第十五話 肉食女子のコントを微笑ましく眺める魚食女子
「あっ、皆さん! こっちッスよ~!」
約束の夜六時、ユキとキセキが約束通り寮の食堂に現れると、すかさずメイディーが立ち上がって声をかけた。
夕食はメインディッシュを二品から選び、カウンターで調理員から受け取り、ご飯とスープとサラダは中央に置かれている大釜から自由に盛ってよい方式となっている。今日のメインは『鶏モモ肉のニンニク風味焼き』と『レモン風味白身魚のホイル焼き』で、ユキとキセキは迷わず魚を選び、メイディー達の輪に入って着席した。
「お待ちしてましたよ! あれ、イナコさんは?」
「イナコは五時半までゴッズドアのドモドモでバイトだから、六時半には来るんじゃないかな」
「そうだったんスか! それでしたら、六時半からにしておけばよかったッスね」
「気にしないで。言わなかったイナコが悪いんだし」
メイディー達は三人に気を遣わせないように、あえて先に食べ始めていた。それを見てユキとキセキも遠慮なく食べ始める。
昼食を共にしたとはいえ、まだ全員が完全に打ち解けたわけではない。未だに話の主導権はメイディーとキセキが握っている。
皆がもっと話ができるようにと、メイディーは一番端のお誕生日席に座る配慮をしていた。
「ところでメイディーさん、もう敬語はいいよ。気楽に話そうね」
「ああキセキちゃん、この子は私達にも敬語というか、丁寧語なのよ。この子だけ現役生だから一番若いというのもあるんだけど、中学で体育会系の部活をやってたからかしらね~。何とか”ッス”って喋るのが癖になっちゃったみたいで。あまり気にしないであげて。さん付けもいらないからね~」
「そうなんだ。わかった。改めてよろしくね、ワカナも」
同級生とはいえ、小学生ならともかく、十五歳や十六歳にもなると、なかなか初対面で呼び捨てやちゃん付けまでいくのは難しいものだが、ワカナのキャラクターのおかげでその問題はすぐにクリアできた。
ユキも年上であることをコンプレックスに感じていたが、輪の中に溶け込むにはこのチャンスしかないと、思い切ってお願いをすることにした。
「それじゃあ、私のことも『ユキちゃん』って呼んでもらえるかしら……?」
「もちろんよ、ユキちゃん。これで大丈夫だよね?」
「ありがとう。すごく嬉しいわ。後で来るイナコのことも、そう呼んであげてね。呼び捨てでもいいからね。あの子はああ見えてすごく優しい子だから。心配しないで」
そうは言っても、あの見た目、あの喋り方で、いきなり年下がフレンドリーに呼び捨てなどしようものなら、部屋に呼び出されてシメられるのではないかと、ワカナは恐怖を感じた。ただ、ユキが『優しい子』と言っているのだから、それを無視して一人だけさん付けするわけにもいかない。きっと大丈夫だと、ワカナは自分に言い聞かせた。
「ところで、そちらの人がもしかして、メイディーが言ってたもう一人の?」
「そうッス、キセキさん! メグミさん、ご挨拶を」
「ああ、そうだったね。初めまして、私はメグミって言うんだ。どうぞよろしく」
メグミはそう言ってキセキに笑顔を向けるが、目には大きなクマができていて、可愛らしい顔立ちには不格好な、何とも不気味な雰囲気を醸していた。
「よろしく。具合悪そうだけど、大丈夫なの……?」
「そういえばメグミさん、さりげなくご飯食べてますけど、今日体調不良で休んでたんじゃないんスか!?」
「体調はまだ悪いぞ。悪いからこうしてご飯食べてるんだ」
六人がサッパリ系の魚を食べる中、一人だけメインに肉を選択している。しかも盛られたご飯の高さがお茶碗の二倍、いや三倍には膨れ上がろうかという感じで、三人分食べるとのメイディーの評価はあながち嘘ではなさそうだった。
しかし、座ったままでもわかる背丈の低さは、キセキと同じくらいといったところで、体も太っているようにも見えない。食べても身に付かない人間はいるものだと、最近少し体重を気にし始めたユキが心の内で僻んだ。
そのただならぬ視線を感じたのか、メグミは弁解するように、ひとりでに解説を始めた。
「ああ、何というか、はしたなくてすまない。私は徹夜することも多くて、その分脳が糖分が欲してるみたいだから、ついつい食べ過ぎてしまうんだ。朝のバイキングはフルーツをたくさん取るんだが、夜はないから仕方なく米をね」
「食べても太らないの、羨ましいわね。面白い子だわ」
そう語るユキの目は、笑っていないように見えた。
「徹夜なんて、私やったことないなあ。何かすることがあるの?」
「ああ、まあちょっと趣味とかね。学校のために体力を残しておくべきなんだろうが、そっちが本業くらいに思ってるから、ついつい力が入ってしまうんだ」
「それなんスよ、キセキさん! メグミさんは、ネットではかなり有名なシンガーソングライターなんスよ!」
「あ、おいこらメイディー。人が濁したんだからハッキリ言うんじゃないよ。あとハードルも上げるんじゃないよ」
あえてメイディーがメグミの趣味を明らかにした理由を、キセキはすぐに察知した。三人が喉から手が出るほど欲しかった人材に、メイディーは大きな心当たりを持っていたのだ。
「えっ、メグミさん、もしかして作曲ができるの?」
「ん~、恥ずかしいからあんまり人には言ってないんだが……バレちゃ仕方ないね。まあ、ネットだけで活動してるんだけども。リルリバで『ドロップ』と検索してもらえれば引っかかるよ。全部私が作って歌った曲だ」
『リルリバ』とは最近流行しているインターネット上の動画サイトで、多様なジャンルの動画が投稿されている。プロが投稿しているミュージックビデオなども非常に人気が高い。
ご飯を食べながら行儀が悪いとは思いつつも、キセキは早速スマートフォンで検索し、ドロップという投稿者の動画を再生しようとする。
前奏が隣のテーブルにも聞こえるかどうかという程度の音量で少し流れたところで、メグミが真っ赤な顔で『あああーっ!』という声でその音をかき消し、キセキのスマートフォンを奪って再生を止めた。
「キ、キ、キセキ! き、君は何をしてるんだ!」
「あ、駄目だったの? ごめん、てっきりここで聞いてみていいって流れだったのかと思って」
「何という畜生なんだ君は……。恐れおののいたよ。ひっそり活動してるから、他言無用で頼むよ」
「ごめんね、でもイントロ聞いただけでも、何て言うか、プロみたいな音……音楽詳しくないから、適切な表現が浮かばないけど……とにかく凄そうな感じ」
政治の話をしている時はハキハキしていたが、自分の知らない分野の話となると、まだまだ語彙力や応用力の低さが際立ってしまうキセキだった。
そうこうしているうちに、キセキの背後にはアルバイトを終えてイナコが背後霊のように立っていた。脅かそうとしたようだが、キセキが先に気づいてしまったので、物足りなさそうな顔をしている。
ただ、少し離れた所にいた時点で、イナコの地獄耳は少しだけ流れたイントロを捉えていた。
「キセキお前、ドロップのファンだったのか?」
「ああイナコ、お疲れ。……って、え? ドロップを知ってるの?」
「そりゃあお前、ドロップっつったらサンブックのR&B界に現れた謎の新星って言われてんだぜ。再生数見てみろよ」
キセキは普段からそこまでリルリバを観るほうではないので、再生数に目がいかなかったが、見ると再生数は二十万回を超えている。この数字がどれほどのものかピンとこないが、オススメとしてサイトが紹介してくる他のアマチュア楽曲動画は数百から数千程度の再生数が多く、ドロップはその中で群を抜いていることがよくわかった。
「私、R&Bとかヒップホップとかよく聴くからな。ドロップはもちろんチェックしてるぜ。顔出しせずに、背景のみの動画でこれだからな。実力はピカイチだと思う」
「そのドロップが目の前にいるって言ったらどうする?」
「そりゃあお前、私は今からメシだから、一緒にメシを食うんだよ」
イナコはバイトの疲れからか、キセキの“妄言“をあしらうように深く溜息をつきながら、メグミの対面に着席した。
行儀良く『いただきます』と発声し、メインディッシュの肉を早速口に運ぼうとしたところで、鼻息を荒くしているメグミの視線に気がつき、手を止めた。
「おい、んな見られたら緊張すんだろ……。あれ? 昼には見なかった顔だな」
「イナコ、一緒に食べよう!」
「えっ、ああ……。いただきます」
「イナコ、その子はメグミっていうんですって。仲良くしましょうね」
メグミはイナコの『ドロップがいたら一緒にメシを食う』という要望に直球で応えたのだが、イナコはまったく勘付いていない。
メグミは自分がドロップであることを他人にほとんど言わないとのことなので、おそらく自分のファンと直に会ったことがないのだろう。いかにも興奮した表情を見て、他の六人はそう確信した。
その状況が面白いので、六人は何も言わずに見守っていた。
「お前と私だけ肉なんだな。皆魚なのに。メグミとかいったか、なかなかいいセンスしてるぜ」
「ありがとう! イナコこそ、食べ物も音楽も、素晴らしいセンスだと思うぞ」
なぜかたたえ合う二人。ここまできて素性を明かさないところを見ると、どうやらメグミもこの状況を楽しんでいるようだった。
「イナコ、よかったらこの後、私の部屋に遊びに来ないか?」
「そうだな……今日は打ち合わせとか、どうする? ユキ」
「今日の打ち合わせは中止よ。その代わり、私達もお邪魔させてもらえないかしら、メグミ」
「えっ、構わんが……物が多いから八人は狭いかもしれんぞ。それでもいいかい?」
「もちろんよ」
この時、メグミはただただイナコを驚かせてから、いっぱい音楽談義がしたかっただけで、まさかユキとキセキが、自分に大役を任せられるかもなどと、期待の熱視線を送っているとは思ってもみなかったのだった。
 




