第十六話 MISSION:”交渉人”イナコ、作曲家・メグミを引き入れろ
食事を終えて、夜の七時過ぎ。一行はメグミの部屋にやってきた。
メグミとイナコ以外の六人は、昼食と夕食時の会話で、メグミに楽曲の提供を依頼する方向性で意思疎通が取れている状態だ。
当のメグミは学校を休んでいたので、イナコ達三人がアイドルを目指していることを知らない。以前から五人グループの中で肖像画三人衆のことは話題にしていて、その三人を応援することになったと、夕食の前に聞かされただけだ。部屋にイナコを招こうと思ったのは、自身のネットでの活動『ドロップ』の曲を聴いてくれていたという、それがただ嬉しかったからだ。
イナコはメグミが作曲をしていること、ましてやドロップだとは知らないが、単純に呼ばれたから来ただけと、それぞれの温度感に大きな差があった。
「どうぞいらっしゃい。散らかってるけども。座れる所に座ってくれ」
寮の部屋は間取りで言うとワンルームにあたり、決して広くはないが、完全個室となっている。元々はすべて四人部屋だったが、種々の事情から、個室にするために壁を設ける工事を行った。
昔は寮といえば相部屋が当たり前だったのだが、時代とともにサンブックの常識も大きく変わろうとしている。
「お邪魔しまーッス」
メイディー、ワカナ、リサチ、マオナが慣れた感じで入っていき、ベッド、スツール、床の座布団などにそれぞれ陣取る。
五人はそれぞれの部屋に毎日のように遊びに行く仲になっているが、メグミはあまり自分の部屋に招きたがらないため、二回しか来たことはない。ただ、狭い部屋でそこまで複雑な構造になっていることもなく、一度見たらすべて覚えてしまうレベルだ。
しかし、一見して触れてはいけないとわかる聖域がある。大きな机に二枚のモニター、パソコンのキーボードの他に大きな音楽のキーボードが所狭しと置かれていて、机の下にはパソコンの本体らしき大きな黒い箱。机の前には大企業の社長が座っていそうな厳かな椅子があるが、その前に座る度胸は四人にはなかった。
「ん? 三人も遠慮せずに入ってくれ。場所は……おいメイディー、ベッドで寝るんじゃないよ。座ればもう少しスペース空けられるだろ」
メイディーに指示を出しながら、メグミは電気ポットのお湯でお茶を用意している。マグカップは八個もないので、棚から紙コップを取り出した。
メイディーに促され、三人も恐る恐る入室する。ユキとキセキには、机周りを除けば自分の部屋と変わりない印象を受けたが、イナコの趣味センサーが何かを感知した。
「ん? このデスクマットの下にある写真の配置、どこかで……」
「イナコ! もしかして気づいたか?」
「そうだ、ドロップの曲『MEMORY』に使われてた背景にそっくりだ! これってつまり……」
メグミは曲の動画の背景にフリー素材の風景画やイラストを使うことが多く、それほどこだわりを持っているように見えなかったが、この曲だけは自分で撮った写真を散りばめた、少し凝った仕様になっていた。
それを透明なデスクマットの下に固定していたので、完全に一致する状態で保管されている。これにイナコが名探偵の如く気づいたので、流石にメグミの正体を捉えたのだろうと思われた。
「メグミ、お前もドロップの熱狂的ファンだったのか! この再現度、ただならぬ熱意を感じるぜ」
「違うだろー!」
肩透かしな解答に思わずズッコケたメグミは、手に持っていた八個のカップを載せたお盆から少しお茶をこぼしてしまい、アチアチと言いながら流水で冷やし始めた。
そんなメグミに代わってキセキが早口でツッコんでいる。
「いや鈍感すぎるよもういいよ! メグミがドロップなんだよわかりなさいよこの流れ!」
「ええっ? いや私もその可能性がわずかに脳裏をよぎったんただが、流石にそんなわけないよなあって……」
イナコは勘の良いほうだが、危機察知能力に長けているというか、あらゆる可能性を考えすぎて迷走することがあるとユキは分析する。しかし、これもイナコのチャームポイントだと思っており、イナコには伝えていない。決して意地悪なのではない。
「じゃあこのシンセサイザーも、ドロップの真似事をしてるんじゃなくて、本当にお前がこれで作ってるってことなのかよ」
「そのとおりだよ。厳密にはシンセじゃなくて、ソフトに入力するためのキーボードなんだけども。まあ他にも色々駆使して作ってる。私の声で気づいてほしかったんだが」
「いや、地声と歌声が違いすぎんだろ! 歌声はホント別人っつーか、ドスの効いた感じとか、鳥のさえずるような高音とか、色々使い分けてんだよ。あ、いや地声が残念ってわけじゃねーけどさ、うん」
申し訳程度のフォローを入れるが、本音は隠せない。名声を得ているドロップの歌声を、メグミの平凡な地声から連想するのは無理があった。
「そんなフォローはいらないよ、イナコ。私はドロップに命を懸けているというか、ドロップである私こそが私なんだ。ドロップを褒められて嬉しくないわけがないぞ。まあ、歌声にも色々加工を施してはあるがね」
「そうなのか。この機械でねえ」
「よかったら見てみるか?」
メグミは余程嬉しかったのか、パソコンの電源を入れて作曲用のソフトウェアを立ち上げた。
「簡単に言えばこのソフトにはドラム、ギター、ピアノ、シンセみたいな基本的な音源、他にもバイオリンとか金管楽器とか、無数の音源が入っていて、キーボードでそれらの発音タイミングや長さをコントロールするって感じだ。その他、リバーブとかディレイみたいなエフェクトを使ったりして調整して、んでこれも難しいんだがイコライザーやコンプレッサーを使ってミックスするんだ。いやーそんでもってこれは……」
専門用語をマシンガンのように撃ち放っているが、一同はポカンとするばかりで、誰の心にも命中していない。ただ、プロ級の技術を持って作曲をしているのだろうということは、素人目にも理解できるものだった。
イナコは、キセキ達がメグミの正体を知っていながらここに来たのは、メグミに自分達の作曲家になってもらうよう打診するためだろうと、ここで勘づいた。そのために、今最もメグミが心を開いているであろう自分がその役割を期待されていることも予見した。
話を聞いていないことをメグミに悟られないよう、細心の注意を払いながら、ユキの顔に視線を移す。すると案の定、ユキは目線でイナコに『いけ。やれ』というサインを送っていた。数ミリだけ肯く動作を見せた後、意を決してメグミの方を向いた。
やはりこの子は勘の良い、できる子だと、ユキは誰に話すわけでもなく、改めてイナコに太鼓判を押した。
「お前、学校休みがちなのもこれが原因だな?」
「うぐっ……。ぶっちゃけると、ふと徹夜していたりして、体調管理ができていないのは事実だ。魔法使いとしての未来より、作曲家や歌手としての未来ばかりを想像してしまうんだ。魔法学校の生徒としてはあるまじき発想だから、少なくとも今は内緒にしてほしい。特に先生達には……」
「なるほど。でも私はメグミのことが好きになっちゃったから、学校をおろそかにするような非行には走ってほしくないなあ」
「そんな! そこは何とかお慈悲を……」
イナコは教師に告げ口をするような陰険な女ではないが、相手の弱みを“交渉“の材料に変える狡猾さは備えていた。尊敬するドロップに申し訳なさを感じつつも、降って湧いたチャンスを逃すわけにはいかず、必死に仕掛けを考えた。
「うーん、そこでだな、一つ面白い提案があるんだが乗ってみないか? 校長やサフィー先生からもお墨付きをもらっている生徒活動で、丁度作曲家を募集しているんだよ。作曲をするだけで、先生達の評価も鰻登りってわけだ。一石二鳥だろう?」
「なんだそれは! 是非教えてほしいぞ!」
「おう、それはだな! ……いやな? 私とユキとキセキの三人で、これからアイドル活動をしようって話があるんだ。事情は、まあその、カクカクシカジカで……」
「……なんだそれは? 何か裏がありそうな感じだな。まあ隠さずに教えてくれよ」
急に威勢をなくし、小声になって肩をすくめたイナコから、後ろめたい何かを察したメグミだが、三人のことを応援したいと、前々からいつもの五人グループで話をしていたところだったので、事情を聞くことにした。
イナコは狙って優勢のポジションを取ったはずなのに、メグミの素直な心に負け、土壇場で尻込みしてしまった。メグミに諭され、今日までの流れを隠すことなく洗いざらい話した。
「……そんなわけなんだ。頼む! 私達には、お前しか頼れるヤツがいない! どうか、このとおりだ」
イナコはそう言ってまさかの土下座に至った。とはいっても、八人もいて床にはスペースがなく、ベッドの上で行ったので、社長椅子に座るメグミとほぼ同じ目線だったのが、本気とネタの境目をいっていたようで、シリアスな雰囲気には至らずに済んだ。合わせてユキとキセキもベッド上で土下座する。
「うーん、面白そうだ。頼ってくれるのは嬉しいし、ネット以外の場で腕を試してみたい気持ちもある。ただ、アイドルって普段興味なかったし、私は暗い曲調のほうが得意だから、アイドルっぽい曲作りには全然自信がない。それでもいいのか? やっぱり他のプロとかに依頼すべきなんじゃ」
「いいえ、メグミ。アイドルが明るいポップスだけを歌っていたのは昔のイメージよ。今はロックやエレクトロ、クラブ系やハードコア系、分けだしたらきりがないくらい、多彩なジャンルを歌っているわ。メグミの得意なR&Bがそこにあってもいいはずだし、他のジャンルにチャレンジしてもらってもいい」
流石に、アイドルのことを語らせればユキの右に出る者はいない。的確なアドバイスに、悩める作曲家も決心がついた。
「そこまで言ってもらえるなら、頑張ってみよう。私が作曲、編曲担当。他の皆は? ワカナはおめかしとか手芸が得意じゃないか。アイドルなんだから、服装とかメイクを手伝ってあげたらどうだ?」
「えっ? やあねえ、得意っていっても趣味程度のものよ。そこまで素人集団にするのはやりすぎじゃないかしら」
「いえ、是非ワカナにお願いしたいと思うわ。イナコがさっき言ったとおり、これは生徒活動の一環として先生達に認めてもらっているところもある。生徒だけでプロを揃えることに意義がある」
突然スタイリストに任命されて驚いたワカナだが、場の雰囲気に飲まれてしまったのか、すっかりやる気になっているようだった。
「他の皆さんも応援していただけるとのことなので、これから必要になる課題を見極めながら、色々お願いさせていただきたいと思います。ふつつかな私達ですが、何卒よろしくお願いいたします」
真面目モードのユキが丁寧語で締め、拍手が巻き起こったところで、一旦この場はお開きとなった。




