忘れ去られた勇者の聖女(娘)
「……すまない……君達のことを……思い出せないんだ……」
あの日のことは成人の年齢を過ぎた今尚、何故か鮮明に覚えている。
私が9歳の誕生日を迎えた2日後のことだった。
夏の暑い季節で、昼間だと云うのに、虫の鳴き声が辺りを支配し、カラッ、とした晴れやかな空とは全く違う、冷えた室内だった。
9歳の夏のある日、帰りを待ち侘びた私の父は、父ではなくなった。
私は辺境の麓にある、小さな農村で生まれた。
領主様は良い方で、変に税を上げるなんてことはしないし、気候も穏やかで農業がしやすく、物心がつく頃には、私も他の子ども達に混じって稲刈りの手伝いや、山へ山菜など取りに行ったりと、家の手伝いをするようなっていた。
両親は他の夫婦よりもかなり年若く、小さな時から一緒に育った幼馴染で、結婚できる年齢になるとすぐに結婚をしたらしい。
父も母も農村には珍しいぐらいに容姿が整っていて、父は一見すると農民には見えない優男。母も農民には見えない器量良しだった。
変哲のない日常。
でも、幸せだといつも思っていた。
本当に幸せだった。
私はよく父に抱きついては
「お父さんはお母さんのことがだいすきなの?」
そう訊いたものだ。
「そうだよ。お母さんが世界で一番大好きで、リシュのことは世界で一番愛しているよ」
優しくけれど、力強く言ってくれる父のその言葉が大好きだった。
この幸せは変わらず、ずっと続いていくのだと、私は無自覚に、けれど普通の子ども達と何ら変わらない自然な気持ちで思っていたものだ。
父が大きな手で頭を撫でて褒めてくれることが好きだった。
母が夜眠る前にお伽噺を聞かせてくれて、頭を優しく撫でてくれることが好きだった。
全てが崩れ去る切っ掛けは、私が6歳になった次の日だった。
「信託が降りた」
そう言って何人もの教会の人間達が村にやって来たのだ。
農村にふさわしくない煌びやかな衣類は、神聖さより強欲さを感じさせるもので、あまり好きにはなれないと母の影に隠れながら思った。
その好きにはなれそうにない神官達が父を指して
「貴方様に勇者の信託が降りました」
「魔族を倒してください」
父も母も、もちろん私も、見守っていた村の人達でさえ、なにを言っているのかわからないままで。
数百年に一度、魔族が復活して世界の調和を乱すことがある。
勇者はそれを正すことのできる唯一の存在。
母から寝物語に何度も聞かされていた話は、私にとって現実ではなく、それが私達親子に降り掛かってくるなど、微塵も考えたことはなかった。
お伽噺の英雄たる勇者が父なのだと言われても分かるわけもなく、父を連れて行こうとする神官に暴れて泣きじゃくった。
その日の夜、村の長老、神官、そして両親が話し合い、父は王都に行き魔族を倒すことが決定づけられた。
3日の猶予もなく出立することになった父は、泣き続ける私に、
「必ずリシュとお母さんの所に戻ってくるよ。約束だ」
約束だよ、と何度も何度も言って指切りをした。
神官達に連れられていく父の背中を、ずっと見送って、父は何回も何回もこちらに振り返り手を振ってくれた。
それが私の知る父を見る最後になるとは思いもせず、ただ、父の無事を願って送り出した。
それからの日々、私と母は父の帰りを待ち続けて、月に数度届く手紙を心待ちにしていた。
初めて剣を握った瞬間、練習や訓練、大変だけれど覚えることが色々で楽しいと綴られている手紙には「辛い」とか「苦しい」という言葉は一つもなく、また父も感じていないような内容で。
やはり勇者様なんだなと村長が呟いていたのを、ハッキリと覚えている。
無事に帰ってきてと願う返事を書きながら、徐々に届く回数が減っていく手紙を、心配しながら母と身を寄せ合って過ごし続けた。
そして吉報が届いたのは二年後、8歳の春だった。
魔族を全滅させた勇者一行は王都だけでなく、またたく間に国全土、近隣諸国にも知れ渡り、私は母と手を取り合い、抱き合って喜びを噛み締めた。
これで父が帰ってくる!
そう思っていた。
なのに…………。
父からの連絡はこず、吉報を届けに来た神官は「勇者様は怪我をされているため王都にて療養している」との言葉だけ。
早く会いたい思いが募っていたが、母に王都のほうが良いお医者さんがたくさんいるからと言われれば、黙って頷くしかなかった。
母が本当は一番会いたかったはずだ。
でも、我慢して我慢して我慢して、父の怪我の治りだけをただ祈り続けた。
そして、忘れもしない9歳の夏……。
親子で王都に呼ばれ、ようやく父に会えるのだと嬉しくて、王都に向かう道中はずっと母と父に会ったらどうしよう、どんな話をしようかとそればかり話していた。
王都は見たこともないほどの人の数、キラキラしたもの、物珍しいものがたくさんあり、色んなものを目に焼き付けようと必死だった。
王都に来れるなど、人生でもうないかもしれないからで、そんな私を見て、母は幸せそうに微笑んでいた。
父の傍らに寄り添うとても美しい人を見た時、私は王族なのだと思い慌てて教えられていたことを守り、頭を下げたけれど、母が一向に動かないことに違和感を覚えて顔を上げれば、真っ青な顔で父を見ていた。
「お母さん……?」
心配になって呼びかけても、まったくこちらを見ない。
いや、見れなかったのだろう母の視線を追えば、父の傍らに寄り添う美しい人は父の腕に自分の腕を絡めて泣きそうな顔でこちらを見ていた。
そして父は……まるで知らない人の顔をしていた。
確かに父なのに、私達に向けてくる眼差しは3年前と全然違っていて。
「……すまない……君達のことを……思い出せないんだ……」
父は魔族との戦闘での怪我の後遺症により、記憶を全て失ってしまっていた。
そして父の傍らに立つ女性はこの国唯一の王女で、記憶を失った父を支え、父と恋仲になり、子を宿したという。
理解できないことだらけの中で、母は発狂した。
母は幼い幼少の時から父を慕っていた、と近所の小母さんに訊いたことがあった。
本当に父が好きで、父と結婚して私が生まれて、更に器量良しに拍車が掛った、とまで言われていたと。
父が勇者の信託を受けて村を離れてから、どれほど不安だっただろう。
農村の片親、母子家庭の経済状況は苦しい。働き手の最たる男手がないのだから。
子どもの前で、弱音を吐いてはいけない、と懸命に頑張っていることを私は知っていた。
疲れ過ぎて、食事を摂らないままテーブルで眠ってしまうことは、最早日常と化していた。
父のことを心配し、無事の期間を毎日、朝夕、寝る前に祈りながら、待って待って待って待って。
待ち続けた結果の醜さに母は耐えられなかった。
泣き叫び続ける母を、私は呆然と見ていることしか出来ず。
縋るように父の名を呼べば、父は申し訳なさそうに目を逸らしただけで何もしてくれない。
後々、私達家族にはキチンと国から給付のお金が降りていたのに、領土の司祭がそのお金を横領していたことが判明し、滅多に怒らない領主様を激怒させ、処分を受けたそうだ。
しかし、最早そんなことはどうでも良かった。
この日、私は父を失い。
正常な母も同時に失った。
1ヶ月後、父は王女と結婚をし、公爵位を賜った。
そして、母は父の第二夫人として迎え入れられる運びに粛々と動き。
王女と結婚した者が、第二婦人などあり得るはずがない。
けれど、王女が恋をした勇者は元々は結婚をしていて子どもがいた既婚者。
誰も異を唱えず、母と私の気持ちなどほったらかしにして決定されたその事実は悪夢でしかなかった。
一日のほとんどがベッドの上の住人になってしまった母に、世話をしてくれるメイドはいてもそこに思いやりなど欠片も存在せず。
ーー恥知らずよね、あの親子。
(どうして?)
ーーでも、しょうがないじゃない。元々旦那様はあの方と結婚していたんだから。
(そう、私の大好きな父で、母の愛する夫だった)
ーー離婚すればいいじゃない。あたしだったらそうするわ。
(どうして何も悪くない母が父と別れなければいけないの?)
ーー惨めで生きていけないものね〜。
(何が惨めなの?)
ーーでもそんなことをしたら、国民が黙っていないわよ。奥様が悪く言われてしまうわ。
(悪いことだっていう自覚はあったんだ?)
--奥様お可哀相・・・。
(誰よりも辛くて可哀相なのはお母さんなのに、王女様の何が可哀相なの?)
メイド達の囁きではない陰口は、ますます母の体調を悪化させるだけ。
村に帰りたかった。
でも、母が父の傍にいることを望んだのだ。
母を1人にすることなどできるはずもなかった。
第一夫人となった王女は数ヶ月の後、男女の双子を生んだ。
父は屋敷の離れに住んでいる私達の元へ来ることは屋敷に来てから一度もなく。
母は更に更に不安定になっていった。
私は母の傍にずっといる中で、文字を書き、読むことを覚えて時間があれば本を読む。
そして母のために窓から見える花壇に色とりどりの花を植えて育てて、その花を母に見せて笑顔になってもらえるようにして。
それしかできない生活で。
助けてほしかった。
誰でもいいからここから母と一緒に連れ出してほしい。
そう願い続けて、花を育てながら泣き続けていた。
そして5年後、私は母を失い、望まぬ称号を手に入れることになった。
勇者の血をひく聖女という、忌まわしいものを。
*文章の見直しと編集を了本がしましたが、ほぼ秋月の作品なのでこちらの名義で投稿しました。
続きは・・・・・・、すみません、考えておりません。(汗)
秋月は息抜きに書き(現在別の小説を執筆中)、了本は数年のリハビリがてらの文体の編集作業をしたかっただけです。




