怯え
怯え
私達は考えることを止める。
あるいは私達の気づかないところである器官によって考えることが止まる。
私達は浸る。
ただ浸る。
そうして動いているものに注視する。
私達は動いているものの意志に浸る。
「母さん、これは何て花」
「それはXだよ。ほら、田舎の家の横の土手にも植えてあった」
「そう、そうだったかな」
「毎年咲くの?」
「ああ、咲くよ。来年田舎に行ったら見ればよいわ」
「きれいだね」
「そんなに気に入ったなら摘めばいいじゃない」
「ここで見ていたいんだよ」
私達は強いて考えることを止める。
私達は黙する。
私達は私を消し去る。
今だけを注視する。
過去も、未来もおいて行く。
「全機私に続け。丘の向こう側が目標だ」
「大佐、左から敵機です」
「私に続け、目標を優先だ」
「左から赤外線を検知。追尾ミサイルです」
「全機、追尾ダミーを放て」
「脱出限界を超えて接近、あ!」
「続け、私に続け」
私達は方向を変える。
しばしの間、私達は命を削って取り組んでいたことを冗談にする。
私達の間に異議等無いと信じ込ませる。
漂う空気だけに注視する。
冗談の本性を見まいとしながら。
「まずは乾杯」
「事業部長、今四半期は黒字にできましたね」
「うむ、I君のお陰だ」
「一昨年がとんとん、去年が少し赤字、今年はなんとしてででも黒字にせねば」
「いっそI君を事業部長にするか」
「駄目ですよ、それだとI君が営業に行けないじゃないですか」
「そうか、じゃコストを削ればいいんだ。俺が辞めよう」
「ははは」
何を求める。何を求めよう。
まずは生存。次は便益。これで家の中では快適だ。
外に出よう。何を求めよう。
私以外の人々がいる。私と一緒くたにして私達と呼ぼう。
どの役割がよいのか。
どの役割が私が最も効率よくこなせるのか。
どの役割が最も私を家の中で快適にさせるのか。
いっそ外も快適にしようか。
それは難しそうだ。かくも歴史がそれを証明した。
そう、私の家を広くするのだ。外の一部を私の家としよう。
私はこれで殆ど快適だ。それに少しの苦痛。実につりあいの取れた生じゃないか。
花は来年咲くだろう。一回枯れることと引き替えに。
我軍は勝利するだろう、A少佐の命と引き替えに。
私達は命が無くなるまで削らなくて済むだろう。誰しもが家に帰ってくれるお陰で。
この快適さ、その対価は。
その対価は見合うものだろうか。
見合おうが、見合うまいが、私達にはそれ以外に持ち出すものが無い。
家に帰ろう。
この快適さ。
何と引替えに。
何と引替えに。
私は間違いなく怯えている。
この快適さ。
間違いなく私は怯えている。