「一目千両」の考察
めんどくさがりなものなので、あらすじの説明が実に不正確です。お許し下さい。お話しを正確に知りたい方は検索で。
昔、僕は「まんが日本昔ばなし」というアニメ番組で「一目千両」というお話しを観たことがある。実に不思議なお話しで、いまでも印象深く記憶に残っている。
お話しのあらすじはこうである(愛媛県の民話であるが、テレビ用にアレンジがしてあり、原典とは異なる部分が多い。原典をお読みになりたい方は「一目千両」「えひめの記憶」で検索を)。
昔むかし、京の都でなんでも「一目千両」というお店が出来たとかいう噂話が四国の山奥にまで伝わってきた。
それを聞いた村の若者ふたりは「一目千両」とはなんぞなもし?と好奇心に駆られ、千両貯めるために狂ったように働き出す。そして、ふたりはちょうど一年で千両を貯める。京へ上る段になって、若者のうち孝行息子の方は母親からじっくり京見物をしてくるようにと別に千両を持たされる(伏線ですね)。
京へ着いたふたりはさっそく「一目千両」の店を探し出して、千両払って一目見ることになる。
「本当に千両の値打ちがあるのか?」(若者)
「へえへえ。そりゃ、みなさん、ご満足されておられますえ」(置屋の主人風な男)
先に一目見た若者はその場で腰を抜かし、しばらくしてものも言わずに慌てて立ち去ってしまう。
「なんじゃ、ありゃ。怖いものでも見たのか」(別の若者)
「いえいえ。また一目見るため千両貯めようと村へお帰りになりはったんどすえ」(置屋の主人風の男)
「……」(別の若者)
やがて残った若者の方も千両払って一目見ることになる。
襖が開けられ、若者が中を見ると、そこには絶世の美女が……。
ピシャン。
「はい。そこまで」(置屋の主人風な男)
「うう。わしゃ、どうしてももう一度見たい!」(別の若者)
「もう千両かかりますけど」(置屋の主人風な男)
「構わん。ほれ。ここに千両ある」(別の若者。孝行息子の方であった)
「ほな。どうぞ」(置屋の主人風な男)
「おお!」(別な若者)
その後の展開は、「はい。そこまで」と襖を閉めようとする置屋の主人風な男を「一目千両」の女が制止して「いままで一目見てくださったお方は数あれど、二目見た方はあなた様がはじめて。どうかわたしのお婿さんになってくださいませ」とかなり強引に迫り、村に母親を残していると渋る若者を押し切ってしまう。
こうして「一目千両」の女と夫婦になった若者は村のことも母親のことも忘れ果てて3年もの間、京の都で幸せに暮らすことになる。
ある日のこと。
鼻の下を伸ばしている若者に「一目千両」の女が村へ母親の御機嫌伺いに帰られたらいかがと勧める。女の言を聞いた若者は母親のことを思い出して急いで帰ることになるが、女とも別れがたそうにする。
すると、女は「寂しくなったら、これをご覧なさい。でも、決して人前では開けてはいけませんよ(原典では、山の中でしか開けてはならないと申し渡される)」と自分の姿絵を若者に渡す(これも伏線ですね)。
お決まり通り、旅立って3日目の宿屋の2階で若者は辛抱できずに姿絵を開けてしまう。
開けたとたん音曲が鳴り絵姿が生きているかのようにぞめき(浮かれ騒ぐこと)動き出すが、音がしたため宿屋中の客が集まって来てしまい、女の姿絵を見られてしまう。
若者がようやく村へ帰り着くと、母親は一年も前に亡くなっていた……。
落胆して京に戻った若者は今度は「一目千両」の女も数日前に亡くなってしまったことを聞かされて唖然とする。
女が小さな山寺に葬られたことを聞いた若者が女の墓を訪ねて行くと、墓から女の幽霊が出てくる。
「あれほど人前で姿絵を開けてはならぬと言うたのに……。約束を違えられ姿絵を人に見られたわたしは死んでしまいました。わたしはあなた様を恨みます」(女の幽霊)
「許してくれ」(若者)
「けど、こうして会えますがな」(女の幽霊)
「会ってくれるのか?」(若者)
「一目千両」(女の幽霊)
「千両!?」(若者)
「へえ。(今日は)ここまでどす」
女の幽霊は一礼して消える。
その後しばらくすると、京の小さな山寺にある墓の前に千両供えるとそれはそれは大層な美人の幽霊が出るとの噂話が四国の山奥にまで伝わって……。
このようにテレビ版の方は落語のようなオチでしめられており(しかも、エンドレス・オチまでついている二重オチ)、アレンジしたひとの洒脱さに感心したものだった。
しかし、考えてみると実に不思議なお話しである。
男女の出会いと別れをテーマにした民話であるが、「鶴の恩返し」や「天の羽衣」の系統のお話しではない。むしろ「浦島太郎」の物語に非常に似ているところが見て取れる。
たとえば、「浦島太郎」も三年ほど竜宮城で骨抜きにされ、挙句に里へ戻ってみると親しい人は皆亡くなっており、孤独を噛み締める破目に陥った。
また、「一目千両」の女はどうやら若者に約束を違えられるのを十分に予測しながら自分の姿絵を渡している節がある。女が若者に対して深い恋着を感じているのなら、そもそも若者に村に残された母親への御機嫌伺いを3年も経ってから勧める必要がないし、他人に見られたら自身が死んでしまうような危険物(若者との永遠の別れを意味する)を若者に渡す道理がない。まるで自殺の邪魔をされないかのように若者を一時的に遠ざけ、若者の手によって死のうとしているかのようである。
「浦島太郎」の物語でも乙姫様は一応の注意はするが、「コイツ。きっと開けざるを得ない状況に陥るに違いない」と確実に結果を予測して玉手箱を手渡している。
玉手箱を手渡した時点で乙姫様の「浦島太郎」へ向ける恋着は完全になくなっている。乙姫様が玉手箱を渡すのは「浦島太郎」との別れの儀式にすぎない。
このように冷めた女の仕打ちという点では「一目千両」の女の行動は乙姫様の行動と共通している。
この「一目千両」のお話しが極めて特異な物語で、「浦島太郎」以外に似た話がないかといえばそうでもない。昔の中国の伝奇ものにワンサカある。
たとえばー。
むかし。ある寒村に老婆がひとりで住んでいたが、ある夜、老婆の家に天から仙女が堕ちてくる。仙女は天界で罪を犯して一定時期まで下界で修行しなければならない罰を受けており、老婆と一緒に暮らすように強いられている。仙女は村の女たちには姿を見せはするが決して男の前では姿を見せない。しかし、村の女たちの口から仙女の美しさが漏れ伝わり、それを聞いた風流貴公子たちが全国から集まってきてしまう。仙女は愛欲の輪廻に囚われることを恐れ、貴公子たちに会うことを断固拒否する。諦めきれない風流人のひとりが家、田畑すべてを売り払って大金を作り、それを老婆に賄賂して一篇の詩を書いて仙女に送る機会を得る。仙女は老婆に対して大激怒。「おまえ。欲に目がくらんでわたしを売ったわね」老婆は泣いて謝る。仙女は罰を受けていることもあり、一度だけ風流人に会うことをしぶしぶ承諾する。薄衣越しの対面を風流人と済ませた仙女は老婆に告げる。「おまえとは前世で縁があったのよ。しかし、おまえが欲に目がくらんだことで切れてしまった。欲に目がくらみさえしなければ(登仙や現世での利益を)図ってやったものを。わたしはくだらん文で身を汚されてしまったが、時は満ちた。では、(永遠に)さようなら」泣く老婆を振り切り仙女は天界へ帰ってしまう。
上記は聊斎志異(清朝の伝奇集。作者の蒲松齢が今昔物語風に村人や旅人たちから物語を聞き取って編集したもの。角川文庫の柴田天馬訳が最高であるが、惜しいことに廃版となっている)に収められているひとつの物語であるが、似たような登仙の物語は他にもたくさんある。
上記の物語では対象が若者ではなく老婆ではあるが、仙女が冷たい仕打ちで別れの儀式をするところは「一目千両」の女と共通する。
仙女には仙女のアイデンティティを維持するため、因果律に流されないよう冷たい仕打ちで別れをする必要があるのである。
では、「一目千両」の女も実は仙女で冷たい仕打ちで別れる必要があったのだろうか?
おかしいことに、お話しでは「一目千両」の女は幽霊となって若者の前に再び現れて若者を揶揄う。つまり、別れきれていないのであって、彼女は因果を厭う仙女ではないことになってしまう。
だとしたら、それまでの女の行動の意味は?
墓前で若者を揶揄うだけのために姿絵を渡すという自殺行為をしたのか?
女の行動の意味が実にわかりにくい。
原典の方もわかりにくい。
原典では孝行息子の若者ではなく妻子あるオヤジが主人公であり、働いて貯めなくてもすでに二千両余分に持っている。経済力という点では同行する若者をすでに圧倒しており、若者には「一目千両」の女と結ばれるチャンスが最初からない。
しかし、これを金持ちオヤジが水商売の女から金を搾り取られた挙句にポイされたお話しと見るのも抵抗がある。
なぜなら、テレビ版同様、女は幽霊となってオヤジの前に再び現れ、揶揄う代わりに嘆き悲しむオヤジを慰めるため「煙草」の楽しみを教えているから。原典の方が情の厚い女として描かれているのである。
では、なにゆえ女は自身の姿絵をオヤジに渡してしまうのだろうか?
「一目千両」とは実に不思議な話である。
一見さんお断りの京都ではありえないお話し。そんな絶世の美女なら囲われて表に出てくるはずがない等のツッコミが満載のお話しですが、そこは民話ということで……。