第一話 梔子
それは僕にとって只の健康診断と変わらなかった。
暖房の入った教室で、ニコニコした優しい白衣のおじさんが見守る中、コンピューターと対話しながら質問に答えてゆくだけ。僕のクラスの担任の平先生はちょっと難しい顔をしていたけど、新任の平先生はいつも不安そうにして居るので僕は別段気にもしなかった。
深く考えず直感でイイと言われていたので、 言われたとおり適当に選択肢の中から選んで行く。血圧や脳波を測りながら、様々な画像や映像、音声をみせられたりもした。これは頭の働かせようがないので、僕は午後の文芸部の活動の事を考えながらボーッとしていた。
最後に、検査を終了します、という文章が表示されたので僕は席を立った。
それは僕にとって只のアンケートのようなものだった。
二時間ほどの検査が終わって、僕たちはやっと解放される。お疲れ様、 と言う白衣のおじさんにお疲れ様です、と答えておく。
「先生、これって、まだ必要ですか?」
「ああ、回収箱に戻しておいて」
精神疾患検査、と書かれた腕輪を緑の回収箱に放り込み、僕は別棟の部室に向けて走る。
旧校舎の使われて居ない小さな多目的室を、僕らは文藝部の部室として使わせてもらっている。
暖房が壊れていて寒い部屋だけど、久郷先輩が私物の空調機を持ち込んでからグッと過ごしやすくなった。
今日は文化祭で売る予定の部誌の内容を打ち合わせる事になっていて、僕は小説のネタをいくつか考えて来ていた。
多目的室の扉を開けようとして、中で久郷先輩と名波先輩の話し声が聞こえて来て、僕は手を止めた。
耳を扉に寄せて聞き耳を立てる。
いつになく楽しそうな久郷緋奈鳥先輩の声が漏れて聞こえる。
「ねえ裕、私がサイコパスでも、友達でいてくれる?」
「緋奈がサイコパスなわけ無いじゃ無いか」
「真面目に考えて」
「勿論緋奈がサイコでも、僕は緋奈の味方だよ」
「その言葉、きっとだよ・・・」
・・・イラッ。
僕は遠慮なくガラッと戸を引くと、そこには固く抱き合う部長&副部長のコンビと、石になっている眞田君が既に揃って居た。
「「「・・・」」 」
「不潔・・・」
「ち、ちがうんだ、これは」
名波先輩が狼狽えて詰まったので、久郷先輩が言葉を継いだ。
「友情を確認し有っていただけです・・・」
白々しい沈黙に多目的室は包まれた。
「・・・で? 確認は取れたんですか?」
「うん」
「・・・名波先輩、もし久郷先輩がサイコパスであったとしてもご安心を。僕が退治しますので」
僕は白石君夜。英句堂学園高校一年生、文藝部所属。
このバカ二人は二年の名波裕祐樹部長と久郷緋奈鳥副部長。
自称無二の親友、他称バカップル。
・・・僕にとっては、意中の人と恋敵。
僕は、名波先輩が好き。
中学時代久郷先輩の小説を読んで以来だから・・・かれこれ二年くらい片思いしている事になる。
同性愛者への風当たりは再び強くなっては来ているけれど、名波先輩が優しいから諦めきれずに未練がましく付き纏っている。
「白石君、検査はどうだった?」
「なんて事無かったです」
僕は急いで名波先輩の隣の席から眞田を押し退け、着席して久郷先輩を睨みつけた。
名波先輩と腕を組む。 久郷先輩には見下ろすような視線を送ってやる。
これが身長差が15センチもあるとなかなか楽じゃ無いんだぜ!
久郷先輩(男子の平均身長より五センチ高い)がデカイのが僕が小さい(同じく十センチ低い)のとあいまってまるでダビデとゴルゴタだ。
「じゃあ部員も揃った事だし、今日の活動を始めましょうか」
久郷先輩は僕の挑発を華麗に無視すると、咳払いして副部長の分際で仕切り始める。序列を心得ない奴はみんな死ねばイイと僕は思うな。
「第88回文藝部の活動を始めます!」
それを恒例の歓声が、そして盛大な拍手が迎える。
「「「「Waaaaaaaaa!! (棒)」」」」
「「「「パチパチパチパチ (疎)」」」」
さて、と久郷先輩が着席し、今回は三人とも小説だよね、と切り出した。
十二月の文化祭にて頒布する部誌特別号の話だ。
「挿絵がつくんですよね」
「漫研と掛け持ちしてる眞田が付けてくれるはずよ。あと私が交流してる中国人の女の子が居るんだけど、彼女も小説を書くそうだから参加してもらうわ」
「白朱璃さんが? 緋奈鳥が翻訳するの? 凄い!」
名波先輩が感心して賞賛。
「 凄い!」
僕も便乗して言うが、内心 (そういう事を部長抜きできめるなよ)とか思ってる。
「では諸君、持って来た粗筋を見せっこしようではないか」
皆持ち寄った粗筋を草臥れた机の上に放り出す。
僕も、名波先輩の気に入るだろうかとか考えながら、原稿用紙を十枚ほど取り出す。
部活動。
創作。
恋。
・・・名波先輩。
僕は大切なものがここに集まりすぎている。
大切な日常がいつまでも続いて行くように祈る。
家で待つものを思い、僕の胸中を黒く焼け付く泥の様なものがじわりと滲み、息が苦しくなる。
「・・・白石君?」
ハッと我に返る。 名波先輩が心配そうに覗き込んでいた。
「大丈夫?」
「え」
あらぬ方を見ていたらしい。
「は、はい」
ぎゅっと、名波先輩の腕を抱く手に力を込めて微笑もうとしたが、思う様にいかなくて苦労した。
名波先輩の温もりで気持ちを落ち着ける。
世は全てこともなし。
そうとも、名波先輩が笑いかけてくれる限り。