対比は、通りすがる誰の目をも留めさせる迫力に満ちている。
ニューヨークサザビーズのオークションで高名なコレクターに買い上げられたこの静物画は現在ここにはないが、レプリカが架かっていた。これが広瀬靜子の代表作だ。私生活には恵まれなかったが靜子は、まばゆいばかりの才能を持っていたのだ。




