Mottó
神を信じず良心を持たないお前を
一体誰が信じてくれるのだという僕の問いに、
彼はお前が俺を信じてくれるさと答え僕に口付けた。
彼はもう居ないが、僕は今でも時々彼の事を思い出し、
信仰を捨て地獄の釜で焼かれる日が来たとしても
彼と共にであれば、彼を信じる事がきっと僕の救いとなるだろうと想いを馳せるのだ
月磐 【詩集 審日之子等 (子供達の末日)より】
【暴力】について考えてみよう。
川には流れが、流れには向きがあるように、悪意にも方向性と道筋がある。
貴方が喫煙者やカルト信者を毛嫌いするのは何故なのか考えてみた事はあるだろうか。
様々な論拠をお持ちであろうが、それらは当然貴方が自ら考え出したものではない。貴方はそれらの論拠を他人と共有して居るはずであるし、多くの人と共有しているからこそ正統性を保証されて居るのだとお思いだろう。
貴方を惑わすその『錯覚』 を、社会正義と呼称する事にしよう。
社会正義の目的は、暴力の向きと流れを管理し暴走を防ぐことだ。
社会性人類は集団で行動するよう迫られる以上、構成員がバラバラな倫理観と行動論理を持っていては都合が悪いことこの上ない。考えても見て欲しい、牛食、食豚、食人を死罪と考える人間が入り乱れて生活していて、且つ誰がどの倫理を標榜しているかが分からない状況を。貴方は誰の前で何を食べて良いのか分からないだろう。いつ処刑されるか分かったものではない。
だから暴力エネルギーの不測の暴発を避けるため、人間は社会正義の一本化に向けて涙ぐましい努力をするのである。
問題意識が共有され意見が洗練されてゆき、見解が極化してゆき軌道が設置され悪意の方向性が定まる。川が水源の統合で勢いを増す様に、人間の社会でも憎悪が合流し編み上げられ、設定された標的に向けて勢いよく殺到する事となる。よく管理された形で。
とにかく、過去に喫煙者が迫害されたように、今日では精神病質者に攻撃の矛先が向いている。
久郷緋奈鳥【タナトスの子供たち】