第五十五話「許婚」
「訳わかんねぇよ!」
両手両足に力を込める。メルキュールの激しい攻撃は避けるだけで精一杯だった。
何とか喋ろうとするが、そんな暇を与えてくれる間もなくメルキュールの突きがクロを襲う。
動体視力も身体能力も共に上昇しているクロだったが、反撃の機会を伺うだけだった。
メルキュールとの距離が少しだけ離れた。そのチャンスを逃すことなく、メルキュールに殴りかかる。
しかし、メルキュールの速度が更に上がる。殴りかかる前にクロは同じ場所に数発、突きを喰らってしまう。
「ぐっ!」
ただ一点を深く傷つけられ膝を付くクロ。その姿を見たメルキュールはフッと鼻で笑った。そればかりか余裕の表情を見せている。
「クロ!」
その、レクスの言葉に過剰に反応するメルキュール。その顔には余裕なんてものはなく、悲しみに満ちた表情をしていた。
「どうして……」
クロのことなど放っておくようにしてレクスを見つめているメルキュール。
「オラァァァァァ!」
立ち上がり、殴りかかるクロ。しかし、その声に素早く気付いたメルキュールはルーンで受け止める。
しかし、凄まじい力の衝撃によりメルキュールは吹っ飛ばされてた。
「よそ見なんかしてんじゃねぇ!」
速さでは勝てないと判断したクロは、黒い力の全てを拳に溜めた。力では絶対に負けたくない。
「アナタに何がわかるっていうのよ!」
メルキュールは立ち上がり、クロに斬りかかりに行く。
「分かるかよっ!だから聞いてんだ!」
メルキュールのスピードが遅くなった。何かに動揺しているのは分かる。
この程度の速度ならば、とクロも反撃に移る。拳と剣が二人の間を応酬する。
「アナタが私からレクスを奪った!ずっと、レクスと一緒だったのに……。それをアナタが!」
クロの手が一瞬、躊躇ったかのように止まる。自分が、人の何かを奪った。それは自分が昔にされたこと。
兄を……。大切な仲間を……。
その悲しみもこの娘に与えてしまったこと。
一瞬の隙を見逃さなかったメルキュールは速度を上げ、突きを繰り出す。
今度も先程と同じ場所。痛みの引いていない場所に再び攻撃を受けるクロ。膝はつかなかったが、腹部を押さえ、苦しそうな表情を見せる。
メルキュールは肩で息をしながら鋭い目つきでクロを睨みつける。
「私が、どれだけ苦しい思いをしたのかも知らないで……。アナタが私から全てを奪っていった」
「さっきから、ゴチャゴチャと……。アンタ、レクスの何なんだよ!」
一呼吸して、目を合わせて彼女は言った。
「許婚よ」
その言葉で彼女の気持ちが分かった。許嫁を奪われたら誰だって悲しい。だけど、彼女は勘違いしている。
私はレクスに特別な感情を抱いていない。ただ、トラゴスと同じように仲良くしていただけだ。
それでも、こんな勘違いをしているということは、自分ではなくレクスに問題があるのではないだろうか。クロはそう考えた。
しかし、今更「自分は別にお前からレクスを奪った覚えはない」等と言っても聞く耳は持ってくれないだろう。
「絶対に、アンタからレクスを取り返してみせる」
まったく。どうして私の周りの男は面倒ごとが多いんだ。しかし、今はあれこれ考えている場合ではない。
この闘いに勝って、それから話をつければいい。