プロローグ:喪失と起点
かつて最年少で上場を果たしながら、
敵対的買収で会社を奪われた青年・加賀谷零。
信じていた仲間に裏切られ、すべてを失ったその瞬間、
彼は異世界へと召喚される。
剣も魔法も使えない。
だが、彼には知略、会計、法務、そして交渉がある。
「国家? 企業と同じだ。なら、買収してやる」
破綻寸前の王国を舞台に始まるのは、
血を流さず、刃を振るわず、構造を買い叩く戦い。
これは――
武器を持たない元社長が、
M&Aで“世界”を統治する物語。
──カメラのフラッシュが、熱かった。
壇上に立つ加賀谷零の前に、マイクと記者の目と、敗北が並んでいた。
「本日をもちまして、私・加賀谷零は株式会社アストリウムの代表取締役を退任いたします」
その瞬間、場内に走ったのは拍手ではない。
シャッター音。敗者を撮るための、機械的な反応。
零は22歳。
上場企業を創業し、公認会計士・弁護士の資格を持つ異才。
だが今、その会社は──
敵対的TOBによって、《オルビト・キャピタル》の手に落ちた。
相手は榊原京牙。
法律・金融を完璧に駆使し、投資家と創業者の間に楔を打ち込んだ男。
共同創業者だった大学時代の友人も、彼に株を売り渡した。
記者が口火を切る。
「なぜ買収防衛策を講じなかったのですか?」
「講じました。……ですが、構造の綻びは、数字より先に信頼に現れる」
静かな口調に、わずかな疲れがにじむ。
「スピードを求めすぎました。上場、拡大、資金調達……。
その中で、守るべきものの順番を、誤ったんだと思います」
「一番、後悔していることは?」
わずかに間を置く。
「……タイミングですね。
スピードを優先して、大切なものを置き去りにした。
それが、全部の原因だったと思っています」
「“合理的な判断”をしてきたつもりでした。
結果として、人との距離も、信頼も……たぶん、自分で壊したんでしょう」
「……それでも、勝負に負けたのは自分の責任です。
誰のせいでもありません」
どこまでも冷静で、どこまでも本音だった。
それでも、誰かの名を出すことはなかった。
記者たちが次の質問を準備しかけた、その時。
空間が、割れた。
背後のカーテンが揺れ、空気が歪む。
発光──照明ではない。視界の中心が、音もなく沈み込んでいく。
「……何だ?」
スタッフが騒ぎ出す。カメラがノイズを上げて煙を吐く。
だが、加賀谷零は一歩も動かない。
むしろ、初めて口元に笑みを浮かべた。
──召喚契約成立。対象:加賀谷零。
──異世界国家ゼルタリアより、国家再建の全権を委任。
音なき声が、彼の頭に流れ込んでくる。
「“必要とされてる”ってのは、こういうことか」
「なら──今度は俺が、“構造そのもの”を買い取ってやるよ」
まばゆい閃光が会場を飲み込み、
加賀谷零という男は、世界から姿を消した。