第1話
子供と呼ばれていた時代に、一つとして罪を犯したことがないという者はいないだろう。
過小な自制心と過大な好奇心が小さな罪を呼ぶことは避けがたく、それに対する強い後悔が大切な何かを教えてくれたはずだ。
多くの人は、そうやって重要な教訓を学んでいくものである。
しかし、この事件はわたしにとって最初の罪であると同時に、全く取り返しのつかない罪になってしまった。
なぜこんなことをしてしまったのか、いまのわたしには理解しがたい。
時々、わたしはこの事件のことを思い出す。
それは、ふとした瞬間に頭をよぎることもあれば、夢に見ることもある。
わたしはせめて、いま誠実な勇気をもってこの事件を告白しようと思う。
もちろん、誠実な勇気も過去を取り返すことはできない。
それは、わたし自身が一番よく知っているつもりだ。
わたしはそのとき十二歳で、小学六年生だった。
毎日学校に行き、放課後はテニススクールに行くか、塾に行くか、あるいはその両方をこなしていた。
勉強はできた。スポーツもそれなりだった。
音楽や図工の授業も好きだったし、友達と呼べる存在もいた。
その生活は、客観的に見れば幸せなものだったのかもしれない。
けれども、わたしは満足していなかった。
そんなわたしの気持ちが引き起こした、わたしの人生の中で最も刺激的で、そしていまのわたしを最も悄然とさせる、四日間の思い出を話そうと思う。
事件が始まる前日、わたしは好敵手であった#篠田__しのだ__##彰__あきら__#との試合を戦っていた。
それは激しく競った試合で、ずいぶん長いあいだ二人で打ち合っていたように思う。
吹く風が少し涼しくなり、初夏の太陽が傾きはじめたころ、ようやくわたしがマッチポイントまで到達した。
わたしはファーストサーブをフォールトし、セカンドサーブを慎重に放った。
緩い球を容赦なく叩いた相手のレシーブは厳しいコースに向かったが、わたしはそれを読んでいた。
バックハンドでクロスに打ち返し、勝負が決まる。
わたしたちはお互いにネット際に寄って握手をした。
彰は焼けた肌に汗をだらだらと流し、悔しそうに苦笑していた。
この試合の結果により、わたしとショウの、その年における通算対戦成績は七勝七敗になった。
「負けたよ、やっぱヒロは強いな」
「ショウこそサーブが上手くなった。今回はサーブで取られるのが多すぎたな」
当時、わたしは#富永__とみなが__##広明__ひろあき__#という名前を略してヒロ、篠田彰はショウと呼ばれていた。
わたしたちはまだ「彰」という字が「アキラ」と読まれることを知らず、誰かが字面だけ見て「ショウ」と読んだのがそのまま定着していた。