つきとはなむぎ
ああ、今日も死ねなかった。
日が昇る前に出勤して昼飯抜きで終電までぶっ続けで働き続けることにも慣れてしまった。空腹、というものを忘れた体は休日にすることがないおひとり様の唯一の楽しみとして使う当てのない金を美味しい食事に充てようとしても、消化の仕方すら下手になって毎回おなかを壊してしまう。結果、食に対する気力は消失した。
リソースを次に分けようと思ったのは、ネットで見かけたソシャゲ。終電を逃して孤独に帰宅する夜道、くまの濃いガリガリに痩せたモブ顔女が歩きスマホをしていても変質者どころか強盗犯すら避けて通るだろう、と捨て鉢で安全など二の次の歩きスマホでゲームに時間と金をつぎ込んだ。
結果、実装された金枠のキャラクターをほとんど揃えてフレンド申請の通知が止まないときはウハウハだったけれど、そのゲームを運営する会社が潰れた。わたしが何百万つぎ込んだところで、大きな会社を養えるわけではない、と当たり前のことを知って、ついでに何の形も残らなかったな、と気づかされる。
では、形に残るものにしよう。
次に目を付けたのは、街に落ちていた少年を拾って育てることだ。
金髪碧眼の、王子様みたいな子供。拾ったときはゴミ捨て場で泥だらけで薄汚れていたから、目の色しか判別していなかったけれど。
異国の血が混じっているのか純正か、学力の低い私には出身国も特定できない空耳もできない言葉だけれど、彼の中性的、どちらかといえばかわいい容姿から紡がれる、バリトン歌手みたいに低い声音が心地よくて好き。まくしたてられたり俯きがちに零される声、全部好き。
良い拾い物をしたなと思う反面、未成年誘拐、という文言も脳裏に浮かんだ。浮かんで、いた。
「お姉さん、ちょっといい?」
少年を拾って、半月が経った頃のこと。
深夜に近い時間、駅まで迎えに来てくれた少年にせがまれてコンビニで肉まんを買いに行った日。入り口の肉まん100円ののぼりを引っ張っていたから目当てはそれかと思えば、その隣りのハート型チョコあんまんをねだられた。店を出て、渡したそれを無邪気に半分に割って、差し出してくる笑顔が眩しかった。
そのとき、背後から声をかけられてビクリと震える。とうとう見つかったか、という思いと破滅願望のある自分だから、別にどうなってもいいじゃないかと課金しまくっていた自堕落な自分が囁く。少年はこれから児童相談所なり交番なりで、本当の家族に会うんだろう。わたしの帰りを猫みたいにずっと待って、花が咲くような笑顔で迎えてくれる彼はもう、いなくなるんだと。それだけを残念に思いながら振り返れば、
「若い女の子がこんな夜更けに、危ないですよ。ワンちゃんの散歩なら、早朝とか夕方になさい」
年かさのお巡りさんに怒られて、は?、と間抜けに固まっていると少年の方を向いて、でれっと笑う。
「うちも飼っているんですよ、大きなワンちゃんですね。柴犬ですか?」
よしよしと撫でるのは、少年がいたところに大きな、柴犬や秋田犬が金色の毛並みを持った感じの、大きさはシベリアンハスキーくらいの大型犬がいた。
お巡りさんがいなくなって、音もなく光もなく、要するにゲームみたいなエフェクトなしに、その犬は気付けば見慣れた少年の姿になる。夢でも見たんじゃないか、と思いながら頭を撫でれば、密がこぼれるような甘い笑みを浮かべて見上げる、見慣れた碧眼。
「君は、誰?」
そう問えば、やっぱり聞きなれている低い声が、聞きなれた言語を紡ぐ。
「やっと、問うてくれましたね、我が主」
「あ、るじ?」
やっぱりゲームみたいなことを言う、と眉を顰めれば、寂しそうに俯かれてしまう。それは意に反するので小さい彼の手を強く握れば、はじかれたようにその整った顔は上げられた。が、白磁の肌が真っ赤になっていて、風邪でもひいたのかとうろたえる。ついでに、手にしていたあんまんがすっかり冷めてしまったことにも気づいた。
「……色々、話そうか。帰って」
言えば、やっぱり驚いた顔で少年は問うてくる。
「上げて、下さるのですか。私を、あなたの家に?」
「え?だって、少年の家でもあるじゃん。一緒にこの半月、帰ってたでしょう?」
おかしなことを言うなあ、と思いながら返せば、いつの間にか私が握っていたはずの彼の手が握り返されている。強い力、とはいえ子供の握力だ。痛くもかゆくもないが、とにかくその手は、小さく震えていた。
「あなたは、とんだお人好しですね」
「……はじめて言われた、そんなこと」
「あなたのはじめてをいただけて、光栄です」
意味深なことを言って笑う顔は、見知ったそれなのに何歳も大人びて見える。
「っていうか、日本語、喋れたんだ」
「それについては、説明しますよ、主様。帰ってからゆっくりと、ね」
いつの間にか手を引かれ、エスコートされている自分に気付いて止めない私は、彼の言う通りのお人好しなのか。
いいや、ただ何もかもがどうでもいいだけ。いつ死んでもいいけれど、自分で死を選ぶのが怖いから、早く死ねないかな、と呟くだけだから。
この少年が悪魔だろうと死神だろうと、つないだ手を離すつもりは、毛頭ない。
◇
俺は、天使である。名前はない。今後持つ予定もない。
俺達は人間を守護するのが役目だ。とはいっても、能動的に助けることはできなくて、ただ見守るだけ。
守護する人間が生まれて、死ぬまでの物語を見届けて。それを天界に帰って書物にするのが役目だ。書き起こすのも、今時は機械が僕らの見てきた記憶をそのまま一瞬で書籍化するから、すぐに次の守護担当が割り振られる。人間界のブラック企業もかくや、という感じだ。
そんな俺が、なぜ現在、アラフォー近い干物女の家で実体化して生活しているかと言えば、人間ぽく言うならトラブル対応、現場急行というやつだ。
人間どもの生きざまを書いた書籍は、死後の裁判で使われる重要な証拠物件である。というのに、何がどうして、そのうちの数冊が盗まれてしまった。犯人は悪魔か死神か、天使の中でも屈強な自警団の連中が猪のように宮を走り回って探しているが、結果は芳しくないらしい。
死後の裁判を終えた人間の物語は、じゃあ使わないから破棄していいのかといえば、そう単純でもない。物語は彼らが生きてきた証拠そのもので、それが改竄されれば今生きている人間たちの記憶も、あちらの記録もそのように書き換わる。燃やされでもしたら、その人間の存在すら抹消される。そうなれば、裁定され天に昇った魂の方も無事では済まない。
俺が干物女の監視をしているのは、今回盗まれた物語たちが、彼女の関係者だからだ。そう、上司から聞いている。彼女と接触する人間やそれ以外の存在を見張り、犯人たちが現れれば物語を取り返せ、とのことだ。あるいは、彼女の物語に異変があれば、彼女の関係者の物語の場所特定もしやすくなる、らしい。
なぜ実働部隊の俺が、こんな曖昧な情報しかもっていないのか?
『対象と接するキミに、事件の詳細は教えられないなあ。万が一、彼女が実行犯と繋がっていて、こちらの情報が流れてしまっては困る。キミが彼女と色恋に堕ちて、何かこぼしてしまうとも限らない』
ふざけているのか真面目なのか分からない、間延びした上司の声音を思い出して怒りのあまり、唇を噛む。これでも1000年近くこの仕事を続けている身だ、肉体を得て人間と接触するのは初めての体験だが、天使の威信にかけて此度の任務も遂行して見せる。
それに、この干物女に、どうやって恋をしろと?みすぼらしく栄養の足りていない肉体は貧相で、顔色の悪さとボサボサの髪も相まって幽鬼のようだ。
つないだ手も枯れ木のように細くて、さっきはあんまんじゃなくてもっと栄養になるものを選べばよかったな、と思う。と、見上げていた横顔が不意に、こちらを向いた。そして無遠慮に、俺の唇に触れる。
「っひゃ!?」
「ごめん、痛んだ?血が出てるから」
ポケットから取り出したティッシュで拭き取られ、さっき怒りのあまり唇を噛んだ時ついた傷だと、遅まきながら気付く。
「大した怪我ではありません、主様!」
「ってか。そのアルジサマって、何」
言われて、固まる。俺にとっては監視対象、かつ守護対象の人間は形ながらも宿主で、主人と呼ぶべきと思ったから、言語翻訳の術で一番近い日本語を使ったが、まずかったろうか。
「えっと……」
「いや、君みたいな年頃の子から、主とか呼ばれると本当、捕まりそう……って、犬に見えているんだっけ?」
先刻は面倒ごとになりそうだったので咄嗟に周囲の短期記憶と認識を歪めただけだが、説明するにも俺の正体から明かさねばならない。
彼女が俺を認識する、『誰』という再確認の言葉を放ってくれたことで本質的に彼女と繋がれた、俺。
魑魅魍魎の類が招かれないと門をくぐれないように、人間の魂と本質的につながっている分、個としての存在が揺らいでいる俺達天使という存在は、第三者に『誰』と問われ認識されることで、ようやく別存在としてアクセスできるようになる。本任務を任されなければ生かされなかった、天使としての基礎知識だ。
閑話休題。彼女と二人して、どうしたものかと考えて(それぞれに考えていることのスケールは違うだろうが)結果、思い出したように彼女は俺へと向き直った。
「私、キツキです。桂樹月」
「……知ってます、けど」
毎日のように、同じ家に帰っているのだ。名前など初日に知っている……と言いたいところだが、俺の付け焼刃の日本語スキルでは読みがあいまいだったので助かった。キツキというのか。カツラギ、で苗字なのかと思っていたから、分かるまで呼ばなくてよかったと思う。
俺が無表情を装って言うと、彼女は平凡といって差し支えない顔を林檎の色に染めて、「あうあああ」と崩壊した言語中枢を晒す。たまに、日々の生活で見せる弱った姿が妙に愛らしいな、と思うのは愛着と人間が呼ぶものか。犬猫でもかわいがる調子で、作り笑いを浮かべて「では、キツキ様」と呼ぶと。
「できれば、様、もキツイ」
「……では、キツキさん」
「はい。あと、少年」
改まった口調で問われ、つい、背筋が伸びてしまう。が、次の質問で固まった。
「少年の名前は?」
前述したように、俺達には名前はない。過去も未来も、不要だからだ。
神々と人間が認識する天界の秩序のために生み出された俺達天使は歯車で、寿命という概念はなく、ほぼ無限に生き続ける。否、終わりのない生に、生きるという概念は相応しくない。機能しつづける、というべきか。
とにかく、どれだけ擬人化が得意で戦艦や刀剣、果ては文房具すらも人型に置き換えるのが得意な日本人でも、そのものを構成する歯車ひとつにまでは名を定めまい。
だから正直に、「ありません」と答えると。
「じゃあ、ムギって呼んでいい?」
ほとんど間を置かずに、そういわれて再度固まった。
「あ、いやだった?」
「いえ、その。なぜ、ムギなんですか?」
在り得ない。
自分には、得られっこない。
生まれて、死ぬ人間たちが親からもらって、ときにはそれを捨てて、新たに得るその札を、どこか羨ましく思っていた俺に、当然のように投げかけてきた彼女は、何なのだろうか。
思いながら、震える声を抑えることに必死で頓珍漢な質問をする。が、彼女は嫌な顔ひとつせずに、
「さっきの、犬の姿。小麦色の綺麗な毛並みだったし……今もほら、きれいな髪色でしょう?はじめて会った日、お風呂で洗ってびっくりしたもの。あんまりにも、きれいだから」
つないだ手と逆の手で、やや乱暴に頭を撫でられているが振り払う気もおきない。
ああ、人間はかくも愚かしくて。やはり、いとおしい。
こんなにも手は暖かく。当たり前に、見知らぬ子供にものを与える。それが、形のないものでも。
俺にとっては、得難い。
一時の関係ではあるが、彼女と向き合える今に感謝をこめて俺は、
「はい、俺はムギです。よろしくお願いします、キツキ」
と言った。
ざっくり人物紹介
・桂 樹月(36)
アラフォー黒会社所属。お局様にもなり切れない残念人生を歩んでいたが、会社からの帰路、人形みたいにきれいな目をした行き倒れっぽい少年を拾った。初日に一緒に風呂に入ったし煎餅布団一枚しかないので同衾した仲。パーソナルスペースが異様に狭い、とみせかけてただ自棄な生き方をしているだけ。
少年の見目と声が好き。そのうち栄養失調を見かねた少年が磨いた料理スキルでほっぺを毎日落としまくる。
・ムギ(1000越え)
天使。人間のことは好きでも嫌いでもないけれど、終わりの見えない自分の在り方に疑問を抱いていた。守護している赤ん坊が名前をもらうたび、いいなあ、といつからか思い始めた。キツキには母性を感じることより、痩せぎすの体といつ死んでもいいという生き方が心配で料理中心に家事スキルをメキメキあげる。得意料理はだし巻き卵とカボチャの味噌汁。特に味噌汁は、何回出してもキツキが涙ぐんで喜んでくれるからうれしい。でも冗談でも「かーさん」呼びは勘弁してほしい。難しい年ごろ(1000オーバー)の天使である。
ざっくり今後の流れ
失われた物語は三つ。キツキの両親と恋人のもので、上司たちはキツキが何らかの方法で天界に干渉できる存在と繋がり、彼らの物語を持ち出して書き換えようとしているのではないか、と疑っていた。しかし、監視担当の天使からはそのような報告は上がらない。むしろ監視対象と慣れ合うばかりの天使に呆れた上司は、もう一人、監視を送る。
そんな感じでわちゃわちゃ、天使たちと戯れるアラフォーお姉さんのローファンタジーが書きたかった。悲恋タグをつけているのはまあ、そういう展開がその後あるんですけど……書ききれなかった(死
とりあえずムギくんにご飯を作ってもらいたい人生でした。
おもろいやんけ、って思ってくれたら評価いただければ幸いです。