第1話 栄光と追放 第2部『追憶と出会い』
追放されてから、幾日が過ぎただろうか。
父から渡された干し肉は三日目の朝には尽き、ここ二日ほどは何も口にしていない。降り続く冷たい雨が、なけなしの体力と思考力を容赦なく奪っていく。泥濘に覆われた荒野には、雨風をしのげる場所すら見当たらなかった。
「はぁ……っ、はぁ……」
浅い呼吸を繰り返し、ただ機械的に足を前に運ぶ。何のために歩いているのか、どこへ向かっているのか、もう分からなかった。ただ、ここで立ち止まれば二度と動けなくなる、そんな恐怖だけが僕を突き動かしていた。
だが、その限界はあまりにも呆気なく訪れる。
ぬかるんだ地面に足を取られ、僕はついに倒れ込んだ。泥の冷たさが、ぼろ切れのような服を通して、じわじわと体温を奪っていく。
(もう、だめだ……こんなところで、終わるのか……)
父の怒声、家臣たちの嘲笑、そして、涙を堪えていたクラリスの顔が脳裏をよぎり、ゆっくりと薄れていく。意識が途切れかけた、その瞬間。
懐で何かが、淡く、温かく光った。それは自らのスキル、【種子生成】の輝きだった。
その光に導かれるように、忘れていたはずの記憶が――奔流のように、しかし掴みきれない無数の記憶の断片が脳内に流れ込んできた。
そうだ、僕には別の人生があった。
食品系の商社マンで、農業が好きで、週末には畑を借りて野菜作りに没頭していた。休みの日には一人でキャンプに出かけ、自然の中で過ごすのが何よりの楽しみだった……そんな日々の断片。
『役立たず』なんかじゃない……。そうだ、これは、無から食を生み出す力。痩せた土地に命を芽吹かせることができる……神にも等しい力じゃないか!僕の手には、ずっと前から、最高の宝物があったんだ!
「……ぅ、あ……!」
喉から、声にならない声が漏れる。
そうだ、死んでる場合じゃない。僕は、生きなくちゃいけない。この力で。
小さな希望の灯火を胸に、最後の力を振り絞って立ち上がった僕は、雨風をしのげる場所を探した。やがて、苔むした岩陰に隠れるようにして、小さな洞窟を発見した。
洞窟の奥に、小さな影があった。
ガタガタと震え、か細い声で鳴いている。
「くぅん……くぅん……」
まるで、雨に濡れた子犬のように心細げな声。
それは子犬ほどの大きさで、全身が燃えるような赤い、柔らかな毛で覆われた生き物だった。
雨に濡れて少し汚れてはいるが、その燃えるような赤い毛並みは、極上のビロードを思わせる。しかし、その前脚からは痛々しく血が滲んでおり、小さな体で必死に痛みに耐えているようだった。
「……ドラゴン?」
伝説の生き物の幼体に、僕は息を呑む。
だけど、今はそんなことより、目の前の小さな命が心配だった。
「(そうだ、たしか前世で読んだ、辺境での暮らしの知恵を記した書物に、このギザギザの葉は傷に効くと書いてあったな……)」
必要な知識が、パズルのピースのように頭にはまる感覚。僕は洞窟の入り口付近に生えていた薬草を摘み取り、石で潰してペースト状にする。
そして、まずその薬草ペーストを少量、自分の腕に塗ってみせた。
「ほら、毒じゃないよ。大丈夫、痛くしないから」
ゆっくりと近づくと、赤いドラゴンは最初は怯えたように身をこわばらせていたが、僕の優しい声と眼差しに、少しずつ警戒を解いてくれたようだった。
そっと傷口に薬を塗ると、彼は驚いたように目を見開いたが、やがて気持ちよさそうに目を細めた。
手当てを終え、緊張の糸が切れた僕は、その場で眠りに落ちてしまった。
どれくらい時間が経ったのだろう。
ふと温かさを感じて目を覚ますと、腕の中に、あのレッドドラゴンがすり寄って眠っていた。
「きゅん……」
安心しきった寝息。
孤独では、なかった。
その確かな温もりが、凍てついていた僕の心をじんわりと溶かしていくのを感じた。
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