第1話 栄光と追放 第3部『始まりの息吹、導きの雫』
腕の中に感じる、確かな温もり。
僕が目を覚ますと、コハクが「きゅん?」とでも言うように、くりくりとした瞳でこちらを見上げていた。孤独ではない朝が、こんなにも心を満たしてくれるなんて、知らなかった。
「おはよう、コハク」
返事の代わりに、ペロリと僕の鼻を舐める。その仕草に、思わず笑みがこぼれた。
だが、すぐに現実的な問題に直面する。僕も、そしてコハクも、お腹がぺこぺこだ。
「(怪我をしているコハクには、固い干し肉より、きっと温かくて栄養のあるものがいいはずだ)」
僕はスキルを発動させる。手のひらに現れたのは、小さな白い種。
前世の記憶を頼りに生成した、最も成長が早く、過酷な環境でも育ちやすいカブの種だ。
「(今はまだ、こんな簡単な野菜の種しか作れないけど……それでも、命を繋ぐことはできる!)」
希望を胸に種をまこうとしたが、洞窟の地面は石ころだらけでカチカチ。これでは芽を出すことすらできないだろう。手斧の柄で懸命に土を耕そうとするが、硬い地面はびくともしなかった。
すると、僕が手こずっているのを見たコハクが、「僕の主人は困ってる!助けなきゃ!」と言わんばかりに、僕のズボンの裾を「きゅんきゅん!」と鳴きながら引っ張った。そして、意を決したようにカチカチの地面の前に立つと、「あうー!」と愛らしく一声鳴いた。
次の瞬間、コハクの口から太陽のように温かい光の息吹が吐き出され、地面に降り注ぐ。光が消えた後には、驚くことに、石ころ一つない、黒々とした栄養満点の土壌が生まれていた。
「すごい……これが君の力なのかい?」
これがコハクのスキル【豊穣の息吹】。僕は直感的に理解した。
感謝を込めてコハクの頭を撫で、早速カブの種をまく。だが、すぐに次の問題に気づいた。植物の成長に不可欠な「水」が、どこにもない。
その時、洞窟のさらに奥から、微かに水の音が聞こえてくることに気がついた。
音を頼りに進むと、空間が不意に開けた。
天井の僅かな亀裂から差し込む月光が、湖面に浮かぶ巨大な水晶を照らし、洞窟全体を青白い幽玄な光で満たしていた。
そして、その光の中心に、もう一体のドラゴンがいた。
全身が、まるで氷の結晶そのもので編まれたかのような、キラキラと輝く透明な毛に覆われている。
僕たちの気配に気づいた彼女――ハグレは、ビクッと体を震わせ、全身の毛を逆立てて「ふしゅー…!」と激しく威嚇してきた。その瞳は、ひどく怯えていた。
「(そうか……この子も、ずっと独りだったんだ。僕たちと同じように、世界から忘れられて……)」
コハクが仲間を見つけて嬉しそうに駆け寄ろうとするが、ハグレの威嚇は増すばかり。僕はコハクをなだめ、静かにその場を離れた。今は、そっとしておいてあげるべきだ。
夜になり、僕とコハクが畑のそばで寄り添って眠りについた頃。
ハグレが地底湖からおずおずと姿を現した。彼女は僕たちがまいた種の前まで来ると、一瞬ためらった。
(べ、別に、あんたたちのためにじゃないんだからね!土が乾いているのが、気になっただけなんだから!)
そんな声が聞こえてきそうに、そっと前脚を土に触れさせた。
彼女の爪先から生まれた清らかな水滴が、種の上にぽたりと滴り落ちる。
その瞬間、カブの種が淡い光を放ち、小さな緑色の芽を力強く出したのを、僕は眠りに落ちる寸前の朦朧とした意識の中で確かに見た。
(……すごい。発芽まで、こんなに早いなんて)
(もしかしたら、このレーテの森に満ちる、濃密な魔力そのものが、僕が知る植物にとって、最高の栄養になっているのかもしれない……)
こうして、役立たずの【種子生成】スキルを持つ元貴族と、世界から忘れられた二匹のドラゴン。三人の奇妙で、だけど温かい物語が、レーテの森の片隅で、静かに幕を開けた。
---
ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございます!皆さんの感想や、フォロー・お気に入り登録が、何よりの励みになります。これからも、この物語を一緒に楽しんでいただけたら幸いです。