第十話【幕間】故郷の凶報と、一縷の望み
シルヴァンが追放されてから、季節は半ば巡り、初冬の冷たい風がヴァルトール侯爵領を吹き抜けていた。
だが、人々を苦しめているのは、冬の寒さだけではない。今年のヴァルトール領は、深刻な飢饉に見舞われていたのだ。初夏に続くはずの雨は降らず、大地は陶器のようにひび割れ、植えられた麦の芽は次々と枯れていった。かと思えば、収穫期を前にして、今度は全てを洗い流すかのような豪雨が続いた。畑は泥沼と化し、民の手には、冬を越すための食料がほとんど残らなかった。
城の執務室。
アルド・ヴァルトールは、目の前に積まれた羊皮紙の山――領内各地からの悲痛な被害報告――を前に、きつく眉根を寄せていた。
この部屋は、かつて父が絶対的な権威をもって君臨していた場所。そして、半年ほど前、兄シルヴァンに冷酷な追放を言い渡した、忌まわしい記憶の染みついた部屋でもあった。アルドは、父が座っていた玉座のような巨大な椅子ではなく、その脇にある小さな椅子に、身を縮めるように座っている。まるで、この部屋の重圧から、逃れるように。
(兄さんなら……民を想う優しい兄さんなら、この窮状をどう乗り越えただろうか……)
兄を「守る」ために下した苦渋の決断。だが、その結果として民が苦しんでいる。この矛盾が、鉛のように彼の肩にのしかかっていた。
「アルド様」
静かな声と共に、一杯のハーブティーが彼の前に置かれた。クラリスだった。彼女もまた、この城でアルドを支えながら、静かに罪の意識に苛まれている。その美しい顔には、隠せない心労の色が浮かんでいた。
その時、扉がノックされ、一人の衛兵が告げた。
「アルド様、王都からの行商人が、奇妙な話を耳にしたと……」
執務室に通されたのは、日に焼けた壮年の男だった。彼は、旅の途中で聞いたという、荒唐無稽な噂話を語り始める。
「魔境と呼ばれる、あのレーテの森の近くに、最近できた小さな集落があるそうで。そこでは、信じられないほど美味い野菜が、山のように採れるらしいんです」
アルドは、民が餓えている中での馬鹿げた噂話に、内心うんざりしていた。だが、行商人は、悪びれもせずに話を続ける。
「これがその証拠だって訳じゃねえんですがね」
そう言いながら、男が懐から取り出したのは、カラカラに乾いたカブのかけらだった。だが、それが彼の手に乗せられた瞬間、部屋の中に、信じられないほど甘く、芳醇な香りがふわりと広がった。
「珍しいもんだから、物々交換で手に入れやした。……で、噂じゃあ、雪のように真っ白くて、果物みてぇに甘いカブだとか!それに、子供の頭ほどもあるジャガイモがゴロゴロ採れるって言うじゃありませんか!」
アルドとクラリスは、顔を見合わせた。雪のように白いカブ。子供の頭ほどもあるジャガイモ。その言葉が、なぜか二人の胸に、小さな棘のように引っかかった。
だが、まさか。あの兄が、そんな人里離れた森の奥で。ありえない。二人は、それを単なる旅人の与太話、干しカブを「珍品」として、すぐに打ち消した。
行商人が退室し、執務室に再び静寂が戻る。
アルドは再び、絶望的な報告書の山に視線を落とした。クラリスは、窓の外で舞い始めた粉雪の向こう――兄を追放した、東の森の方角を、ただ黙って見つめている。
二人の口から、兄の名が出ることはなかった。
だが、その心の奥底では、打ち消したはずの一縷の望みが、暗闇の中で灯っては消える、小さな星のように、確かに瞬いていた。
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