諏訪の外れの小競り合い
諏訪の外れ、諏訪頼水の陣に一騎の武将が入る。大岡清勝である。清勝は家康の命で戦目付として遣わされた。家康は高遠城への援軍を飯田勢に命じたが、腰が重いであろう諏訪頼水に戦目付を付けたのだった。
家康は戦の眼力のある清勝を付けることで、寡兵である高島城が攻められた時のために手を打っていたのだった。
「諏訪殿。いかがするおつもりか? このまま日和見三昧ですかな」
清勝は戦意の低い頼水を煽る。清勝は割と古くから家康の旗本であるが騎乗を許されている程度の三百石扶持の者だ。家康から戦目付に付けられたとは言え、小なりといえども大名である諏訪頼水とは貫目が違う。清勝が煽ろうが、蔑んだ目で見ようが頼水は全く相手にしない。
「ふんっ」と鼻毛を抜きながら素知らぬ顔をする頼水だ。
だが、物見の者の知らせにより、頼水は動く。
「殿。対しております真田陣の中に諏訪下社から追い出した金刺、竹居らの旗印が見えます」
「なに!? やつらは真田と組んだか……」
かつて諏訪大社を巡る勢力闘争で敗れた諏訪下社の金刺、竹居らの一族は諏訪を追われたはずであった。だが密かに民に紛れ込み再起を願う者達もいたのだ。
「よし。少々、戦をする!」
頼水は金刺、竹居が真田の後盾を得て力を蓄えるのを嫌った。
都合のよいことい真田陣の前面に金刺、竹居の隊が布陣している。その隊を叩ければそれで良いと思っていた。真田陣に食い込めば、こちらも大きな痛手を受けるであろう。それは避けたかった。
この時の諏訪頼水の率いる兵は五百。軍足帳による正確な兵数は五百八名である。
諏訪頼水隊と姉川甚八隊の戦ははじまった。
頼水隊の鉄砲騎馬隊二十騎が金刺ら陣借りの隊に向けて進軍し銃弾を撃ち込む。十数名が討たれるが、金刺達は臆する事無く迎え討ち乱戦となった。
「ふむ。諏訪の者どもは陣借りの者どもが狙いのようだな。陣借りの者達を束ねる者、名を金刺源五郎と申したか。なかなか良い動きをするの。
よし、弓隊二十は金刺源五郎を援護せよ。槍隊百は正面から敵陣へ寄せよ!」
この甚八の差配により諏訪隊は押され、一刻後には諏訪隊は敗退する。双方の被害は両軍共に百名あまり。
諏訪頼水とすればこれ以上兵を減らせば高島城を守る事ができなくなる。姉川甚八としては深入りするよりは、高遠城の戦の状況次第で信幸の元へ参じなければならない。
結局、この戦は戦と言うよりは小競り合い程度で終わったのであった。甚八は諏訪隊が高島城へ引き上げたのを見届けてから、改めて兵を纏める。
「金刺源五郎。その方、この後はいかがする? 良ければ一緒に来ぬか?」
甚八は源五郎に声をかけた。甚八は源五郎を評価し、真田家に組み込めればと思ったのだ。
「は。よろしければお連れ下され」
金刺源五郎としても諏訪頼水と一当たりし、頼水側近の者を討ち取るなど功を上げ、過去のいきさつも少しは留飲を下げていた。
こうして後顧の憂いの無くなった甚八隊は新たな武将を加えて高遠城へ向かうのであった。
ちょうどその頃、長宗我部盛親を大将とする豊臣軍が伏見城に攻めかかっていた。伏見城の戦い(第一次伏見城の戦い)は激しいもので守将の鳥居成次軍は壊滅状態となり、結果、豊臣方が伏見城を奪取したのであった。
「何っ!伏見を獲られたと!?」
徳川家康は驚きを隠さずに叫ぶ。家康の頭の中は伏見城の事で占められる。その後も堺が豊臣に押さえられるなど凶報が続いた。信濃での真田軍の事は二の次となったのである。




