第十話 MISSION:鬼の校長・レージェを説得せよ その一
サフィーの背中を追いかけて、三人はただ無言で歩き続けた。三人には昨年散々叱られたサフィーの印象が強く、無用な声掛けは危険と結論付けていたからだ。
教室から校長室まで徒歩二分はあった。先程あれだけ庇ってくれたサフィーだ。本当なら校長と話をする前に、事情を伝えたり、感謝を述べたりすべきはずだ。そう心ではわかっていながらも、歩きだした最初の数秒で誰も声を発せなかったので、その後の第一声を上げるのが躊躇われたのだ。
サフィーもサフィーで、生徒が困っているのだから場を取り持てばよいのだが、三人の心境を慮ると、事実を聞いても傷つくか、慰めの言葉も傷つくかと、何も声を掛けられずにいた。
校長への報告の仕方を考えるのに頭が一杯だったということにして、自分への言い訳に納得しつつ、校長室の扉を三回ノックした。
「どうぞ」
サフィーに連れられて三人も入室した。校長室に入るのは、進級試験で三人とも熱伝導魔法の威力を制御できず、周りがフライパンで調理をする中、フライパンの上に大きな炎を上げてしまい、天井の一部を焦がした時以来だ。
それまで散々激怒されてきたので、またどやされると思ったら、その時の校長はやけに冷徹で、早々に帰してくれたのを覚えている。ただその翌日、書面で進級不可の通知が書面で三人の寮の部屋に投函されていたから、あの事件でついに見限られたのだろうとわかった。前代未聞だというのに、それ以降校長と直接話す機会も与えられなかったのだ。
「ええ、それでは。また何かあれば。はい」
レージェ校長は入室を促したが、まだ電話中だった。ガチャリと強めに受話器を置いたところを見ると、怒っているんだろうということは何となく入室した四人にも察知できた。
魔法学校間のやり取りは、今も魔法使いらしく伝達魔法を用いるそうだが、それ以外には通用しないので、電話を使うのは普通のことだ。
「失礼しました。丁度あなた達のことで総務省の人と話をしていたのだけれど、もう終わるところでしたから」
総務省の人間と聞いて、咄嗟に『アルペイですか?』と聞きたかった三人だが、ご立腹の鬼を刺激せぬよう、傾聴に徹することにした。
「さてサフィー先生、ご用件は……と、意地悪するのはよしましょうか。わかっています。記者が押しかけた件ですね」
「左様でございます。彼らは授業の取材に来たということですが、目的を問いただすと、この三人への取材であったと。校長に許可を得たとのことで、強く追い返せなかったのですが……」
本当は自分に断りもなく入室を許可した校長を問いただしたかったサフィーだが、レージェに対しては強くものを言うことができないので、丁寧な敬語で事実だけを述べた。
レージェ自身が自分を敬うよう部下に強要しているわけではないのだが、国立魔法学校の校長は国から天下りで配置されるポジションでもあり、昔から知る人物でもないので、教師陣の多くは、敬意を払うというよりは、トラブルにならないように付き合うことを心がけていた。
「あなたに事前の相談もなく入室を許可したのは謝ります。今朝いきなり総務省から電話があって、校内の取材を許可しなさいと。そこから色々と押し問答があったのですけれど、結局認めざるを得なくなり、電話を切ったのです。するとその直後、彼らが束になって押しかけてきたのですよ。不思議ですよねえ。まるで省の人が彼らにゴーサインを出したように」
「校長、そのことでございますが、先程彼らと話した中で、総務省のアルペイという人物との関わりが暗にでてきたところであります」
「アルペイ……先程の若造ね。狸だったというわけですか。私も舐められたものですね」
アルペイがレージェに取材許可を持ちかけていたことがわかったが、それは三人にとって既知の事実だった。
「メディアの連中が国の人間と繋がってるなんて、よく漏らしましたね。彼らは機密情報を守る術に長けているものと思っていましたが」
「それは私ではなく、この子達の功績でございます。この子達がメディアの者共と掛け合って割り出したのです」
「この子達って……この三人がですか?」
何とも怪訝な、不満そうな顔で三人の方を見るレージェ。
国立第一魔法学校を主席卒業して文部省に入庁し、順当に出世も果たしたエリートのレージェには、失敗ばかりする三人の気持ちがわかるわけもなかった。
三人は三人なりに努力しての結果なのだが、できないのは努力が足りないからだと断定し、自らも根気強く指導してきた。しかし最近は呆れてしまい、直接指導の機会もなくなっていた。
レージェが嫌な顔をしたまま一切言葉を発しないので、流石に三人も黙っているわけにはいかなくなった。慎重派のユキ、乙女メンタルのイナコと比べて、こういった気まずい空気でも比較的行動を起こせるのがキセキだ。少し飄々とした、独特の雰囲気を持っている。本人もそれを自覚していながら、それでも関係なく切り込めるのは、一種の度胸ともいえるだろう。
「そんな、駆け引きとかがあったわけじゃないですけどね。アルペイさんの名前を知ってたから出してみたら、向こうの対応が不自然で、そこから墓穴掘っちゃったって感じです」
教師達とは違い、生徒はレージェに対してそこまでかしこまった敬語は使わず、他の先生と同じように話す。レージェは生徒が寄ってくるのを悪く思ってはいないようで、接し方に難癖をつけることもないが 、笑顔で応えているところも見たことはない。
「あなた達はアルペイさんとお知り合いなのですか? ああ、そういえば先日、紙幣の肖像画の件で議会に呼ばれていたんでしたね。そこで会ったのですか」
流石の洞察力に三人は感心したが、それと同時に、今までその件についてのフォローが一切無かったことについての歯痒い思いが沸き起こってきた。議会への参加で授業を欠席することについても相談したし、その結果紙幣の肖像画に採用されたことも報告しに行ったのに、理由などの内容については触れてももらえず、あっけなく帰されてしまった経緯があった。
「そうです。そこであの人に、私達が魔法学校の落ちこぼれであることを利用して、現金の価値を下げていくと、そう聞かされたんです。それなのに校長先生は、私達に何も聞いてくれなかった」
おいおいそこまで言っていいのかと、ユキとイナコはヒヤヒヤしながらキセキの方を見る。キセキの目は微かに涙で滲み、それを隠すように厳しい眼光をレージェに向けていた。
自分の顔が紙幣に刷られて出回っている現状が、不安で不安でたまらなかった。ここまでは仲良し三人組で話をすることで、頭からその不安の存在を消していたのだが、校長という頼りになるはずの人物が目の前にいて、手を差し伸べてくれないという事実に、少女は耐えることができなかった。
「それは……本当に申し訳なかった」
レージェは謝罪の言葉を述べ、キセキに向かって深々と頭を下げた。教師、ましてや校長が生徒にお辞儀をするなど、通常ではまず考えられないことだ。
「肖像画発表の記事を見て、あなた達が喜んでいると勘違いをしてしまったのです。留年するような生徒が何を喜んでいるんだと。だから話を聞かなかった。他の先生達にもこの話題を出さないよう伝えたのです」
校長とて色々な修羅場を潜り抜けてきたであろう公務員だ。その場しのぎでポーズを取ったのではないかと、イナコが訝しんでレージェの目を見たが、本当に悲しそうに、それこそキセキと同じように目を潤わせていた。『鬼の目にも涙』などと失礼なことを考えたが、そもそも鬼という蔑称自体、正しくない表現なのかもしれないと思わせるぐらい、人を思いやる目だった。
「私も今は出向でこの学校に来ていますが、元は文部省の職員。メディアの人間との付き合いも長い。反体制のメディアは少なく、概ね事実を報道してくれていました。少なくとも、適当な記事をでっち上げるなんてのは、今回初めて聞きました。アルペイという男、聞けば総理大臣の息子と言うが、総務省でそのような輩が暗躍しているとは」
「校長先生、ごめんなさい。先生は知ってて無視したんじゃないかって、私勝手に邪推して……」
「いえ、あなたの気持ちは痛いほどわかりました」
キセキもレージェの涙を見て、レージェに対する見方が変わったようだ。
「最初、取材許可を出せと言ってきた時『我々は学校だから文部省の監督下であって、総務省から依頼するのは越権行為なんじゃないの』と言ったのだけれど、アルペイは『今後、魔法を改めて成長産業にしていくために、魔法学校のことをメディアに取り上げさせて、国民の関心を高めたい』って、もっともらしい理由を付けてきた。この理由を言われちゃったら反論できない。ここは国立の学校だし、これ以上楯突くのも難しいの」
「流石にアルペイさんは用意周到でしたね。彼の狙いは、まずは新紙幣を記事にさせて三人の知名度を上げて、魔法学校での失態を記事にさせて三人の信用度を落とし、紙幣の信用度を落とす。概ねこんなところではないかと私は踏んでいます」
「なるほど、総務省の予算資料にも挙がっていた『キャッシュレス推進施策』、あれのために現金の信用力を低下させるつもりなのですね。随分と姑息な手を」
涙声のキセキに変わってユキが校長に進言したが、その内容を瞬時に把握したどころか、総務省の事業にまで目を通している博識さに、三人は頼もしさを感じた。この人は必ず味方に付けたいと思った。
「それで、あなた達は何か策を考えているのですか。私はてっきりあなた達が喜んでいると勘違いしていた馬鹿者ですが、今の話を聞く限り、その汚名を返上したいと考えているのでしょう?」
「あっ、いやそれは……」
涙を流していたと思ったのも束の間、レージェはまたいつもの表情に戻って、三人に淡々と問いかける。それもズバリ核心を突いた質問だ。
レージェの中で三人の評価は最下層で、誰が一番“マシ“などとは考えていないが、最後にそれっぽい発言をしたユキの方を向いている。
そう、ユキは今朝通学時に何かアイデアを持っていそうな雰囲気だった。イナコとキセキは、まさか何も思いついていないなどとは言えず、縋るような目でユキを見た。
突然多くの視線を浴び、顔から火が出そうな思いをする中、ユキはその策を披露せざるを得なくなった。




