第5話:運転資本の迷宮
王宮の一室に、分厚い帳簿が積み上げられていた。
加賀谷零はその山の中心に座し、
書記官たちと次々と書類をめくっていた。
「──次は、運転資本だ」
言葉に反応したのは、
疲労の色を隠せないエルネス。
「……税収の次は支出、ですか?」
「いや、支出じゃない。
“日々の資金循環”だ」
カリナが頷く。
「売掛金、買掛金、在庫──
短期のキャッシュの流れですね」
「その通り。
帳簿の数字だけ見てても、
資金が“動いてる”かは分からない」
バルロスがあくび交じりに唸る。
「現金残ってるなら、いいんじゃねえのか?」
「……そう思った奴らが、
この国の首を絞めてきた」
零は静かに一冊の帳簿を開いた。
「例えばこの鉄鉱山。
確かに収益性は高い。でも──」
ページを指差しながら続ける。
「売上債権、三ヶ月滞留。
買掛金は先月の三倍、
在庫回転率も悪い。
この状態じゃ、資金が“詰まる”のは時間の問題だ」
グレイが顔をしかめる。
「支払いが先、入金が後……
これは、まるで“詰め将棋”だな」
「いや、違う。
これは“綱渡りの舞台”だ。
一本のロープの上を、国家という巨人が歩いてる」
*
書記官たちは村単位の売掛一覧、
倉庫の在庫記録、領主との取引明細をかき集めた。
「この“聖草”って、
ずっと倉庫で眠ってます!」
カリナの声に、バルロスが首をひねる。
「高級薬草なのに、なんで売れねえんだ?」
「流通先が王都だけに限られてる。
販路が狭い商品は、現金化の“見通し”が悪い」
零は書き込みを加えながら言う。
「つまり、これは“キャッシュ化の低い資産”。
財務上の価値があっても、
現実の資金繰りには貢献しない」
「たとえ宝の山でも、
使えないなら“足枷”なんだ」
*
数時間後──
一連の在庫、売掛・買掛の整理が完了し、
運転資本の全体像が浮かび上がった。
「……現状、
国家としての“実行可能な支払い能力”は──」
エルネスが言いかけて、言葉を止める。
「どうした」
「……現行の運転資本推移を維持すれば、
三年以内に財政破綻する可能性が高いです」
重苦しい沈黙。
グレイが小さく呟いた。
「国家が、静かに壊れていく構造だな……」
バルロスが帳簿を閉じた音が、場を打ち消した。
「でも、まだ破綻してねえ」
「その通り」
零は立ち上がり、
王宮の窓の外を見やった。
「数字が見えれば、次の一手が打てる。
“動き”さえ止めなきゃ、資金は巡る」
「俺は、資産を使ってキャッシュを生む。
“国家という企業”を、そうやって回す」
その背中に、誰もが──
希望と現実を、見た。
資産があるのに回らない。
現金があるのに足りない。
国家経営の罠は、資金繰りの“時差”にある。