使い魔のベティ
食堂へと戻ったヒメたちの前に、何かが飛び込んで来た。
『キーッ』
「あれがベティだ」
ベティと呼ばれた赤黒いコウモリは、牙を剥き出し、ヒメたちの前でホバリングをして睨んでいる。
その首には美しい、黒い十字架のネックレスが、かけられていた。
「何だか辛そう」
目の前で睨みつけるコウモリが、ヒメにはどこか苦しんでるように見えた。
「貴方ごめんなさい!目を離した隙に逃げられました」
長机の反対側には、美しい女性が立っていた。
腰まで伸びた髪の毛は、森のように深い緑色で、その瞳もまた美しい緑色であった。
そして、耳はエルフの特長的な尖った耳をしている。このエルフもまた、ジュドウと同じく、血のように真っ赤なドレスを身に纏っていた。
「気にするな。いつもの事だ!」
ジュドウは、妻であろうエルフの女性に言葉をかけた後、ベティから目を逸らすことなくヒメに言った。
「見ていろ」
ジュドウは、ベティに向かってゆっくりと歩き始めた。それに気付いたベティは、距離を取ろうと高度を上げた。その瞬間、ジュドウが一瞬で距離を詰め、ベティを捕まえた。と、誰もがそう思った。
しかし、ベティの首にかけられたネックレスから、強烈な風が吹き荒れ、周囲の物を切り裂き始めた。
ジュドウに至っては、傷付いた瞬間、回復していた。
「ほらな?触れないんだ。更にここからだ」
そう言うとジュドウは、刃のような風が吹き出すペンダントへと手を伸ばした。
するとペンダントから真っ黒い布が、まるでレースのように美しい透かし模様となって、幾つも溢れ出た。それはあっという間にベティを包み込み、レースで固めた黒い玉となった。
ジュドウは、黒い球になったベティを手に取った。
「触れない。触れないんだ。ヴァンパイアと恐れられた私だが、このような些細な事も出来ない……何も出来ないんだ……」
そう言って振り向いたジュドウの顔は、今にも泣き出しそうにクシャクシャだった。
「ジュドウさん……」
その顔を見て、ヒメは胸が締め付けられる思いがした。自分には何も出来ないのかと。
しかし、黒いレースの玉を見た時に気がついた。
(ウゾウゾが!)
ジュドウが持っているレースの隙間から、あのウゾウゾが出ていたのだ。
「ジュドウさん!それを私に触らせて!」
そのウゾウゾはジュドウに触れようと伸び始めた。
(だめ!ジュドウさんに触れないで!)
「早く!こっちに投げて!急いで!!」
「あ、ああ。」
ジュドウは戸惑いつつ、レースの玉をヒメに放り投げた。
緩い孤を描いてヒメの前まで来たところで、黒いレースが弾け飛び、ベティが再び姿を現した。
そしてペンダントからは、無数のウゾウゾが出ていた。
その直後、ペンダントから強烈な風が吹き荒れると、ウゾウゾが斬り刻まれて消え失せたが、絨毯や机等、周囲もまた傷だらけになった。
その風の刃が、例外なくヒメにも向かって飛んできた。
(どうしよう!避けられない!)
「召喚!アバドンお願い!吸い込んで!」
その願いと同時に、バレッタから額にキスマークを付けた、緑のアバドンが出てきた。
『ボォォァァァァーーーーー』
大きな口を開けて、全てを吸い込み始めた。
風の刃は、ヒメの目の前で進路を変えて、アバドンの口へと向かって行く。
更に、机、壊れたシャンデリア等あらゆる物を、そしてベティまでもが、徐々にアバドンへと吸い寄せられる。
ベティは、必死に羽ばたいて抵抗していた。
「ど、どういうことだ?奈落の王だと!?まさか!奈落の王を従えているのか!?」
ジュドウは吸い込まれないように、踏ん張っているが、なかなか辛そうである。
執事たちはヒメの後ろにいるせいか、あまりアバドンの影響を受けてないようだが、やはり吸い込まれまいと暖炉にしがみ付いていた。
必死に羽ばたいているベティだが、抵抗虚しく少しずつ後進している。
「もうちょっと。きゃっ!」
ヒメが手を伸ばすと、ネックレスから黒いレースが無数に溢れ出した。しかしそれらは、全てアバドンに吸い込まれて行く。
「ありがとうアバドン」
『ボォァァーーーー』
ベティは黒いレースに包まれることなく、ヒメの目の前まで来た所を、両手を出したヒメにキャッチされた。
「捕まえた!」
その時、丁度アバドンはMPを使い果たし、『グァバッ』とゲップをして消えた。
「えい!」
ヒメはすかさず、ウゾウゾが出始めている、黒い十字架のペンダントに触れた。
『オノレェ イマイマシイ……』
その声と共にウゾウゾは消えた。
「これは没収です」
ヒメはベティの首にかかっていた、十字架のペンダントを外し、自分の首にかけた。
「ふぅ。これで良し……ベティ?」
ペンダントを外すとベティは気を失った。しかし安堵の表情を浮かべ、ヒメの腕の中で眠っている。
「大丈夫みたい……」
それを見ていたジュドウたちは、すっかり言葉を失っていた。
「……触れている……ベティに触れている!」
我に帰ったジュドウは、震える手をヒメに伸ばした。
「ベティは無事なのか?」
「気を失っているだけです」
「そうか……聖女よ。そのペンダントを見せてくれないか」
「この黒い十字架は呪われて……」
ヒメはペンダントを手に取りまじまじと見つめた。
『助けて!』
ヒメの脳裏に、悲しそうな少女の顔が浮かんだ。
「今のは誰!?」
『助けて!』
また、涙を流す少女の顔が脳裏に浮かんだ瞬間、ヒメの意識はペンダントに引き摺り込まれた。