第四章 「未知」
襖を閉じる音がした。私はいつもこの音に気づかず寝てしまう。目が覚めて「待って」と心の中でそう叫ぶ時もある。しかし、この季節寒すぎて身体が動こうとしない。動きたくないのだ。
今日は眠りが浅かったのか、音が聞こえた。そして気合いで掛け布団を捨て、追いかけることができた。玄関で、「どこ行くの?」と尋ねた。兄は靴を履きながら「ん、ちょっと。」と答え外へ出かけていった。
兄はこの頃、週3で深夜の東京の街へ足を踏み入れている。最初は不定期で月一程度だった。だが、それはいつしか日課となっていった。多方面から襲いかかるこの闇だらけの街の中で、兄は一体何をしているのだろうか。
聞きたい気持ちは十分ある。だがなぜか聞けなかった。兄にはどこか踏み入れてはいけないようなところがある気がしていた。勝手な推測かもしれないが、それに触れた途端何かが崩れるようで怖かった。
私は気づいたら兄がいた。幼少期の写真など探したけれど当然なかった。そんなの心の何処かでわかっていた。あんな親が私たちの写真撮るわけない。周りの私たちなんか見えていなかったのではないか。
あるかもしれない、そんなのぞみを持って探していた時期があった。
「んなの時間の無駄だからやめろよ」
そう兄から言われた。兄の言葉は昔から私にとって、とても影響力のあるものだった。
「だよね、」
床に散らかった箱を戻していった。私はその日からもう昔の写真を探すのをやめた。
「本当に兄とは血の繋がった家族なのか」こんなことを思うのはしょっちゅうある。万が一、知りたくもない真実が目の前にのしかかることがあった時を思うと自分自身避けたいのかもしれない。だからどうしても核心をつくことができなかった。
「ん〜はぁ」
私は台所に行き水を一杯飲んだ。途中で起きたせいか目が完全に覚めてしまった。時計を見る。
「3時30分」
今この世界に何人の人が起きているのだろうか。そして兄と同じように何人の人が外にいるのだろうか。私は深夜が少し好きだった。夜は何もかも無限な感じがした。さらに未知の事を知ることができそうとも勝手に思っていた。
「いつか一人で夜散歩してみたいなぁ」
夜という時間に夢を抱いていた私はそう呟いた。あの門限は兄からの愛だと勝手に解釈している。私は兄に愛されたいなど思っていない。恋愛話ではないが、このまま一方に好きでいることが幸せだと思う。
濡れた口元をティッシュで拭い、2mほど先にあるゴミ箱へ入れようとした。「カサッ」わずかに外れてしまった。
「あぁ」
だるいながらも椅子から立ち上がり、床に落ちたティッシュを拾う。
捨てようと思ったその時、とあるものが目に留まった。
「んなんだろ」
見に覚えのないものが捨てられていた。
お酒。缶タイプの350ml。
彼は20歳を超えているが、お酒が大の苦手だ。自ら買って飲むことなどは滅多にない。お酒の種類を興味本位で見ようと缶を傾けた。すると「カラン」と音がした。何か入っている。取り出してみると、使い古されたライターが入っていた。
これもまた不思議だった。タバコだろうか。だが、タバコも兄が嫌いなものTOP3にランクインしていた。私は生まれつき基礎疾患を持っているのもあり、挑戦や克服でタバコを吸った場合でも家で吸ってみることはあまりないはずだ。病気のことを忘れたらどうだろうか。あり得たが、一番大事なタバコ本体がゴミ箱からは見つからなかった。
「明日お兄ちゃんに聞いてみよ。」
とりあえずやることもなかったため、寝室に戻り布団に入った。当然いろんなことが気になり眠れなかった。
「電話したら出るかな」
最近、私にとって初めてできた友達。そうあの公園で出会った男性だ。あれから一度あの公園付近の道路で偶然出会った。
「あ。」
先に気づいたのは相手の方だった。
「あっあの時の。こんにちは」
「やほ、こんにちは。また会えたね、会えると思ってなかった嬉しい。」
「私もです。あの、住みってこの辺なんですか?あ、聞いてもよければなんですけど、」
「全然大丈夫だよ。僕ここの道まっすぐ行って左に曲がったところに住んでる」
「そうなんですね!私も近くに住んでて」
「あの公園で出会ったから、多分ご近所さんなんだろうな〜って思ってた」
彼は微笑みながらそう話す。
「ですね。笑 あそこ、あんまり人来ないですよね」
「そそ。だから気使わずにできるから穴場なの」
「なるほど」
そんな会話をしながら道を歩いていた。もっと彼と話していろんなことを知りたい。勇気を振り絞って人生で初めて連絡先を聞く。
「あのよかったら連絡先とか交換したいです」
「あいいよ、しよ。はい、これ俺のQRコード」
すんなりと携帯からQRを開いてくれた。こんなに簡単に交換してもらえるなんて思ってもいなかった。
「わっありがとうございます」
“堺弥” 画面にそう表示された。
「弥さんっていうんですね。素敵な名前!」
「ありがとう。兄がつけてくれて自分でも気に入ってるんだ」
家族以外で初めて繋がった異性。そして私たちは暇な時、しょっちゅう連絡しあった。
「何してた?」
「今日、こんなことがあってね」
何気ない会話だけれど、会話を通して男性のことを知れるのが嬉しかった。そして私は彼にますます夢中になっていた。
「起きてるかなぁ」
彼と電話をするのは初めてだ。なぜメールではなく電話をしようと思ったのか。あまり深い意味はなかったが、彼の声が聞きたかった。
私は少しドキドキしながら通話ボタンを押した。
しばらくすると、通信中から秒数が表示された。
「っ、もしもし。。」
「もしもし僕だけど。電話珍しいじゃん、てか初めてだっけ?」
「そう初めて」
少し恥ずかしく思い真っ暗な画面をじっと見つめる。
「そうだったね笑。いつもメールだから、䙥から着信きた時びっくりしちゃった」
「突然すみません、寝れなくて笑。起きてましたか?」
「うん、ぎり。笑 あと少し遅かったら爆睡してたな。あぶな」
「運が良かったです」
テンポ良く会話が進んでいった。私は電話だと会話が途切れてしまうのが怖くて、人とするのを避けていた。でも今日気づいた。気が合う人は途切れない。電話も友情もきっと。
「じゃあもうそろそろ寝るね」
「そうだな。やば、数時間しちゃった」
「あっごめんなさい。こんな夜なのに」
「ううん全然平気。謝らないで。あ、最後に一つ。敬語、完全に外してください笑」
「分かりました。あ、… 分かった」
「じゃおやすみ」
そう言って初めての電話は無事終了。楽しかった。ここ最近で1番楽しかったかもしれない。
「おい、おーい」
「ん、ん。。」
兄の声で目が覚めた。昨日久しぶりに夜更かしをしてしまったためか、いつもの時間に起きれなかった。
「ごめん、おはよ」
「おはよ。なかなか起きねーの珍しいな」
「昨日暑くて寝れなくて」
「あーね、身支度して早くごはん食べよ」
「うん」
久しぶりに嘘をついた。布団をたたみ、外出用の服に着替える。歯を磨き、顔を洗い髪を結ぶ。ここまでが私の朝のルーティーンだ。これはもう10年近く変わっていなかった。
「せ〜の。」
「いただきます」
この掛け声も、一緒にいただきますを言うのも。ずっと変わっていない。変わりたくない。