空想メスクラール ~僕は知らない世界の勇者に選ばれた~
目が覚めるといつもの天井が見えた。また退屈で無意味ないつもの日常が始まったのだとベッドから出て部屋のカーテンを開ける。だけどそこには見覚えのない僕の知らない世界が広がっていた。幾ら聞いたことのある国の名前を羅列しようが無駄だ。僕は外国に行った事がないからここがどこの国なのかは見当のつけようがない。
暫定的に僕が思い至った結論は、ここは異世界だってこと。もしかしたら昨日友達に言われてやった、エレベーターを使って異界に行けるという都市伝説のせいである可能性だ。この都市伝説は、高層の建物の一階から順番に階を昇って行き、最上階まで着いたら一階を押して階を降りていくと存在しない地下の階層に行くというものだ。部屋は間違いなく僕の部屋。だけど外は僕の知らない世界になっている。もう、異世界だと仮定した方が早い。つまり、あの都市伝説は本物だったということだ。懸念があるとすれば、ネットで見た情報と少し違うというところだ。ネット情報だと地下の階層にどんどん下がっていくものだったけど、昨日は一階で止まった。ネットの情報が正しければ今回のこれは失敗の筈だった。とは言え、ネットが全て正しいとも限らないからこんなことが起きているんだ。ネット情報は考えないでおこう。
問題は今後どうするかだけど、僕としてはもう少し異世界を享受したい気持ちが大きい。でも、本能的に帰らないといけないとも考えている。どうするべきか悩んでいると不意にドアを叩く音が聞こえた。こんな朝早くに誰なのかと思い、玄関のドアを開ける。そこには僕の親友シオンがいた。昨日一緒に都市伝説をやった友達だ。髪をオールバックにセットした、少し派手な見た目の人だ。
「タツミ! 大変だ、今すぐこれを見てくれ! 」
訳が分からず取り敢えずシオンを部屋に上げて、手に持っている新聞に目を通す。
「シオン、なんて書いてあるか分からないよ」
「はぁ? マジで⁉ しゃあねぇ、オレが読んでやるから耳の穴かっぽじってよく聞いてな」
そうしてシオンが新聞の記事を読み上げる。僕にはアルファベットに似た字体が無作為に羅列している様にしか見えない。単語らしき場所の区切りは随所にあるものの、ローマ字読みも英語読みも出来ない。それが読めるシオンは凄いとしか言えない。シオンは言葉は乱暴だけど、なんだかんだ面倒見が良い。僕には勿体無いくらいの親友だ。
シオンが読み上げた記事の内容はとても現実とは思えない程浮き世離れしていた。
「ま、魔王? 復活? なにそれ深夜アニメのあらすじかなにか? 」
「ちげーよ! これ、れっきとしたニュース記事なんだぞ! それに王道ファンタジーのストーリーの宣伝なんか今時しないからな! 」
そんなことは無い気がするけど。それはさておき、王道ファンタジーみたいな事が現実で起こるってことなのは分かった。訳が分からないのも確かだけど。
「でな、此処に来る前に見つけちまったんだよ! 地面に刺さった、勇者の剣っつーものを! 」
「勇者の剣? 何言ってんだよ。どうせ誰かのイタズラだろ? 」
シオンは乱暴に髪を掻き毟って強く僕の腕を掴む。焦れったいとでも言いたげに外に連れ出そうとする。
「オレが抜こうとしてもびくともしなかったんだ。ホンモノかもしれないだろ?ならタツミも試しにやってみようぜ! 」
「痛いな! もう、分かったからちょっと待ってよ」
外に出るのに抵抗はあるけど、いつもと外の様子が違うみたいだしちょっと家の周りを見てみるのもいいかもしれない。勇者の剣とかいう物も胡散臭いけど剣を抜くだけだ。イタズラだろうけどそれに少し付き合えばシオンも満足するだろう。そうして僕はシオンと一緒に勇者の剣とやらを見に行った。
外はとても明るく賑わっていた。都会とまではいかないけど、綺麗な建物がそこら中に建っている。準都会といったところだろうか。例の剣の場所は僕の家 (仮) の裏の空き地にあるらしい。
シオンが空き地の敷地のすぐ前で立ち止まって指をさす。
「タツミ、あれがさっき言った勇者の剣だ」
指をさした方へ目をやると確かに剣が地面に突き刺さっていた。
「……あれを抜くって? 胡散臭すぎじゃない? 」
文句を言いつつも僕は剣の前まで歩いていた。仮にこれが本物だとして、一般人の僕では抜けないんじゃないかと思う。だけどシオンは期待した表情で僕を見ている。
シオンの期待に押されて剣の柄を両手で握る。本物ならどうせ抜けないと思って大した力も入れずに引っ張った。すると、思っていたよりもスルスルと抜けて剣の刃先が地中から顔を出した。
「抜けた⁉ ……ってやっぱりイタズラだったんじゃないか! 」
一瞬驚いて声を上げたものの、僕みたいな一般人が簡単に抜くことが出来たということはこれは偽物の玩具であるのだと気づきすぐ我に返る。
「タツミ凄いじゃん!剣が抜けたってことは勇者ってことだろ? 」
目をキラキラさせてシオンは褒める。
「……凄いも何も、ただの玩具でしょ?」
「オレも最初は玩具だと思ったさ。誰かの忘れ物なら届けないとだろ? でもオレがどんなに引っ張っても抜けなかったんだよ」
やれやれと首を振る。これが勇者の剣だと言われてもどうにも納得できない。でもシオンも一度は抜こうとして駄目だって言うんだ、きっと本当の本当に本物の剣なんだ。
「なら次は魔王退治だな! なんか復活したてでまだ弱いらしいからさっさと行こうぜ! 」
「待って、弱いなら僕が行く必要は無いんじゃないの? 警察とかそれに準じた職の人に任せるべきだよ」
「なぁに言ってんだ、勇者の剣がこれ見よがしに転がってたんだぜ? それじゃないと致命傷を与えられないのさ。そういう設定のファンタジーなんていっぱいあったろ? 」
シオンの一言に「えぇ…… 」と納得できないなと思いながらシオンの後ろをついて行く。知らない世界で魔王を倒しに旅をするなんてまるでゲームみたいだ。
僕の部屋に戻って早速シオンは地図を広げる。現在地は地図を買った時にお店の人に教えて貰ったのだとか。地図の横に新聞を置いて作戦会議を始める。
「今オレたちがいるのはここ、アーチの街なんだと。そんで、この新聞に書かれてる魔王の目撃情報はここ、トーキオの街。一般的にアーチの街からトーキオの街まで行くには列車を使うって地図を買った時に言ってたぜ」
「そこまでどのくらい掛かるの? 」
「約六時間だとさ」
僕の疑問に対してすぐにレスポンスを返すシオンは本当に準備がいいなと感心させられる。地図に書かれている地名らしき文字も僕では理解が出来ない為、シオンに読み上げて貰うしかない。トーキオの街という場所に行くならシオンには絶対に付いて来てもらわないと何も出来ないという事だ。僕が改めて頼まなくても付いて来るだろうなとは思うけど。
「この新聞を読んだ感じだと、住宅街のボロアパートって感じの場所っぽいな」
「異世界の新聞記者怖いもの知らずじゃん」
勇者の剣とやらを誰かが持っている前提の記事なんだろうか。それとも近隣住民への注意喚起として詳しく載せたのか。何にせよ、この記事はあまり需要が無さそうだなと思う。トーキオの街の情報が載っているということは恐らく国内全域に行き渡っている新聞だ。そんな新聞がこんなピンポイントな記事を載せて利益はあるのだろうか。
そんなこんなで僕たちの方針は決まった。列車でトーキオの街まで行き魔王とやらを倒す。いきなり倒すと言われても戦った経験の無い僕がいきなり動ける筈もなく、どこかで身体を慣らす必要がある。だからどこかで練習をして行こうという事になった。
トーキオの街を目指して行くには一つ問題があった。剣の刃が剥き出しの状態だからだ。このまま持ち歩いていたら不審者として僕は捕まるだろう。この世界の法律はよく分からないが、それが良くないであろう事だけはなんとなく感じる。
僕は部屋中を見渡して剣が入りそうな入れ物を探す。そして目に入ったのは、剣道部の部活の時に使っていた竹刀を入れる厚い布の鞄だ。大きさは申し分ないだろう。しかし、布製なだけに刃物そのままではいずれ突き破ってしまう。
シオンは僕の部屋に置いてあるコルクボードをカットして幅五センチ程度の長方形の板と、細長い板を四枚作った。そしてそれらを木工ボンドでくっつけていく。そして出来上がったのは四角柱の入れ物だった。それを竹刀入れの中にいれて剣を入れると完成だ。一先ずは突き破る心配は無くなった。剣が入った鞄を背負っていよいよ出発だ。
列車に乗ればトーキオの街まですぐだとシオンが言うので、まずは駅まで向かうことになる。ここは異世界。自転車なんかがあったら良かったけど、無い物は仕方が無い。徒歩で向かう。
僕の家があった町から出ると辺りは枯れた田んぼばかりだ。道路は舗装されているが、刈られた雑草の残骸が所々落ちていて道が綺麗とは言い難い。キョロキョロと辺りを見渡しながら歩いていると、道路を挟んだ向こう側に子供の様な緑の何かを発見した。緑の肌を持つそれは間違いなく人では無かった。それが八体ほど不規則に並んで歩いている。この世界はゲームみたいな事が起きている。ゲームの定石ではあれは人を襲う敵として出てくる。大体どの作品にもあの緑の肌を持つやつは「ゴブリン」と呼ばれていた筈だ。
「シ、シオン、あれって所謂ゴブリンってやつだよね? 」
そう指をさしながらシオンに聞いてみた。
「あんな人間いないだろ? 多分そうなんだと思うぜ」
シオンは僕の問いに肯定すると提案を持ちかけてきた。目線はゴブリンの群れに向きながら。
「これから魔王とやらを倒しに行くんだ。だったら何処かでその感覚に慣れておく必要があるだろ? 」
「まさか、あのゴブリンを倒せって!? 」
「本命を相手に尻込みしないって言えるか? 」
シオンにそう言われると僕は何も言えない。戦ったことのない僕がいざという時に刃物を振り回せる訳が無い。それは僕も思っていた事だ。
僕は剣を取り出して構える。ゴブリンの群れは僕たちに気が付いていない様子だ。シオンに背中を押された感覚を受けて走り出す。先ずは最後尾のゴブリンに向かって剣を振り下ろし背中を斬りつける。ゴブリンが悲鳴を上げて四方八方に逃げようとするのを見て焦った僕はがむしゃらに剣を振り回した。ここで逃がしてはいけないという一心だった。
気が付けば辺りに血が広がっており、ゴブリンたちは地面に伏せってピクリとも動かなくなっていた。
「やった、やったよシオン! 僕でも敵を倒せるんだ! 」
心から喜びシオンに駆け寄る。
「オレは見てることしかできなかったが、お前はやれば出来る男だと信じていたぞ」
二人で喜び合い、自信がついた僕は道中で出会ったゴブリンを片っ端から片付けていった。異世界だけど社会に貢献出来ていると強く実感した。
僕とシオンは駅に辿り着いた。乗る列車まではシオンが案内してくれている。この世界の言語を理解出来るシオンは凄いなと感心しているのと同時に、シオンが居なかったら僕はここまで来れなかっただろうと振り返って思う。
「タツミ大変だ! 」
そう言って駆けつけてきたシオンは何やら慌てた様子だ。周囲の人に道順を聞いていたシオンが何か情報を手に入れたんだ。
「リカって女、分かるだろ? そいつは今トーキオの街に居るらしいんだが、不穏な雰囲気の男に連れ去られたって話が出てるんだ」
リカというのは僕の幼馴染だ。学校を卒業してからは会う頻度が減ったけど、僕の数少ない親しい仲の人だ。
「不穏な雰囲気の男ってのは恐らく魔王のことだと思う。不審者をそんな回りくどい言い回しで言ったりしないからな」
シオンがこう言った事によって僕の目的がはっきりと決まった。魔王を倒してリカを助ける、と。惰性だったこの旅が惰性ではなくなった瞬間だった。
それからの行動は早かった。魔王が居ると新聞に載っていた場所を調べて真っ直ぐ向かって行った。辺りは普通の住宅街といった感じだが、一箇所だけ黒いモヤが出た場所がある。それは恐らく魔王特有の気とかオーラとかそういうものなんだと思う。一点を見つめていた僕に何かを察したのかシオンは背中を押すように語る。
「タツミ、お前は魔王を倒す勇者だ。お前ならやれるってオレは信じてるからさ、行ってこいよ。オレはここで待ってる」
そう言って肩を軽く叩き手を振る。覚悟を決めて僕は魔王が居ると思われる場所へ向かった。
扉を開けると中は暗くジメッとした暑さが肌に触れる。奥に気配を感じゆっくりと歩を進めていく。近付くにつれて転々としていた話し声が大きくなっていく。ガヤガヤとした雑音も物音もハッキリと聞こえてくるようになる。
仕切りが無く開放的な奥の空間を覗くとそこにはゴブリンが座っていた。僕に気が付いていない様子で手に持った物を見ている。その物をよく見ると携帯電話であることが分かった。携帯電話から伸びた細い紐にはピンク色のガラス玉と飾り紐が着いている。所謂携帯ストラップというやつだ。その携帯ストラップは僕にとってとても見覚えのある、懐かしさを覚えるものだった。だってそれはーー
「それはリカのだろ!! 」
僕は剣をゴブリンに向かって勢い良く振り下ろした。大量の血を撒き散らしたそれは地面に伏してピクリとも動かなくなった。弱いくせにリカの物を取るなんて到底許せなかった。だからこれはその制裁だ。
僕の背後で立ち尽くした黒いモヤがかかった何かがいる。これが魔王とやらなんだと直感で分かった。何故か棒立ちのそれを僕は勢い任せに剣で突き刺す。人間でいうお腹辺りだろうか。一突きして押し倒し馬乗りになり、何度も何度も刺し続けた。大量の血が流れ出て動かないそれは死んでいると分かる。
入り口の方から突然バンッという大きな音が鳴ったかと思うと、次々と武装した人が入り込んでくる。初めて見たけど、西洋風ファンタジー系漫画でよく居る「騎士」なんだと直感で分かった。だとしたら悪い魔王は倒したし、諸々の事後処理はこの人達がやってくれる筈だ。僕は安心して緊張が解けたからか、そのまま倒れ込んだ。瞼は重く起きていられなかった。世界を救ったという高揚感だけを残して眠りについた。
これはまだ高校在学中だった頃の話。私たちにとっては普通の学校の日常だった。私、本部梨香と高校の三年間ずっとクラスが同じだったのは、佐々木裕介、出馬巽の二人。特に巽とは家が近所で幼稚園からの付き合いだった。世間一般的に言えば「幼馴染」という関係になる。裕介は高校で知り合ったクラスメイト。私にとても優しくしてくれていた彼と一緒に居ることもしばしばあった。
クラス中、もしかしたら学校中の生徒全員が知っていたかもしれない。裕介は、二人の友人と一緒に虐めをしていた。ターゲットは巽。裕介が巽に行っていた虐めは殆どが娯楽作品で見かけるようなテンプレートのものばかりだった。恐らく巽を排除しようとしていたのではなく、遊んでいただけなんだと思う。そんな虐めの話でよく上がるのは「傍観者も同罪」という言葉だけど、止めに入ったところで次のターゲットは自分に切り替わる。先生などの大人に言っても変わらない。口頭注意で終わる。先生なんてそんなもの。自分の身を守る為に最適な方法は傍観者でいることだけ。現場にいればきっと誰しもがそうする。
巽は一年生の頃から虐めに耐え続けていた。三年間ずっと二人は同じクラスで運が悪かったなと思っていた。虐めのターゲットが巽なのは先生にとっても好都合だったのだと思う。生贄一人で学校の秩序が保たれるのだから巽は必要な犠牲だったんだ。ただ、それによって巽はどんどんおかしくなっていった。私は時々巽と話していたのでその変化にすぐ気付いた。
巽はある日突然明るくなった。明るいと言っても「よく喋る」という意味では無い。よく笑うようになった。生来、巽は明るい性格だったので元に戻ったというのなら私は嬉しかったと思う。裕介に何かやられてもヘラヘラとし、まるで誰かと話しているような感じでずっとニコニコと笑顔だった。私たちはそんな巽に気味が悪いと思いながらも内心ほっとしていたと思う。裕介の虐めの対象であり続けられるから。
それから何ヶ月かした時にまた変化が訪れた。裕介の友人二人が姿を消した。虐めがバレて退学になったのだろうという噂が流れていたけれど、真相は不明。学校内の誰も二人について真相を探ろうとはしなかった。それは裕介も同じだった。
その日の放課後に教室に戻った私は見てしまった。私の視線の先には巽が居たのだけど、その様子はとても正常とは思えなかった。巽は一人で談笑をしていた。顔は左通路の斜め上を向いていて、あたかもそこに誰かが立っている様な感じだった。私は音を立てない様に荷物を取ってその場から離れると急いで今の現象を検索した。くだらない小説や漫画のページが検索結果で出てくる中でスクロールしていた指を止めたのは「統合失調症」という文字だった。
あれから何事も無く時は過ぎて高校を卒業し春休みになった。私と裕介は東京の大学に進学する為引っ越しをした。私は大学在籍中は一人暮らしをしている従姉宅で過ごすことになっていた。一方裕介は大学に近い賃貸アパートで暮らすことになる。引っ越しの手伝いということで裕介がこれから暮らすアパートに行った。大きい家具は既に部屋に運び込まれていたので私は段ボールに詰められたものを片付ける作業を手伝った。それなりに和気あいあいとしていて楽しかったと思う。
段ボールに入った荷物があらかた片付いたところで私と裕介は休憩していた。ペットボトルのお茶を傍らにいつも通り携帯を操作して休憩していた。すると突然玄関が開く音が聞こえた。私は裕介が出かけたのだと思って特に気にしていなかったけど、私を見る視線が妙に刺さってその方向に顔を向けた。
「ーーえ? 」
巽が立っていた。巽は全身血まみれで焦点の合っていない目でぼんやりと私を見ていた。私の手元の携帯に視線が移ったかと思ったら突然発狂した。
「それは梨香のだろ!! 」
次の瞬間私は巽が持っていた何かによって斬られそのまま床に倒れた。巽の怒号と物音に気付いたのか裕介が浴室から出てくると巽の後ろで呆然と立ち尽くしていた。巽が裕介に気付くと裕介に飛びついて何度も何度も刃物を突き刺していた。裕介の悲痛な叫びの中、私の意識はそこで途絶えた。
目を覚ましたら知らない天井。私を囲むように天井に付いた銀色のレールはコントラクトカーテンのもの。私は今病院に居るんだと直感的に分かった。
「目が覚めた? 」
声の方に顔を向けると私の友達がそこに居た。中学校から付き合いのある私の親友だ。目がほんのり赤くなって薄く隈もできている。彼女には相当心配をかけたのだと分かる。
「……梨香、生きていてくれて良かった……本当に」
「……私が刺されて、その後どうなったの? 」
友達は一瞬困った顔をして、意を決したように静かに話し出す。
「犯人は捕まったよ。誰かが早く通報してくれたみたいで、現場にまだ犯人がいたんだって」
「犯人って? 」
「……出馬巽」
その名前に私はあの時見たのが本当に巽だったのだと思い知る。友達は携帯を操作して事件のネット記事を見せてくれた。「アパート住民宅押し入り殺傷事件」という見出しに自分たちのことなんだと改めて実感した。記事には「被害者女性 (18) と被害者男性 (18) は病院へ搬送。被害者女性は昏睡状態に陥っているものの命に別状なし。被害者男性は身体に複数の刺し傷が見られ、出血多量による失血死だと断定された。学校各所からの証言で出馬巽 (18) の復讐による犯行ではないかと推定し捜査が進められている」と記されていた。記事の被害者男性とは佐々木裕介のことで間違いない。裕介は死んだんだ。
「……佐々木くんのことは残念だったね。あんなヤツでも梨香を大事に思ってたのは雰囲気で分かってたよ」
「……思ってたより悲しくならないな」
胸に手を置いてぼんやりと言った私の一言に友達は目を見開く。
「え、なんで。アイツと付き合ってたじゃん」
「うん。でも大学行ったら新しい彼氏を作るつもりだったし。裕介は私にとって繋ぎだったから」
「……好きでもなんでもなかったってこと? 」
友達の困惑した声色とその様子に私は首を振る。クリアになった私の頭で冷静に言葉を紡ぐ。
「好きではあったよ。じゃなきゃ引っ越しの手伝いにわざわざ行ったりしないし。でも他にいい男がいたら遠慮なく乗り換えるかな。裕介は保険だから」
友達はドン引きした目で私を見て「本当、嫌な女」と呟く。彼女のこの一言で「ああ、私は生きているな」と強く感じた。
次の日、友達はまた私のお見舞いに病室に来た。昨日の彼女とは違い、やけに慌てた様子が見て取れる。
「梨香、出馬くんの事件で続報が入ったよ」
そう言って携帯でネットニュースを私に見せてくる。記事には、裕介殺害の凶器に付着していた血液から多数の人のDNA反応が検出された旨の内容が書かれていた。つまり、裕介が最初で最後という訳では無いということになる。ページを下へスクロールしていくと、別の事件の概要が書かれていた。愛知県〇〇市小学生児童無差別殺人事件。巽の住んでいる地域の近所であることと、使用した凶器の特徴から同一犯ではないかという推測の内容だった。裕介の事件から得られた凶器のDNA鑑定でおおよそ確定するのだとか。
「これ、判決ってどうなるのかな」
「これだけの人を殺してるんだよ。多分、終身刑になるんじゃないかな」
小学生の子供を大量に殺したんだ。友達が言うように終身刑になる可能性が高いかもしれない。結果が分かるのは少し先の話。
何がともあれ、私と巽の幼馴染という縁はこれでおしまい。私はこれから先、普通に大学に通うだけ。もう裕介もいないけど元々捨てる予定だったから大した支障は無い。これから私だけ楽しい日常に戻るんだ。ああ、生きていてよかった。心からそう思う。本当に。
薄暗い牢獄の中で目を覚ましたタツミは動揺を隠しきれない様子だった。さぞ自分は良いことをした、魔物のゴブリンを倒し魔王を討伐した、世界の平和を守った。そう思っているんだろう。今ここにいるのは何かの間違いなのだと思っているだろう。実に哀れなことだ。オレはタツミに最後の挨拶をするべく姿を見せた。
「……シオン? なんでここに? 」
「よぉ、元気そうじゃんタツミ 」
「シオンがここから出してくれるんだよな? な? 」
タツミはまだ何も知らないらしい。まあ、言ってないし分からなくて当然か。精神病は医者に診断されない限りは病気ではない。病院に行ってないのだからそれも当然の話。オレは噴き出しそうなのを堪えてタツミに答える。
「オレがそんなこと出来る訳ないじゃん。そんなことは置いておいて、少し話そうぜ相棒」
オレの言葉に残念そうな顔をする。ああ、そんな顔するなよ。何もかもお前の為なんだぜ。オレはお前の唯一の味方なんだから。
オレは説明するにあたって何から話すべきか悩んだ。何を話すにしてもタツミには受け入れがたい事実だと思うからだ。暫くの沈黙の末、オレはまずオレ自身のことについて言おうと思う。
「……タツミはオレが何なのか理解してるか? 自己紹介は最初にした筈だがちゃんと覚えてるか? 」
「は? 何言ってんだよ。シオンはシオンだろ? それ以外に何があるって言うんだ」
オレを「シオン」と呼ぶから薄々分かっていたが、どうやらオレについてのことは忘れているらしい。まあ丁度いいか。そこから説明してやろう。
「お前と最初に出会った時にも言ったが、オレはイルシオン。スペイン語で幻影って意味だ」
タツミは案の定頭の上でハテナを浮かべながら聞いていた。察しの悪さにオレも少しはムッとするが、今はそんなことで腹を立てている場合じゃない。オレは話を続ける。
「幻影ってのはつまり幻ってことだ。漢字にすれば意味はそのままだから流石に分かるよな。そんでもって、オレの『名前』はイルシオンじゃない。これはオレとお前を区別するために言ったに過ぎないオレの分類だ。オレの名前は『出馬巽』。つまりお前なんだよ」
タツミは見るからに混乱している様子だ。そりゃあそうだよな。突然オレはお前って言われて戸惑わないヤツなんかいないんだから。
オレはもう少しオレ自身の説明をタツミにした。オレはタツミ以外には見えていないこと。声もタツミにしか聞こえていないこと。そして、オレはタツミのもう一つの人格であることを。どれもこれも信じがたいだろうが事実だ。オレはタツミ。それを決定づける証拠を提示する為、オレはオールバックに上げていた前髪を下ろした。タツミは酷く驚いた様子で目を見開いた。オレとタツミの外見は瓜二つだったからだ。そもそも髪型が変わったくらいで他人だと思うのもどうかとは思う。普段どれだけ鏡で自分を見てこなかったのか。オレにはそっちの方が呆れる程に信じられない。
オレはタツミのもう一つの人格だ。いつの日だったか、タツミが学校で虐められていた時に生まれた。タツミは病院には行かなかったから、正確な病名は不明だ。だが、それでも確かなのはこれが「解離性同一性障害」であるということだ。一般的に聞き慣れた言葉に直すなら「多重人格」ということになる。
さて、オレ自身のことは大方説明したところで本題といこう。この世界はなんなのか。と言っても、オレにはここが日本という国で今は東京の拘置所にいるという、所謂現実的な光景しか映っていない。事実異世界転移なんてものは存在しない。それは夢や物語の中でしか存在しない概念だ。なら何故タツミは異世界に行ったと勘違いしたのか。それはそう勘違いさせる為にオレが工作したからに他ならない。
オレがこの佐々木殺害事件に発展させたのは、タツミが虐められていたのが発端だ。オレはタツミのもう一つの人格であり、タツミの絶対的な味方だ。だからタツミを何としても助けたかった。だから佐々木の取り巻き二人を学校が終わった放課後に人気の無い場所に誘いこみ殺した。佐々木を殺すのに二人は邪魔だったから二度と姿を現わさないようにした。一人は山で生き埋めに。もう一人は生きたままコンクリートに詰めて海に沈めた。中々の重労働だったがやった甲斐あってこの後の計画にも問題なく入れた。
オレは佐々木に決着つけるのはオレではなくタツミこそ相応しいと思った。そのためには準備が必要だ。まず、本部梨香の携帯電話から佐々木のやり取りを確認する。二人が付き合っているのは既に調べがついていた。付き合っている以上は、高校卒業後の進路の話もしている筈だったからだ。懸念だったのは、それが通話だったら知る術も無かったというところだ。幸いメッセージアプリでのやり取りだったから卒業後の佐々木の動向も知ることが出来た。
本部梨香のスマホを確認するには本人が見ていないタイミングでなければいけなかったが、それは問題ない。本部梨香の家はタツミの隣。合鍵を作るなど造作もないからだ。深夜に本部梨香の家に侵入し、携帯電話を盗み見た。そして佐々木が卒業後に上京して大学に行くという情報を掴んだ。メッセージの中に引っ越しの手伝いをするということで、ご丁寧に住所と部屋番も書いてあった。
次は凶器だ。これはネットで購入した。オレが考えていたシナリオに相応しい凶器、一番その理想に近いのはマチェットだった。少々値は張ったがこれもタツミの為だ、致し方ない。マチェットが届いたら物置に隠しておいた。その日になるまでは見つからないようにする必要があったからだ。
そしてタツミを信用させるために必要な情報源を創作する作業もした。これは昨今の漫画でよくある感じの設定を流用し、如何にも本当っぽさを演出出来るように脚色もして自作した。あとはどうやって「違う世界に来た」と認識させるかだ。我ながら馬鹿らしいと思っていたが、精神的に壊れかけているタツミだ。きっかけさえあれば簡単に信じるだろうという確信はあった。問題はそのきっかけだ。朝起きてすぐ「ここは異世界なんじゃないか」と言って信じるとか、流石にそこまで馬鹿ではない。オレはネットで筋書きに丁度いいものを探した。そこで見つけたのが都市伝説だった。タイトルに「異界」と付いていたのもポイントが高い。不用意に都市伝説に触れて厄介なことになるのではないかという懸念も無かった訳ではない。オレ自身こう言ったオカルトに興味は無かったし信じてもいなかったが、これは渡りに船。とことん利用してやろうと思った。まず、この都市伝説は現実に起こることは無い。都市伝説は知名度や噂の数で実現するかもしれないといった、酷く曖昧で不確かなものだ。トイレの花子の知名度が最上位であるならば、この都市伝説の知名度は下の下。この時点で実現する可能性は極めて低い。そして、タツミは嫌なことが少しでも無くなるようにと厄払いのお守りも鞄の奥に忍ばせていた。本人は忘れているだろうが、お守りの効果が本当なら都市伝説から身は守られる。どれもこれもオカルトでしかないが。この都市伝説を教えていよいよ準備完了だ。
タツミはオレが思っていたよりも異世界を信じた。ただ一つ誤算だったのは、春休みの小学生が化け物に見えていたという点だ。これはオレの入れ知恵ではない。タツミ自身がそう見えていた。目標は佐々木の殺害だが、オレのシナリオではここでその化け物を見逃すのはあまりにも不自然だった。だからタツミに話を合わせた。オレの目的としてもそう動いてもらった方が好都合ではあった。
佐々木の家に行くと本部梨香と二人で引っ越し後の片付けをしているのはメッセージアプリを見て知っていた。ここで行けば本部梨香とタツミが鉢合わせするのも知っていた。だけど敢えてタツミには言わなかった。タツミは佐々木と本部梨香が付き合っていることを知らない。だけど、今のタツミが本部梨香がどう見えているかに興味があった。その答えはすぐに出た。タツミがマチェットを振り下ろしたことが全てだ。それは兎も角として、佐々木の家に入って来た奴らは何だったのかという話だ。あれはタツミが佐々木の家に侵入する直前にオレが警察に電話をしたから来たに過ぎない。言葉は出さず通話だけを繋いだ状態でポケットに忍ばせておいた。そして、物音と本部梨香の悲鳴、佐々木の悲鳴を電話越しに聞いた警察が飛んで来たというわけだ。勿論タツミは現行犯で今に至る。
オレの説明を聞いてタツミは顔面蒼白で佇んでいた。酷く絶望したという顔をしてオレを見ている。タツミは震える声でオレに聞いてくる。
「……嘘、だよな? 全部全部、何かの創作話なんだろ? 」
「いいや、本当だよ。オレはお前の為にここまで計画して行動した」
「なんだよ、僕の為って。こんなの望んでないよ! 」
「望んだじゃねぇか。『死にたい』って。だからその望みを叶えてやったんだろ『社会的に死ぬ』ことで。願いを途中キャンセルなんてさせる訳ないだろ。一度でも願ったんだから最後までそう願ってろ。それが『願いごと』だろ? 」
オレの言葉にタツミは力無く膝から崩れ落ちた。後は法廷での結果次第だがオレの成すべきことは全てやった。これからはタツミ、お前の人生だ。精々頑張れや。オレはタツミの目の前から消える。人格としてのオレとの会話はこれでおしまいだ。もうお前の前には姿を現わさないと誓おう。別の人格が出てきたらそれはオレの知ったことじゃ無いがな。これでさよならだ、タツミ。
「空想メスクラール」ーーそれは、空想と現実が混ざり合った男の話。
ご愛読ありがとうございました




