上田へ帰城す
甚八隊も信幸の元へ合流し、信幸軍は態勢十分だ。敵の援軍・小笠原隊も仙石秀久がしっかりと押さえている。城を落とす気ならばそれもできよう。もちろん、後の事を考えれば、得策ではないのは分かっている。
「さてと、どうするかな」
ともかく城を囲んでいた。
二日後、大阪から使いがきた。
「長曾我部様、伏見を獲りました。信幸様は御帰城されたしとの仰せにございます」
「なんと。本当に落としたか!?」
信幸は本当に伏見城が落ちるとは思わずにいた。仮に落とせてもひと月ほどはゆうに時がかかるであろうとも。それが、僅か一日ほどで落としたというではないか。聞くと弟の幸村も功を挙げたという。
「まあ、父や幸村が大阪におれば、不思議なことでもないのかもしれぬな。わはははっ。
よしっ!皆の者! 帰るぞ!」
こうして真田軍は優々と上田に戻っていく。この度は、行きよりも帰りの時の方が兵が増えるという不思議な戦であった。
……上田城……
帰城した信幸はすぐに評定を開いた。
「此度の戦。参陣せし者も留守を務めた者もご苦労であった。上様から感状をいただいた。
しかし、我が領が増えた訳ではない。それぞれの働きは書き留めておくが加増はなしじゃ」
家臣達も仕方がないことだと分かっている。不満そうな顔は見えない。
「諏訪で金刺源五郎が新たに臣となった。皆、覚えておけ」
甚八が連れてきた源五郎を信幸は取り立てたのである。郎党は二十八名だ。その他にも途中の道中で参陣を願い出た雑兵が三百ほど上田に付いてきた。この者達の食い扶持も考えなくてはならない。
「昌親。坂城の地はどうなっているのだったか?」
坂城の地とは上田の隣、埴科郡の西部である。
「徳川天領となっております」
「そうか。ならば、昌親。源五郎と共に代官を追い出せ。坂城には二十六村あったか?
源五郎にその内の七村を与える」
坂城一帯で六千石だ。源五郎には蔵入りとして五百石が与えられることになる。
「ありがたく」
源五郎はすぐに知行を得られるとは思っていなかったので、満面の笑みで礼を述べた。
五百石では二十八名もの郎党を養うのは大変であるが、山賊のような生活よりはいい。この郎党の内、幾人かは土着していくのである。
信長が推し進めて、秀吉の頃には兵農分離が定着してきている。以前のような半農半兵の者達は少ない。
だが、これは中央に限られたことで、地方では今だに半農半兵の所がある。
信濃も決して豊かな土地ではないので、兵農分離が中途半端に残っていたりする。信幸はそれはそれでよいと思っていた。
「普段は田畑を耕すのは良い。だが、それを言い分に軍役を逃れることはならぬ」
と家臣に命じている。
坂城は隠居した真田家の古参家臣・出浦対馬守盛清の出たところだ。真田家に従順な土地である。
評定後、すぐさま坂城は真田領に組み込まれた。真田家として五千石余りの所領が広がる。そして陣屋を設けるのであった。




