壱 祓い屋
祓い屋――耳にした事はあるだろうか。
昔は色々な名称を持っていた、日本に限らず世界中にある、れっきとした仕事の一つ。
エクソシスト、退魔師、祓魔師……その他諸々。
そんな職業に就く者達の仕事は読んで字の如く、魔を祓う事にある。
現代の日本では、端的に人に取り憑いた悪霊を祓ったりする仕事だ。
類似していると良く言われる仕事に呪い屋なんてのがいるが、ああいった類の呪術師とはわけが違う。
あれは呪いをかける専門で、解く事に関しちゃ自分の呪い以外だと滅法弱い。祓い屋はそんなもの関係なく、退散させる。
悪霊退散――そう、俺の仕事は、この世に蔓延る悪霊どもをあの世へ叩き返す事だ。
***
「ここが、例の屋敷かい」
「……はい」
俺の声に、暗い表情の依頼者――佐上、という二十代の女だ――は、実家らしい大きな屋敷を前にして、今にも嘔吐してしまいそうな顔で口元を抑えて返事した。
師走に片足を突っ込んだ十一月、霜月。
某所にある山村に集められた俺を含む霊能者十数名は、眼前の建物を見上げてゴクリと喉を鳴らした。
古めかしい日本家屋に広大な敷地、山々に囲まれたそこは一見して静かで住みやすそうではあるが、立ち込める雰囲気は重苦しいなんてものではない。
この屋敷は――呪われている。
先祖代々受け継がれてきた屋敷らしいのだが、依頼者曰く、ある日を境に怪奇現象に見舞われ始めたらしい。
屋敷を中心とした小さな山村からは、その呪いを恐れて殆どの村民が出て行ったとの事だ。
しかし、出て行った村民は全て死亡したと聞く。
無論、俺もこの依頼を受けてから事前調査したが、嘘は一つもついていなかった。
興信所を使い、村民の足取りを調べてみればすぐに判明した。
この山村出身者はあまりにも不自然な死を遂げている。ある者は事故死、ある者は健康だったにも関わらず突然の病に急死、ある者は遺書さえ残さず自殺。
「皆様にもお伝えの通り、この村は小さいですが、温泉もございまして……それで村興しをという矢先に、こんな事に……」
集められた霊能者の一人、小太りの女が依頼者に向かって両手で数珠を擦りながら訊く。
「佐上さん、ここは本当に呪われています……が、こんなにも強大な恨みは見たこともございません。今は同業者を蹴落とすなんて考えている場合じゃありませんから、ここにいる霊能者全員で、事にあたります」
その言葉に頷く全員。無論、俺だって頷いた。
それだけこの屋敷には強大な呪いにかかっている。普段ならいがみ合う祓い屋同士でも、休戦の申し出が無くとも手出しを控えるくらいに。
「構いませんわね、特に……京さん」
小太りの女がちらりと俺を見た。
「ああ、今は冗談言ってる場合じゃねえやな。俺も賛成だよ……ここは流石にヤバ――」
俺の言葉を遮ったバスの音。
どこのどいつだと周囲を見れば、集められた面々も屋敷にやってきたバスを見た。バスが停車し、三人組が降りてきた。
一人は女子高生で、もう二人は……小学生か?
「求人見てアルバイトに来たんですけどぉ……温泉が無料って言うんで……」
さっさと走り去っていったバスを見送った女子高生が求人誌を持ち上げて言うと、依頼者は目を剥きながら「何で女子高生が……」と呟く。
「この屋敷が温泉宿になってるんですかね? あの、そんなに予算が無いんで、食事は……」
あまりに危機感の無い三人組に向かって、小太りの女が呆れた顔で言った。
「あのねえお嬢さん、これは遊びじゃないの。ここまで来てもらって悪いけど、仕事の邪魔はしないでちょうだ――」
「え? あれ……ここ、温泉宿の短期の住み込みアルバイトじゃ……?」
「あっ……勘違い、してきたのね……」
祓い屋の仕事は、基本的に〝暗号文〟でやり取りされる。もちろん、この仕事もそうだ。
温泉宿のアルバイト求人に見せかけて、数字を不自然にすることで暗号とするのだ。その暗号を解けば、依頼者に繋がる。
それを普通の求人だと勘違いしてくる奴もいるが、今回のはまさにそのパターンと言うべきか。
「あー、お嬢ちゃんよ。悪ぃがこりゃ大人の仕事なんだ。交通費ぐらいなら俺が出してやっから、子どもは大人しくかえんな」
俺はポケットから財布を出し、万札を数枚抜いて女子高生に歩み寄って押し付けようとする。
すると、その横にいた小学生の二人がむっとした顔をした。
「あー……妹か? 姉ちゃんと一緒にここまでわざわざ来たとこ悪ぃな。っつーか、姉ちゃんも姉ちゃんでよ、短期のアルバイトに小学生を連れてきちゃ――」
「というか、ここ何だか暗い雰囲気ですね……穢れでも残ってるのかなぁ……」
「……おい、お嬢ちゃん。あのな……これは、遊びじゃねえんだ」
こういうのも良く居る。
巷やネットじゃ、中二病っていうのか? 自分に力があると思い込んで、特別を演出したがる奴だ。穢れってなんの話だっつうの。
神の加護があるだとか言って、かっこいい自分に酔いしれる遊びなのか何なのか良く知らないが、ここに居て危険なのは確かだ。
俺達のやり取りに依頼者が不安な顔をしているのに対して、俺は安心させるように言った。
「ここでもタクシーくらい呼べんだろ? 何なら、ここに居る誰かが適当に送ってやりゃいい。このガキどもを駅まで送ったら仕事に取り掛かろうじゃねえか」
「ぜ、是非そうしていただけますと……」
依頼者が頷くのに合わせて、小太りの女が溜息を吐きながら片手を振った。
「はぁ……わたくしが送りますわ。丁度車で来ましたから……ほら、お嬢さん達。お小遣いも貰ったんだから、アルバイト代として持って帰りなさ――」
えっくしゅん!
女子高生がくしゃみをした。
だからどうしたって? いや、それだけだ。
くしゃみをしただけ。ついでに言えば、俺が押し付けようとした万札を突き返しつつ、だ。
「あ、あれ……?」
それよりもやばいのは、くしゃみをした後の事。
依頼者の表情がふと和らぎ、背後にある屋敷に振り返る。
陰鬱な雰囲気や、呪いによって発生していた重苦しさが嘘だったように消えて、挙句、依頼者の全身を覆っていたはずの〝瘴気〟さえ失せている。
「お、おい……何が、え……あぁ!?」
依頼者が目を白黒させているうちに、女子高生は、ずび、と鼻を鳴らして首のマフラーを掛けなおし、妹らしい二人が被るもこもことした帽子の位置を直した。
「ほら、寒いからちゃんと被ってなきゃだめだよ」
「そこまで寒いとは思わんが……まあ、巴が言うなら」
「姉上ぇ、それより腹が減ったんじゃがぁ……」
「うんうん、宿に入ったら何か食べようね」
おい、待て。待て待て待て!
まさかこいつ……今のくしゃみで、呪いを消し飛ばした――?
集まった霊能者どもも、俺も目を丸くした。
その間に女子高生は依頼者に向かって話しかけてやがる。
「一応数日って話らしいですけど、詳細は現地集合してからって書いてあったんで……この土日だけって、可能ですか……? 一応、両親には伝えて来たんですけど……」
「え? あ、あぁ……は、はい……そうです、ね……では、今日から日曜の朝までということで……給与は帰りに――」
「待て待て! おい! 待て! ここの! 呪いはどうすんだ!? 俺達はそのために集められたんじゃねえのかよ!?」
思わず叫んだ俺の言葉に、女子高生が納得したような声を上げた。
「ああ、呪い……それで暗い雰囲気だったんですね。それで、あの、食事の方なんですけど……」
構わず飯の事を話し始めたのを止める俺。当たり前だろ、何なんだこれは。
「おうガキ! てめえの飯の事なんざどうでもいいんだよ! 今のは何だ!? 何百年って蓄積されてたかもしれねえ呪いが……今お前! 何を――!」
俺が叫ぶ中、他の霊能者達はぞろぞろと踵を返していく。
「ま、待てよお前らも! おい! 呪いはどうすんだ!?」
すると、うち一人が振り返って「悪霊を祓う、呪いを解く……これが私達の仕事だ。呪いが無いなら用は無いだろう」と言ってそのまま帰っていってしまった。
その他の霊能者も同様の意見らしく、あっという間に取り残される俺。それと女子高生と、女子小学生二人。
「と、とりあえず、宿を案内します……食事は、まかないという形で出しますので。そちらの、妹さん? の方も……」
「本当ですか!? 良かったぁ……ラッキーだね!」
女子高生の声に、ヘンテコな喋り方で声を返す女子小学生達。
「そうさなぁ。ま、飯が無ければ飯時だけでもサンズに顔を出そうと思ったが、移動せんで良いなら楽じゃな」
「わしもそう思うておったところよ。姉上と一緒に食えるならどこでもいいんじゃが」
「なっ……なん……こいつら……」
この女子高生と女子小学生――いや、こいつら――力はある、らしい。
それよりも。それよりも……だ。
「お……お、俺の……」
寒さに震える身体だったが、中から湧き出る熱で額に汗が滲む。
なんだこいつ、みたいな表情で俺を見てきやがるガキどもに向かって、俺は渾身の力で怒鳴りつけた。
「俺の仕事を取るんじゃねえよぉおお!?」
これは、フリーの祓い屋たる俺、京秋良が――とんでもない三姉妹に振り回されていく物語だ。