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伍 ちょっと待てよ。

「お、おい待てよ巴!」


 慌てて立ち上がり、鳥居の向こうへ歩いていく巴達を追った俺の視界に広がるのは――祭囃子に盛り上がる賽の河原。

 想像できるか? 死人の魂がやっとこさ山を越えて来たら、今度は奪衣婆だの懸衣翁だの呼ばれてるジジババに身ぐるみ剥がされちまうって話が、てんで違うんだ。

 河原に沿って屋台がずらあっと屋台が並んで、行き交う人々は皆綺麗な服で楽しんでやがる。

 何なら頭に角生やした鬼らしい奴だって何匹もいやがるし、家族連れまで。


「相も変わらず騒がしいままじゃなあ」


 とは葉月曰く、八月の間はお盆って事で祭りで賑わうって事だったが、二か月経った十月の半ばの今でも騒ぎは収まらないらしい。

 ぐるりと辺りを見回せば、背後には天をも貫く山――死出の山、だったか――が堂々と鎮座しており、その山肌には紅白の花が満開だった。

 山頂から一本の道がずずいっと麓まで伸びており、道を囲む全てが曼殊沙華で埋まっている。壮観だった。

 木の一本も生えてなけりゃ地滑りでも起こしそうなもんだが、その現実離れした光景こそ、ここがあの世と分からせるに足るもの。

 くたびれたスーツを着てキョロキョロしてる俺を見かねてか、巴が「落ち着かないおじさんですね」と嫌味を吐くが、言い返す気力さえ湧かねえ。


「な、なぁ……巴よぉ、ここ本当にあの世か? 三途の川ってやつなのか?」


 いつの間に履いたのか、俺は薄汚れた革靴で河原の砂利を踏みしめて声を掛ける。

 すると、巴は盛大に溜息を吐きながら、そうですよ、と口を開いた。


「本来なら死出の山を越えてからこの三途の地を踏まないといけないんです。今回は特別ですからね」

「生きたまま来ても大丈夫なのかよ、なあ」

「大丈夫ですよ。寧ろ生きたまま死出の山を越える方が危険です」


 そこは巴の言う通りだった。もう一度振り返ってみれば、聳える山の頂にある社には雲がたゆたって見える。酸素云々の問題じゃねえ。


「巴は越えたがの」

「うっそだろ……」


 九が誇らしげに紡いだ言葉を、巴が小声で「それはいいの」と伏せる。

 それから、三人は俺を置いて賽の河原を進み、川にかかる広く長い橋へ向かった。

 行きがけにすれ違う人々に視線をやりながらも、知識とは違う光景に、俺は質問ばかりしていた。


「奪衣婆とかいねえのな」

「いませんよ。その元となったであろう人はいますが、人の衣服を取る事はしません。〝買い取り〟はしますが」

「買い取りぃ? んだそりゃあ」


 俺の質問に答えるのはもっぱら巴で、横にいる幼女達はただ姉の言葉に相槌を打つばかり。


「この川を渡るのに舟が出ています。橋は長いですし往来も多いですから、舟で行く方が楽なんですよ。舟に乗るお金が無い人の為に、立江という人と、玄一と呼ばれる二人の管理者が営んでいる店に服や物を持ち込むんです。すると買い取ってもらえてお金がもらえます。そのお金で舟に乗って楽が出来る……奪衣婆や懸衣翁なんていう人間道に伝わっている話は、大体が昔の人達が政治なんかで人々を取りまとめる為にねじ曲げた話だって聞いてます。もちろん、これも人聞きなので確証は無いですが」


 つらつらと語る饒舌さに俺は感心して、もっと話が聞きたくなってしまう。道行く人らから巴に目をやり、早足で横に並ぶ。


「じゃあ、三途の川を渡った先の十王審判ってのは?」

「十王審判、じゃなく〝審査〟と言う方がしっくりきますね、私は。生前からの罪を見るんじゃなく、生前そのものを見るんです。そこで、どの道へ割り振るべきか会議にかけられるんだそうです」

「会議にかけられる、か。確かに審判っていうより審査だわな。んでもよぉ、七日と二十七日と……って一人に対して話し合いがえらく長いじゃねえか」

「一人なわけ無いじゃないですか。日を置きながら少なくとも数百、多い時には数千人を一気に会議にかけて道を決めてるらしいですし、それくらい死人が出てるのも分かるんじゃないんです? 大人なんですから」

「巴、お前って俺に当たりきついな?」

「別にそうでもないですよ」

「きついって」


 冗談交じりではあるが、ふと巴の語り口に違和感を覚える。


「〝らしい〟って事は、詳しい事は知らねえのか?」

「あー……」


 巴は、はっとした後に気まずそうに言葉を濁した。

 その代わりに今度は九が声を紡ぎ出す。橋に差し掛かり、そのまま踏み込んでいきながらの会話。


「かいつまむが、人間道を含む六道は、ついこの間まで滅亡の危機にあったんじゃよ。ある事件がきっかけでな。お主がいけしゃあしゃあと生意気な口をきいておる巴こそ、六道輪廻の崩壊を防ぎ、その原因すらも救った――人として生ける神なのじゃ。六道を救ったとて知識を全て有しておるわけではない」

「それ……嘘じゃねえんだよな。ここまで来てそんなジョーク言うはずもねえし」

「偽るわけ無かろう。九重衆からも聞いた通り、今やこの六道はワシら三姉妹を頂としておるのも事実。じゃが、ただ名を置いておるだけ……ここでの巴はアマテラスという天道の神々のその上に座す神、ワシは武神が頂点のスサノオ、葉月は神々をとりなす均衡たるツクヨミとしての。有事の際には名を以てここに顕現するという約束があるが、よもやよもや、すぐさま権威を振るわねばならん時が来ようとは思いもせなんだ」

「九重さん……じゃなくて、その九重衆ってのが、お前らの部下ってわけか」

「左様。九重衆一人一人にも名があっての、お主が九重さんと言うて懇意にしておるのは巴に一番最初に声を掛けられた者。名を〝へい〟と申したか」


 空中に向かって指を滑らせて文字を書く九。炳とは、光り輝く、明らかにする……なんて意味だったか。まぁ、それはいい。

 小難しい話のお陰でここに来た理由を忘れかけていたが、閻魔に会って事情がどうなってんのか訊くんだったよな。

 そこから声は途切れ、橋を渡っていく。先には、巨大な石造りの建物が見えた。

 これまたとてつもなく馬鹿でかい石扉の前には牛の頭と馬の頭の半人半獣が槍を持って突っ立っていて、巴達の姿を見るや否やざっと片膝をつき、頭を下げる。


『アマテラス様、お会いできて光栄至極――審門へはどのようなご用向きでござましょう』


 牛がゴズで、馬がメズだったと思うが、確かこいつらって地獄にいる鬼だったよな……何でここにいるんだ……?

 なぁんて疑問が浮かんだが、その前に常識を抱えた理性が疑問をぶん殴って〝牛と馬の頭を持ってる人間がいる事に驚け〟と脳みそを怒鳴りつける。俺の脳はとっくにパンクしてたんだろう。ゴズが流暢な日本語を喋ろうが驚きもしねえ。


「エマさんに会いに来ました。通りますね」

『只今、十王会議の最中にございます故、アマテラス様のお手を煩わせて申し訳ございませんが、もうしばしお待ちを』


 メズの申し訳なさそうな声音に、巴はふむと吐息を漏らす。


「いつもの会議ですか?」

『っは、我らは門番。会議の内容までは分かりかねます』

「んー……急ぎの用事なんですけど」

『申し訳ございません。我らも職務でございます』

「じゃあ……」


 巴は幼女達からぱっと手を離し、踵を返した。

 なんだ、案外ルールはきちんと守るんじゃ――。


「開門」


――そんな事無かったわ。全然そんな事無かったわ。

 巴の呟き。この三途の川へやってくる時も聞いた文言から起こる現象。

 またも空間を無視する形で真っ赤な鳥居が地面からどんと生えて、向こう側には別の空間。

 そこはまさに会議室といった風景で、鳥居が出現してから、わっといくつもの声が飛び出してくる。

 殆どはドスの効いた男の声だが、一つだけきんきんとうるさい女の声があった。


『エマよ、お主がしておる事はアマテラス様のお怒りに触れる事だ! 人間道に介入するならばもっと慎重にせねば――』

「そんな事を言っている余裕は無いのです! 因果が解きほぐされたからこその現象……人間の御霊が意味を持ったまま、明らかに一方的な形で別の御霊を傷つけるなど言語道断ですよ!」

『その通りだが、しかし、だからと言ってエマの権限で強硬に及ばずとも別のやり方があったはずではないか』

「ですから、それでは間に合わないかもしれないのです! 人間道では悪霊と名付けられ、特殊な意味を持ち始めています……それが大きくなる前に、原因となった御霊を探し出し六道へ連れて行かねば、〝黄泉の穢れ〟が再来している事と同義です!」

『っ……し、かし……だな……』

「今こそ! アマテラス達が救った六道を、今度は我々が救わねば――」


 鳥居の向こうでは円卓を囲むスーツ姿の老体が九名。一際目立つ若い女は、黒いスーツの胸元をぱっつぱつにして、フチなし眼鏡が鼻から落っこちる程に円卓をばんばんと叩きながら熱弁していた。

 ぴったりとまとめられた黒髪を止めていたピンらしきものが激しい動きに外れてしまい、肩よりも下まで伸びた髪が乱れた。

 同時に荒い呼吸を吐き出して周りの老体を見渡した女の視線が――円卓の外れにぽっかりと口を開けた先の俺達へ向く。


「――なら、な……い、のです……」


 尖った言葉の刃は鳥居を通る事無く折れてしまった。

 代わりに、巴の凛とした声が円卓にいる女へ飛来する。


「……エマさん。詳しいお話、聞かせてくれますよね?」


 ただ無表情に、軽い声音で言っただけというのに円卓を包んでいた空気は一変し、老体は皆座ったまま頭を下げた。

 一人立っていた女は唇を震わせて「あ、ち、違うの、違うのよ、巴さん」と言うも、巴はお構いなしに鳥居をくぐっていく。

 俺もそれについていくが、場違いな気がしてきた。大丈夫かこれ。


「何が違うのか、聞かせてくれます?」

「あ、いや、ちが、あの……」

「〝黄泉の穢れ〟の再来とか、原因となった御霊とか……詳しく」

「ぉ……は、はいぃ……」


 先ほどまでの威勢は一瞬にして消沈し、エマと呼ばれた女――おそらく、こいつが閻魔だ――は、すとん、と座椅子に尻を落とした。


「あの、巴さん……話す。きちんと話すから、横にいる、その人……」


 エマは大袈裟なくらい震える手で俺を指した。


「えー、と……今の悪霊とかいう話に関係する人です」


 まぁ、そうだな。確かに俺は悪霊をあの世へ叩き返す祓い屋だからな。

 うんうん、と頷いてみせれば、エマは目を剥いて「まさか、巴さん……こうなる事も、予想して……人員を連れて……?」と言う。


「そんな所です」


 嘘つけ。それは違うだろ。

 俺が突っ込む前に、エマは助かったという安堵と、ここからどうすべきかという焦りの二つを混ぜた微妙な顔で話した。


「人間道から三途の川へ移動しない御霊が、悪霊化していってるの。それで、他の御霊を傷つけ、意味を貪っている……」

「意味を貪って……って?」

「御霊に刻まれた意味を〝喰らって〟他の御霊を消しかけているのよ。まだ完全に消え去った御霊はいないみたいだけど、死出の麓の向こう側が意味を食われて動けなくなった御霊で溢れかけてる」


 話を聞くだけでやばい事になってるのは分かる。


「九重衆の殆どを死出の山へ向かわせて、回収させているのだけど……どんどん増えて、間に合わなくて……それで、人間道のどこかに存在する悪霊の大元を捕まえなきゃって会議を、今……」

「……なるほど。人間道に悪霊の親玉がいるわけですね」

「わ、分かりやすく言えば、そう、だけど……?」

「なら大丈夫です。悪霊退治に特化してる人がここに居ます」


 巴、九、葉月が一斉に振り返り、俺を見る。

 待て。ちょっと嫌な予感がするぞおじさん。


「その人間が……?」

「そうです。この人こそ、人間道の悪霊退治を一手に引き受ける――京秋良という、祓い屋です」

「巴さんが連れて来たって事は、じゃあ……!」

「私達と、この祓い屋さんで――何とかしてみせましょう」


 ぐっと拳を握った巴。

 俺はどうしたのかって? そりゃあ、こんな頼られてるんだから、もちろん俺はこう言ってやったさ。








「ちょっと待ってもらっていいか?」

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