『ゴブリンと滑稽噺』
「きゃあっ!」
シルヴィアは、小さな石に躓いて転んでしまった。それが仇となってゴブリンに囲まれる。彼女は小さな男爵家の令嬢だったが、複雑な家庭環境から逃げ出そうと家出していた途中であった。
「ゴブ……このおんな。かわいい」
「いやらしいこと、してやろう」
「いやらしいこと!」
「ゴブゴブー!」
四匹のゴブリンたちが「ぷぷぷー」と笑いながら、転んだシルヴィアの手を掴んだ。彼女は抵抗したがゴブリンたちは複数になってシルヴィアを押さえつける。
(あぁ、私。これで終わりだ……)
女性としても。人間としても。彼女は自分の運命をゴブリンたちの手に委ねることにした。なるだけ惨いことを考えた。オモチャにされた挙句に切り刻まれて終わる。或いはどこかに売り飛ばされてしまうことも……。
しかし、ゴブリンたちは一向に手出しをしてこない。
「はっ、同情でもした? 下等魔物の癖に」
早く始末をつけて欲しかったシルヴィアは、ゴブリンたちを挑発する。ふと、彼女は大柄なゴブリンの足元にちょこんと手をあてている子ゴブリンの姿を発見した。
「ぱ、パパたちは下等生物なんかじゃないぞー!」
子ゴブリンが言うと、「そうだそうだ!」と合いの手を打ってはしゃいでいた。それが何だか滑稽に思えてシルヴィアは高々と笑う。
「ゴブっ! おんな。俺たちが怖くないのか」
「いやらしいこと、してやるぞ! 本当だぞ!」
「ふごっ、いやらしいこと!」
「ゴブゴブ!」
だから?
そういう目でシルヴィアはゴブリンたちを見た。子ゴブリンが、てちてちと歩きながら、アライグマの様に威嚇をしてくる。
子ゴブリンがシルヴィアに話しかける。
「怖くないのかー!」
「ええ」
「パパたちはワルだぞ。いやらしいこと……」
「やりたいならやりなさいよ。何なら見せてあげましょうか?」
シルヴィアは、話しながら服をはだけさせた。ゴブリンたちが顔を真っ赤にして「きゃん!」と鳴いた。どうやら女性の肌を見るのは初めてのようだ。
「ふえぇーん! パパぁあああ! ぼくこのひときらーい‼‼」
パパゴブリンに抱き着く子ゴブリン。
パパゴブリンが「よーしよーし」と子ゴブリンの頭を撫でながら、
「大丈夫ゴブ! 痴女はみんな嫌いでちゅよー」
と言うものだから、シルヴィアは、
「おいテメェ! 誰が痴女じゃあ‼‼‼‼」
と青筋を立てて怒り出す。子ゴブリンは、新たに覚えた『痴女』という言葉をシルヴィアの名前だと思ったのか、それ以降ずっと「痴女が怒ったー!」と泣いている。
シルヴィアは、
「うるさい! 用が無いならもう行くけど」
と言った。
ゴブリンたちは、「どこへ?」と訊ねる。
シルヴィアは考えた。
(目的地のない家出……なんて言ったら笑われるわね)
考えた末。彼女は見栄を張ることにした。
「あてもない旅。そうね、強いて言うなら近くの街かしら」
ゴブリンたちは顔を合わせて不思議そうに訊き返した。
「ここら辺に街なんてないゴブ」
「どこで野宿する?」
「野宿!」
「ゴブゴブ」
ゴブリンたちの質問に(え、本当に!)と驚いていたシルヴィアは、「えーと、その……」と言葉を濁していた。それを見ていたゴブリンたちがにたぁっと笑う。
「な、何よ!」
「痴女。おまえ、帰る場所も行く先もない迷子だな」
子ゴブリンの一言が何気に効いたらしい。シルヴィアは、じわっと涙を浮かべて、
「うっさいわね! もうほっといてよ!」
そう言うと、走りだそうとした。彼女の腕をパパゴブリンが掴む。驚いたシルヴィアは、
「は、放しなさい!」
と言って噛みついた。血が出るほどではなかったが、歯形がくっきりと付いている。それを見ていた子ゴブリンは、
「ねぇ痴女。人間ってどんななの?」
と訊いてきた。
シルヴィアは、少し複雑な顔をして、
「父親は外面のために借金を作る天才。母親はそのストレスをグチグチと全て子どもたちに向ける天才。侍女たちは人形のような飾りよ。人間なんて良い物じゃないわ」
と言った。彼女は「ふっ」と笑って、
「そんな人間より、ゴブリンの方がマシだなんて……知りたくなかった」
言い切ると、涙を一筋流した。
困り果てるゴブリンたち。カラスがカァカァ鳴く。もうじき夜が来る。強い魔物がはびこる時間だ。子ゴブリンは、「痴女。ごめんね!」と謝った後に、
「ねぇ痴女。もっとお話訊かせてよ!」
と言ってきた。
どうやら自分たちの巣に案内するらしい。その中には意地悪な奴もいるだろう。しかし、シルヴィアには行く宛が無かった。
彼女は、すべてをゴブリンたちに委ねることにした。子ゴブリンの眼に負けたのだ。彼女は巣の中でゴブリンたちと話をしていた。
彼女は地面にゴブリンたちの顔を描いていく。それを「上手いゴブ―!」と褒めながら、ゴブリンたちは、
「ゴブ―。人間にはシガラミというものがあるゴブねぇ」
「めんどくさいゴブ!」
「めんどくさい!」
「シガラミ! シガラミ!」
腕を組んでうんうん頷きながら、何やら解ったような顔をしていた。その姿はまるで頑固おやじである。シルヴィアは次第に心を開いていく。
子ゴブリンは、木の実のジュースをシルヴィアに渡しながら言った。
「ねぇ痴女、いっそのことゴブリンの子になりなよ」
「え?」
「ぼく、お姉ちゃんが欲しいな」
子ゴブリンは、「てへへ」と頭に手をあてる。しかし、周囲のゴブリンたちは頭を横に振った。そうして言った。
「おまえは家に帰るゴブ」
「人間は野生で生きていけないゴブからねぇ~」
「野生無理!」
「家に帰れ! 家に帰れ!」
子ゴブリンは、ゴブリンたちの声を聴いて悲しそうに言った。
「そうだよね……痴女のパパとママ。今頃心配してると思うよ」
「……」
木の実のジュースを見ながら、シルヴィアは考えた。
(あの親が? まさか……でも、もし探していたら、今頃屋敷はどうなっているかしら)
子ゴブリンが、「へへっ」と意地悪そうに小声でシルヴィアに話しかけた。
「考えは合ってると思う……」
子ゴブリンの目線の先には、大きな炎の光が見えた。それは巣の中を貫かなかったものの、宴の終わりを予感させた。
パパゴブリンは、
「……俺たちは姿を消すゴブ。楽しかったゴブよ」
そう言って、立ち上がったシルヴィアの背中を押した。
「きゃっ!?」
と大きな声が上がる。炎の光が彼女の姿を捉えた。真っ先に駆けつけてきたのは、シルヴィアの国の一級騎士たちである。
シルヴィアは本人確認をされたうえ、騎士たちに抱きかかえられて、男爵家の方角へと連れ戻される。
「ちょっ! 王国の騎士がどうしてこんなところに!?」
「アルベール男爵から依頼があり参上した次第です」
「お、お父様が!?」
◇
「……」
部屋に帰ると、シルヴィアの母親が彼女をビンタした。父親は、「な、なんてことをするのだマーガレット!」と、動揺している。
兄妹たちも集まってきて、シルヴィアは初めて自分が大変な事をしたのだと気が付いた。
「……ごめんね。ちょっとストレスがたまってたの」
彼女がそう言うと、家族全員で『ごめんね会議』が始まった。
「見栄で借金増やしてごめんね!」
「グチグチ言ってごめんね!」
「傍観者で申し訳ありませんでした!」
その後は和気あいあいとした雰囲気に包まれていたアルベール邸であった。
それはそうと、シルヴィアは訊きたいことがある。それは……、
「王国騎士の雇用って幾らくらいなの?」
「ん? 1600万ベリルくらいかのぅ。全部で100騎くらい派遣したから」
「まぁ! これまでの借金よりも多いじゃない! あなたって人は!」
「ふ、二人とも落ち着いて……」
「大体! あなたが家出なんてするから!」
「うっ……」
新たな家族喧嘩の火種となった。
しかし、絵を描くことが趣味だった彼女は、『ゴブリンと滑稽噺』という画を筆頭に有名な画家となるのであるが、今の彼らはそんなことなど知らないのであった……。