ぷろろーぐ
赤い月と青い月が紺色の空のてっぺんに上がる。
そんな月が照らす森の獣道を、黒髪の少年が一人。駆けていた。
「はぁ…はぁ…っ。」
少年は、闇雲に走る。
森の木が道を拒むも少年はそれを気にも留めず、体のあちこちに傷を作りながら走り続けている。
彼は、見たとこ齢15、6のようだ。
幼い面影はあり、身長は普通。体はかなり細い。
全体的に油や土に汚れていて真っ黒な服はボロボロだ。
一見、社会的地位の低いただの少年に見えるだろう。
だが、瞳は並々ならぬ狂気と闇が渦巻き、よだれを垂らしながら一心不乱に森の中を走る。
ケタケタと笑いながら。
その姿はただの少年には見えないどころか―――――まるで獣である。
彼は何故、そんなに必死になっているのか。
何故そんなに楽しそうなのか。
もちろん理由はある。
必死になっているのは逃げているからだろう。
何に?だって?
それは少年の片耳につけた、血のように紅く、濃い、宝石のようなピアスを見れば分かるだろう。
そのピアスには、小さく文字がこう刻まれている。
‘汝、大罪人なり’
じっと見なければ分からないほど小さな文字だが、このピアスをしているという事は、殺人などの大きな罪を犯した人間であることの象徴だ。
つまり少年は罪人で、囚人なわけで、今は監獄から脱走中なわけで、こうして追われていた。
「…ふー。よーし、ここならいいかな!」
少年は無駄に明るく大きな声を上げながら、大樹の裏で汗をぬぐい、ばたっと倒れる。
顔から全身から疲労の色が見てとれた。
それも無理はない。計画を用意周到に練り上げ実行し、神経をすり減らしながら1日中走り続けていたのだ。
そして、囚人であった少年の健康状態は元々から最悪。その上今日一日何も口にしていない。
いや、何かを口にする余裕などない。
もしかしたらすぐそこまで、追っ手はせまって来ているかもしれない。
そう思ったら、少年は気が気でなかった。
もしここで捕まってしまえば、計画はすべてパーだ。
それにもう、色々我慢できなくなっている。これ以上は危険だ。
だが…ここでがんばれば、もう自由だ。
そう考えると笑いが止まらない。
「ふふふ。…よーし、早く行かないとなー。」
「――――ほぅ。どこにだ?」
目の前に、冷淡な目。
そして、冷淡な声。
少年の目の前に、中年ぐらいの歳の兵士が現れた。
片手に槍を持っている。
その槍に書かれた紋章は、少年の入っていた獄の刑務官用のものである。
だからか鋭く、首を一突きすれば、綺麗に紅い花が咲くだろう。
もちろん、それは少年に向けている。
少年はピタッと止まった。
「どこに行くというのか、ぜひ聞いてみたいのだが?」
「……さーねー。」
だが少年は、状況を理解した次の瞬間とっさに体勢を整えた。
そして、槍をはじいてから、兵士に背を向け一目散に走り出す。
その切り替えの速さは並ではない。
少年がそれなりの強さを持っていることは容易に分かる動きだった。
まぁ、しかしもちろん、兵士がそれを許すはずもなく。
少年は、ほぼ無抵抗に捕まえられた。
「…あーらら。ゲームオーバー!」
「ふん。他愛も無い。」
「ごーめんねっ!今、フラフラなんだ~。」
少年は元気よくそう言った。
不思議なほど元気よく。
そこには、諦めの感情も入っていた。
もう、獄の兵士に見つかった時点で逃げ切るのはほとんど不可能だ。
逃げられないように少年の両手両足は折られているが、そうでなくともしっかり食事をしてバリバリ訓練している兵士に、少年が勝てる道理はないだろう。
少年は、あーらら、ともう一回言って笑った。
笑うことしか出来ない。
「お前がそんな顔をするな。」
兵士により、少年の腹が思いっきりけられる。
兵士は叫びそうになるのをおさえ、わずかながらのうめき声をもらすだけにとどめた。
だが、肋骨が折れて肺に刺さったのだろうか、ヒューヒューと音が聞こえる。
それを兵士は侮蔑の目でにらみつける。
「もはやお前は、人ではない。今更人間の面をかぶるなよ。」
「…。」
「? 言いたいことはないのか?」
人ではない、かぁ。
「うん!」
少年は、それもそうだな、と納得した。
自分が人間なんて言ったら人間に失礼だ、というのはよく理解できる。
だが、
「じゃあその人ではないもの手足をぽっきり折って、ずるずる引きずっている、君は一体全体なぁ~に?」
「俺は俺の仕事をするだけだ。」
官はそうはき捨てる。
そこには何の感情もこもっていなかった。
それでいい。
彼はそれでいいのだ。
だからこそ、たぎるものがあるじゃないか。
少年は静かな決意を、瞳に宿らせる。
―――いつか彼を殺そう。
「俺が大罪人?」
確かに、少年はこの世界の誰よりも大罪を犯した。
誰よりも悪だった。
だが、少年は大罪人ではない。
少年は――――
にたぁ、と、殺人鬼は嗤った。