第十一話 MISSION:鬼の校長・レージェを説得せよ その二
追い詰められたユキが校長を含む四人の前で発表した策は、誰もまるで予想だにしないものだった。
「ア、アイドルとか……どうかなあ……なんて」
「えっ、何ですって? ユキさん、もう少し大きな声でお願いします」
聞こえていなかったようだ、良かったなどと錯乱したユキは一瞬考えたが、状況が変わってはいないことに気づくのは数秒もかからなかった。
しかもイナコとキセキの表情は、心なしか固まっているように見える。聞こえてしまったのだろうか。いや、どうせ今から言うしかないのだと、何かを吹っ切るように意を決した。
「私達、アイドル活動をしたいと思います!」
普通の人はこういう時、まず背景や理由を長々と前置きした後で結論を持ってくるものだ。ところがユキは、いきなり結論をもったいぶらずに発表した。
レージェはアイドルというものが何なのかよくわからない。テレビが普及しだした頃から歌手やアイドルというものは徐々に広まっていったのだが、仕事一筋で六十一歳まできた老女には、そのようなものに興じる余裕もなかったのだ。
ただ、結論から言うユキの姿勢が気に入った。レージェもそのほうが圧倒的に理解しやすいと考えている。また、相手に質問の隙を与えるのも話術の一つだ。
「アイドル? 何故そのようなことを?」
「はい! 私達の目標は、自分達のプライドを取り戻すために、自分達の顔が入った紙幣の価値を維持し、現金の廃止を阻止することにあります! そのためには、自分達が国民の皆さんから人気を得るしかないと思ったのです!」
「なるほど。具体的にはどういうことをしたいのですか?」
「はい! 全国各地、人口が多い所でライブや営業活動をして、まずは知名度を上げるところからやっていきたいと思います!」
ユキは直立不動のまま、力強い発声で回答を続けている。対照的に、イナコとキセキは絶句したままだ。ユキがこれほど突飛な案をこしらえていたとは夢にも思わなかったのだ。
「アイドルというのは沢山いるのでしょう。あなた達はその人達に勝てる自信があるのですか?」
「それは……まず私達は今話題になっていますから、注目を浴びることはできるはずです。そこから活路を見出そうと……」
「甘いですね。何でもそうですが、話題性だけで中身が伴わないものは、最初は良くてもすぐに飽きられるんですよ」
レージェの的確な意見に、空元気で回答していたユキの精神力は切れてしまった。反論する材料も気力もない。
レージェが怪訝な表情を見せる。ここでレージェの機嫌を損ねるのは今後の三人の活動に支障が出かねないと、サフィーは純粋な老婆心から助け船を出すことにした。
「校長、ユキさんが覚悟を持って決めた道のはずです。歌や踊りの練習も既に始めているのでは」
サフィーはイナコとキセキの表情を見て、二人はアイドルのことを聞かされていないと読み取った。しかし、ユキがまだ妄想レベルで検討していただけで、何の練習もしていないことは読めていなかった。歌の一曲ぐらいは用意していて、それを披露できずにレージェから否定されるのは可哀想だから、チャンスをあげたいと思ったのだ。
「ふむ。確かに見てみないことにはわかりませんね。どんなものなのか、見せてもらえますか」
「えっ、今ここでですか……?」
場の雰囲気からこの展開は読めていたユキだが、少しでも時間を稼ぎたかった。何とかこの場をしのぐための戦略を考える時間が欲しかったのだ。
しかし、何も浮かばない。『ちょっと冗談で言ってみただけです』などと言って逃げるのは、あまりに心象が悪いだろう。何が何でも、一つぐらいは芸を見せないといけない場面に思えた。
そうこう考えるうちに数秒が経過し、レージェがしびれを切らした。
「よく知りませんが、アイドルというのは観衆を楽しませる職業でしょう。その芸をお願いされたのに拒むことがあるのですか。少なくともプロ意識がある方なら、そのようなことはしないでしょう」
先程から正論のフルコースで、もうお腹一杯だ。レージェにここまで興味を示されるとは想定外だった。
ユキはそう心の中で悔やみながら、苦しまぎれに思いついた歌を断腸の思いで捻り出す。
「空と海の青に 祝福されて……」
一同の頭にもすぐに歌詞が浮かんでくる。それはなんと、国立第一魔法学校の校歌だった。
ユキは何を考えているのか。あの冷静なユキだ、きっと考えがあってのことだと、イナコは無理矢理気持ちを落ち着かせようとした。しかし、先程のあがりっぷりを見るに、その冷静さはとっくに欠いていて、校歌しか浮かばなかったのだと推測した。
しかし、三人の中には一人、肝の据わった者がいる。戸惑っていたはずのキセキが、迷うことなくユキに重ね始めた。
「「気高きロクシェルの 雲居に望む……」」
そう、三人は一蓮托生。姉の窮地に駆けつけずしてどうするのかと、イナコは思い直した。それに五人中三人が歌えば過半数ではないかと。
「「「由緒も深き ゼアホースの許で……」」」
最初は緊張しかなかったが、三人揃ったことで少し解れてくる。その分恥ずかしさが増してきたのか、色味の違いはあれど、三人とも顔が赤くなってきた。
キセキはチークを塗ったような桃色の頬、ユキはトマトのように赤い頬、イナコは歌い始めたばかりなのに、既に顔全体が蛸のように赤くなっている。
「「「原石磨く 魔法の寵児」」」
校歌は三番まであるのだが、一番を歌いきったところで全員静まった。もういいだろう、許してくれという面持ちだ。
付け焼き刃どころか即興の芸で、あろうことか流行りの歌でもなく、校歌をただ歌っただけ。レージェから呆れられるのは覚悟していたし、何を言われても仕方ないと、三人は諦めていた。
ところがレージェの表情は、意外にも険しいものではなかった。
「ふむ、これがアイドルというものなのですか。まあ、もっと鍛錬を積みなさい。第一魔法学校の生徒として活動をするなら、半端は許しません」
活動方針についてあれだけ疑問を投げかけたレージェが、歌の内容については驚くほど淡泊で、三人は拍子抜けしてしまう。
「前回の進級試験で合格だった科目の授業は、試験にもう一度合格できる自信があるなら、出席免除の許可を出しましょう。ただし、試験で不合格になったら当然落第ですからね」
「やっ……やったー! あ、ありがとうございます!」
三人にようやく笑顔が戻った。
正直なところ、昨年合格した科目の授業をもう一度受けるのは苦痛でしかなかったので、サボりたくて仕方なかったのだ。校長のお墨付きをもらって、晴れて堂々とサボれるのだ。
嬉しくて三人でハイタッチを交わした後、そのまま校長室を飛び出していってしまった。
「あっ、こら! 校長は活動のための欠席を許可したのであって、サボりを許したわけではないですからね! あとまだ話の途中でしょー!」
サフィーの声は届いたかわからないが、三人は振り向かずに駆けていった。
サフィーは校長室の扉を閉め直し、レージェの顔を見た。その目は優しかった。
「校長……どうしてあんなもので活動をお認めになったのですか? 歌はお世辞にも上手くはありませんでしたし、アイドル路線で彼女達が一世を風靡するのは難しいかと、少なくとも私にはそう見えましたが」
「いやねえ……私も歳をとったものです」
「はあ……?」
レージェは遠いどこかを見つめるような目線で語りだした。
「私もね、今は国から出向で来た校長の立場ですが、この学校の卒業生なのですよ。もう四十年以上も前のことですけどね。仕事に追われてそんなことすら忘れていましたが、彼女達がそれを思い出させてくれたのです」
「はあ……」
「普通、アイドルといったら流行りのポップスなんかを歌うでしょう。それぐらいは私にもわかります。そんな中、彼女達は我が校の校歌を選んでくれたのですよ」
「お言葉ですが、ただそれしか浮かばなかっただけかと。又は誰でもわかる曲として選択したのかも」
「それならもっと有名な童謡なんかもあります。それでも校歌を選択したのは、彼女達がこの学校を愛してくれている証なのですよ」
サフィーは三人に期待を裏切られ、質の低い校歌を聞かされたことから、レージェに活を入れてほしかったのだが、予想と反してレージェはべた褒めで面白くなく、つい口答えをしてしまった。
校長に対して失礼な物言いだったかと顧みたサフィーだが、校長の笑顔を見るに、叱咤される心配はなさそうで安堵した。
「それはそうと……」
安心したのも束の間、ギクッと身震いするサフィー。しかしレージェの目線は、サフィーでなく三人が走り去っていった方を向いている。
「あのままでは他のアイドル達の中で埋もれてしまうのも事実でしょう。歌だけでなく、あの子達にしかないアピールポイントがないと……」
「他のアイドルにないアピールポイント、ですか……。あの子達にそんなものが?」
「サフィー先生。あなたは何の学校の先生をしているのです?」
サフィーはハッと気づかされた。三人の魔法は、魔法学校の中では見るに堪えないレベルだが、普通のアイドルに使えないものであるのは間違いない。
「校長、私早速、彼女達に助言してまいります」
「助言だけでなく、彼女達を最後まで導いてあげなさい。生徒指導のお仕事の一つですよ。よろしくお願いします」
導けというのは、アイドルのプロデューサーにでもなれということなのだろうか。そんなことまでやらなければいけないのかと、生徒指導の仕事を引き受けたことを激しく後悔した。不良もいないお嬢様学校で、せいぜい居眠りしている生徒を叩き起こすくらいのものだと高をくくっていた。
レージェに一礼した後、校長室から退室し、聞こえないように一言呟きながら三人の後を追いかけた。
「プロデューサーだったら、校長のほうが素質ありそうなのに……」




