第二話 臆病な料理人と、心をとかすポタージュ 第二部『臆病な料理人と、思い出の味』
「だ、大丈夫だから、落ち着いて!僕たちは君に危害を加えるつもりはないよ」
僕は両手を上げて敵意がないことを示しながら、できるだけ穏やかな声で語りかける。へたり込んだリザードマンは、まだ全身を小刻みに震わせ、警戒を解いてくれない。そんな彼に、コハクがてちてちと駆け寄った。そして、怖がらせないようにそっと彼の震える膝に鼻先をすり寄せ、「きゅん?」と心配そうに鳴いた。
コハクの純粋な優しさが伝わったのか、リザードマンの肩から少しだけ力が抜ける。僕はゆっくりと彼の前にしゃがみこんだ。
話を聞くと、彼は料理が好きだという理由だけで、「戦士の一族の恥さらし」と蔑まれ、生まれ育った集落から追放されてしまったらしい。
「僕の名前は……ガラク。一族の言葉で、『役立たずの石ころ』って意味なんだ……」
俯き、ぽつりと呟かれたその言葉は、僕の胸に深く突き刺さった。僕自身が、父から投げつけられた「役立たず」という言葉を思い出してしまったからだ。
僕は、賭けに出ることにした。僕たちが育てた、瑞々しいカブやニンジンを彼の前に差し出す。
「もしよかったら、この野菜で何か料理を作ってくれないかな」
ガラクは野菜の出来栄えに目を輝かせたが、すぐに俯いてしまう。「ぼ、僕なんかが作る料理なんて……どうせ、美味しくないよ……」
「お願いだ。君の力を貸してほしい」
僕が真摯に頭を下げると、ガラクはおずおずとフライパンを握った。
その瞬間だった。
フライパンを握ったガラクの背筋が、ピンと伸びた。震えは完全に消え、その瞳は目の前の食材だけを捉える狩人のように鋭く、それでいて慈しみに満ちている。臆病なリザードマンは、そこにいなかった。そこにいたのは、孤高の料理人。
トントントン、と小気味よい音を立てて野菜が刻まれていく。熱せられたフライパンの上で、野菜たちがジュウッと音を立てて踊る。香ばしい匂いが森の澄んだ空気と混ざり合い、僕とコハクの鼻腔をくすぐった。
やがて差し出されたのは、木の皿に盛られた、ただの野菜炒め。だがそれは、僕が知っている野菜炒めとはまったくの別物だった。一つ一つの野菜が、油で美しくコーティングされ、キラキラと輝いている。
恐る恐る一口、口に運ぶ。
――次の瞬間、僕は言葉を失った。
シャキリとした歯ごたえの後に、野菜の濃厚な甘みと旨みが、口の中いっぱいに、まるで洪水のように広がっていく。味付けは僕が渡した岩塩だけのはずなのに、今まで食べていたスープとは比べ物にならないほど、深く、複雑で、優しい味がした。
「美味しい……!こんなに心が温かくなる野菜炒めは初めてだ」
僕は、呆然とするガラクに向かって、続けた。
「僕も、『役立たず』だって、家を追い出されたんだ。だから、わかるよ。君の料理は、君が積み上げてきた、誰にも奪えない宝物だ」
僕の言葉に、ガラクの大きな瞳が、信じられないものを見るかのように、大きく見開かれた。
「……え?」
彼の唇が、わなわなと震える。
「……おい、しい……?これが……宝物……?」
彼は、生まれて初めて受け取った、心からの賛辞の意味を、すぐには理解できないようだった。ただ、その場に立ち尽くし、声もなく、肩を震わせている。それは、彼の魂が、長い孤独の呪縛から解放された、感動の瞬間だった。
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