プロローグ
形がない愛ならば、僕には掴むことは出来ないんだろう。あの痛みを忘れることが出来ないから、人と心の何処かで一線を引いている。
聞こえ過ぎてしまうんだ。
考えすぎてしまうんだ。
考えすぎてしまうことに疲れたよ。何度、死にたいと願ったことか。僕が死んだら、僕は考えなくてすむのだから。
僕は良く死にたいと口にする。そうしなければ、生きていけないのだ。僕は本心を隠す、そうしなければ僕はまた壊れるだろう。
誰も助けてはくれない、僕にはそんな人はいなかった。家族は責めるばかりで、僕の声を聞いてはくれなかった。彼女らが気づいたらもう遅かった、僕は取り返しのつかないくらいに壊れかけていたのだから。でも、僕を助けてくれたのは、憎いことに姉の言葉だった。
それでも僕は。形がない愛ならば、手に入れることは出来ないんだろう。形がある愛などはない、だから人は嫉妬をするのだ。人の嘘本当なんてわからない、僕らは心を読む力などないのだから。
僕は人が怖い。だから、男性なら表情を、女性なら声を確かめる。そんな不器用すぎて、臆病すぎる僕は愛を掴む努力すらもしなくなった。
僕は鈴木壱、直接光を浴びなくなってから四年が過ぎたから、学生で言うなら本来なら高校二年と言うべき歳だろうか? だけど、僕は生きているだけの屍のように動かず、何もせず息を吸っているだけの状態だ。辛うじて、考えることをやめていないだけ、僕は完全に生きるのを止めた訳ではないのかもしれない。
話は変わるが、僕には姉がいる。歳の離れた優秀な姉が。比べられて、常に生きてきた。親にも周りにも。
そんな姉にも姉なりの辛さがあったんだろうな、姉は二年前に行方不明になったらしい。人の部屋の前で、駆け落ちをした、お前は知らないかと必死に聞かれたが、引きこもりの僕が姉の行方を知るはずもなく。
ただ一言。
「お前らの期待が、姉をそうさせたんじゃないか? 姉はきっと、優秀な自分だけをお前らに見せたかったんだろうなぁ。可哀想に。姉を追い詰めたのはお前らだよ」
行方は知らんが、姉は駆け落ちなどしていない。姉は女性として、一番傷つくことをされ、心を痛め、行方を眩ませたんだろうな。きっと、姉は両親には知られたくなかったんだろう、頭の良い姉はその事実を話した時、両親がどんな反応をするのかわかっていたから。
何故、僕にそんなことがわかるのかって? 壁越しからそう本人が話していた、最後に聞いたのは両親には言わないでくれの一言だったから。
僕は姉を恨んではいない、姉は唯一僕を見捨てなかったから。だから、何も話しかけず、話を聞いた。
行方を眩ませることを、僕は止めなかった。
そんな姉を見て思った、このままじゃいけないと。
ーーでも、恐怖からこの部屋の外に出れず、二年が経ち、今に至る。誰か、きっかけを作ってくれないだろうか? 部屋を出なくてはと思う、そのきっかけを。
「……壱、仁香が亡くなった。葬儀くらいは部屋から出てはくれないか」
弱々しい父の声。
父は嫌いだ、そのまま放置しておきたい。……だが、姉は嫌いではないから、葬儀くらいは部屋から出ようとそう思った。皮肉にも姉の葬儀がきっかけで外に出るとは、胸の奥が鈍く傷んだような気がした。
だけど、何故だろうか? 姉は嫌いではないから、葬儀には迷うことなく出る。だが、その想いとは別に、僕の中の何かが姉の葬儀には出なくてはいけないと、そう訴えかけているような気がしたのだ。
姉は自殺をしたそうだ。
四年前、行き場のない姉を拾ってくれた優しげな男と結婚して、一年前に子供を産んだそうだ。
一度目の妊娠は流産したそうだ。理由は過度のストレスじゃないかとも言われていたらしい。
その男との間に長男が生まれ、幸せ真っ只中の時、その男は事故で亡くなったらしい。相当依存していた姉は、一ヶ月は気丈に振る舞っていたらしいが、死を自ら選んでしまったと俺宛に書かれた遺書を、近所の人から渡されたのだ。
姉は最後に、両親だけにはこの子を任せないでほしいと望んでいた。だから、僕は……。
「僕がこの子を引き取ります。だから、少しの間だけ、この子を頼んで良いですか?」
児童保護施設の人にそう頼んだ。
……必ず、引き取ると決意して。
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何年経っただろうか?
僕はあの児童保護施設の前にいる。
「お久しぶりです、鈴木壱です。迎えに来ました」
スーツを着て、僕は約束通りあの子を迎えに来た。