「お前を愛することはない」といった旦那様が、結婚から半年後には溺愛してきて困ります!
私の家は貧しかった。
領地をもつ貴族ではあったけれど、度重なる洪水の影響で領地では作物が取れず、領民は飢えていた。
そんな中、我が家だけが贅沢をするわけにはいかない、というお父様の方針で、ここ数年はずっと慎ましく暮らしていた。
そんな日々だけれど、不満なんてなかった。
領民の幸せが一番だと貴族教育で私は教えられていたし、その通りだと思っていたから。
だから、意に沿わない結婚にも同意した。それで、領民が救えるのなら、と。
▽▲▽▲▽
私の結婚相手はバルトシュ公爵家当主のサイラス様。
美しい水色の髪に、青空の瞳を持った偉丈夫だ。
サイラス様は大人しいお飾りの公爵夫人が欲しかったらしい。
夜会で言い寄られるのに辟易としていて、防波堤としての妻を求めていた。
そこで白羽の矢が立ったのが私だ。
私は夜会では目立たないように壁の花を決め込んでいたし、一度もサイラス様に言い寄らなかったから、そこを見初められたのだろうと思う。
サイラス様は結婚をするにあたって、私の実家の領地を救ってくださると約束してくださった。
両親は領民のためとはいえ、私を売るような結婚を最後まで悩んでいたけれど、私の方から「結婚させてください」と伝えた。
私の結婚一つで大勢の領民が助かるならば、安いものだ。心からそう思っている。
そうして嫁いだサイラス様の元での、結婚初夜。
ベッドで薄いネグリジェを身にまとって待っていた私に、部屋に入ってきたサイラス様は眉を顰めた。
(そんなにおかしい恰好はしていないと思うけれど……?)
結婚初夜の格好としてはいたって普通だと思う。
なにかいけない箇所があっただろうか。
じぃっとサイラス様を見上げていると、サイラス様はため息を吐きだした。
「この結婚は互いの利害の為のものだ。私がお前を愛することはない。もちろん、肉体的な接触もしない」
きっぱりと言い切られて、私は目を見開いた。
それは、その、夜を一緒にしなくていいということ? つまり、子供を生まなくていいということ?
「!」
やったぁ! 嬉しい! 子供を生むの、死ぬほど痛いっていうじゃない!
お母様は鼻から巨大な丸い果物を出す方が楽だって仰っていた。
そんな痛い思いをしなくていいなら、とてもラッキーだ。
目を輝かせた私の反応に、サイラス様は面食らった様子で視線を泳がせる。
「そ、そうか……そんなに嬉しいか……。まあ、そういうわけだから、寝室も別だ。私は別の部屋で寝る。この部屋は好きに使うといい」
「はい!」
「……」
うきうきと頷いた私に、なぜか少しだけ複雑そうな表情をしたサイラス様は、そのまま部屋から出ていった。
私は一人になったベッドに寝っ転がって、ん~! と伸びをする。
「お飾りの公爵夫人だし! 夜は一緒にいなくていいし! これ結構いい結婚なのでは?!」
私は領民の為にこの体を差し出すことに抵抗はない。
でもそれはそれとして! 楽をできるなら、楽をしたいので!!
▽▲▽▲▽
次の日から、私は公爵家の庭で木刀で素振りを始めた。
我が家は騎士の家系だ。幼い頃から私も剣に触れて育った。
夜会デビューをしてからもいざというとき体力はあったほうがいいからと、鍛錬は欠かさなかった。
「なにをしているんだ?!」
驚いた声が後ろから聞こえてきて私が振り返ると、目を白黒させているサイラス様がいる。
私はにこりと笑ってサイラス様に朝の挨拶をした。
「おはようございます、朝が早いのですね」
「仕事がな。いや、それはいい。なにをしている?」
「素振りです! 体がなまると困りますので!」
元気よく答えた私の前で、なぜかサイラス様は額に右手を当てて項垂れている。
「そうか……ハディマ家は代々騎士を輩出している家系だったな……」
「はい」
「君も、騎士になりたかったのか?」
「幼い頃は、そうですね。夢でした」
視線が上げられて、青空の瞳が真っ直ぐに私を射抜く。
幼い頃、騎士に憧れていたのは本当だ。
女の子は騎士になれないのよ、といわれて、大泣きをしたことだってある。
「はぁ……まぁ、好きに過ごすといい」
「ありがとうございます」
今更だけれど、確かに貴族の令嬢が木刀を振り回すのはよくなかったかもしれない。
先に許可を取るべきだった。でも、今許可を貰えたから、大丈夫よね?
ある日の深夜、夜遅くまで仕事をしているサイラス様を見かねて、軽食を部屋にお持ちした。
お屋敷の厨房を勝手に借りたけれど、前もってシェフには許可を取っている。
サイラス様お抱えのシェフは、私が料理をしたい、といったのを冗談だと受け取っていたようだけれど。
「サイラス様、少し休憩をなされてはどうですか?」
「邪魔をするな。……ん? サンドウィッチか?」
「はい。片手で食べれますから、食べながらお仕事をされてはいかがでしょう?」
トレーに乗せたサンドウィッチを見て、食欲が刺激されたのだろう。
難しい顔をして黙り込んだサイラス様が向き合っている机の上は書類で一杯だったので、手間に置いてある応接セットのローテーブルの上にサンドウィッチを置く。
「もらおう」
「はい。ぜひ」
にこりと笑った私の前で、気だるげな仕草でのそのそとサイラス様が執務机から移動してくる。
ソファに書類片手に腰を落ち着けたサイラス様は、書類を見ながらサンドウィッチに手を伸ばして一口齧った。
その瞳が、見開かれる。
「……味が、違うな」
「我が家に伝わる味です。お口にあいましたか?」
「料理をしたのか?!」
「はい。我が家はシェフを雇える財政ではありませんでしたから、一通りの家事ができます」
なぜかぎょっとした様子のサイラス様に、私は胸を張る。
私の言葉に思わずといった様子でサンドウィッチを凝視したサイラス様は、一拍置いてため息を吐きだした。
「お前はもう公爵夫人だ。余計なことはしなくていい」
「私はお料理も結構好きなのですけれど。美味しくなかったですか?」
「美味いには美味いが……」
そこで口ごもってしまったサイラス様は、けれどなんだかんだサンドウィッチを完食してくれたので、私はにこにこと笑ってトレーを下げて、今度こそ寝るために自分の寝室に向かった。
これまたある日、王宮に仕事に出るサイラス様を見送るためにエントランスにいた。
サイラス様には見送りは必要ないと言われていたけれど、私はお飾りとはいえ公爵夫人だ。
お飾りなりに仕事はしなければならない。
「いってらっしゃいませ」
そういって私が微笑むと、サイラス様はなぜか頬を赤くして挙動不審になった。
サイラス様が私に背を向けて一歩踏み出す。
でも、どうしてか右手と右足が同時に出ていて、さらには手に持っていたバッグを盛大に落とした。
「あっ」
声を上げたのは私で、バッグが床にぶつかった衝撃で散らばった書類を拾おうと私は身をかがめた。
サイラス様も慌てた様子で書類を拾いだす。
拾っていたうちの一枚、なんとなく目に入った書類に、私は動きを止めた。
「どうした?」
「……差し出がましいことをいいますね。この書類、計算が間違っているように思います」
そう告げて私が差し出した書類をサイラス様が怖いほど真剣な表情で見る。
暫く書類を凝視していたサイラス様は特大のため息を吐きだした。
「お前の言う通りだ。どうして気づいた?」
「暗算は得意でして!」
跡取りの兄にだって計算では負けたことがない。
私が胸を張ると、サイラス様はふっと口角を上げた。
まるで、愛おしいものを見るような、不思議な表情をして私を見つめる。
「そうか。……よくやった」
その表情の意味がわからなくて、私が黙り込んでしまったのを気にする様子もなく、最後の一枚を拾い上げたサイラス様はそのまま「いってくる」と告げて玄関から出ていった。
「……なにかしら、おかしいわ」
心臓が、どくどくと煩い。病気にでもなったかしら。
▽▲▽▲▽
バルトシュ公爵家に嫁入りして半年が過ぎるころ。
夕食の席で、やけに神妙な表情をしたサイラス様が私に問いかけてきた。
「お前はこのままでいいのか?」
「このまま、とは。お飾りの公爵夫人、ということでしょうか?」
「ああ」
食事の手を止めて問われた言葉に、私はふんわりと笑う。
今置かれている状況に、一つの文句もない。
だって、朝から剣の稽古はできるし、気が向いた時に豪華な食材で料理もできる、先日の一件で、時々サイラス様から執務に関する意見も求められるようになった。
とっても充実している。
「はい。構いません。満足しています」
「公爵夫人とは言え、お飾りだぞ」
「それがどうかされましたか? そういうお約束でしたから」
「……そうか」
サイラス様はなにか奥歯にものがつまったような口調だったのが気になったけれど、それ以上話を広げていいのかわからなくて、少しだけ気まずい気持ちで夕食を再び口にした。
夜になって、お風呂にも入りネグリジェに袖を通して部屋に戻った私は、ベッドにもぐりこむ前に、ノックの音に気づいて扉を開けた。
そこには夕食の時と同じ神妙な顔で佇んでいるサイラス様がいた。
「どうされたんですか? お腹が空きましたか?」
シェフは帰った後だから、夜食が欲しいのだろうか。
そう思って問いかけると、サイラス様は無言で首を横に振る。
「どこか数字が合わない場所でもありましたか?」
執務に関する相談だろうかと問いかけても、またもやサイラス様は首を横に振った。
「サイラス様?」
なにが言いたいのだろう。
私こそ軽く首を傾げて問いかけると、サイラス様は私の手首を握って、部屋に入ってしまう。
「え? え?」
突然の行動に戸惑いが隠せない。そのままサイラス様はベッドに向かった。
ベッドに腰を下ろしたサイラス様は無言で、私は困ってしまう。
「サイラス様?」
「私は……お前を愛するつもりはなかった」
「はぁ」
なんだかすごく真剣な雰囲気だけれど、それはすでに知っている事柄だ。
サイラス様が何を言いたいのかわからなくて、間の抜けた声が零れ落ちた。
私の前で、サイラス様は滔々と続ける。
「政略結婚であったし、そもそも愛など私にはわからなかった。だが、毎日毎日突拍子もないことをしては笑っているお前を見ていると、こう、たまらない気持ちになるんだ」
「私、そんなに突拍子もないことをしたでしょうか……?」
サイラス様の言葉にちょっとだけ疑問が浮かぶ。
私の問いかけに、サイラス様はやっと視線を上げて、眉を寄せた。迷惑をしている、というより、愛おしい、と伝えるような、そんな顔。
「しているだろう。貴族の令嬢が毎日木刀を振り回して、食事の用意までして、極めつけに政務にまで明るい」
「……」
た、たしかに、一般の令嬢とはちょっと違うかもしれないけれど。
でも、それを容認していたのはサイラス様では……?
戸惑う私の気持ちが筒抜けだったのか、あるいはサイラス様の中で最初から答えが出ていたのか。
サイラス様は私が見たことのない穏やかな笑みを浮かべて、私の手首を引っ張った。
「きゃ」
サイラス様の胸元に倒れこんだ私の耳元で、囁き声が落とされる。
「お前が欲しい。ナターリエ」
あ、名前。覚えていてくれたんだ。
ずっと「お前」って呼ばれていたから、名前すら覚えていてもらえていないのだと思っていたのに。
(それにしたって、耳元でイケボは反則よ!)
じわじわと赤くなった顔を隠すように私がサイラス様の胸元に顔をうずめると、サイラス様は満足そうな様子で私を抱きしめた。
その夜、私は一夜をサイラス様と共に過ごした。
『肉体的な接触をしない』という言葉は撤回されて、がっつりそういうことをした。
朝、ちゅんちゅんと小鳥が鳴く声で目が覚めた私は、裸の身体で頭を抱えていた。
「嫌だったか?」
「……嫌ではないので、困っています」
いつから起きていたのか、サイラス様の私の機嫌を伺う言葉に私ははあ、と特大のため息を吐きだした。
ちらりと隣にいるサイラス様に視線を向ける。捨てられた子犬のような顔でこちらを見つめる表情に、きゅんと胸が高鳴った。
青空の瞳が、私に捨てられないだろうかという不安に揺れている。いつもの強気な表情をどこかに忘れてきたらしい。
(あ、これ)
その瞬間、自覚したのは。
「サイラス様」
「ああ」
「私、いま恋に落ちたかもしれません」
この人を、一人にしてはいけない、という母性めいたもので。
多分まさにいま、私は人生で初めての恋に落ちた。
読んでいただき、ありがとうございます!
『「お前を愛することはない」といった旦那様が、結婚から半年後には溺愛してきて困ります!』のほうは楽しんでいただけたでしょうか?
面白い! 続きが読みたい!! と思っていただけた方は、ぜひとも
ブックマーク、評価、リアクションを頂けると、大変励みになります!